43 / 84
38
しおりを挟む
どれほどの時間が経ったのだろうか。船の揺れが徐々に小さくなり、そのまま静かに止まった。
甲板は水平を保っており、波に揺らされているだけになったようだ。
人々の悲鳴が消えた。代わりに、大きなざわめきが起こる。
船員に詰め寄る男や、恐ろしくて身を縮こまらせている者もいる。
甲板より下方で部屋で待機させられているのは、平民たちばかりのようだった。
「フェルミさんのチケットを、貴族用の上部で取ってくれた人に感謝だな……」
「どうしてですか?」
「あー、いや。なんでもない。忘れてくれ」
ひとまずは安全そうだが、転覆などが起これば、救助の状況によっては、下位にいる人々は閉じ込められ船とともに海の藻屑になっただろう。
一応、救命ボートは十分あるようだが、全員逃げ切れるには時間が足らないほど、この船には沢山の人々が乗船している。
カインと同じように考えている人たちが、甲板には出ていた。我先に逃げようと、救命ボートの側で待機している人たちも多い。
フェルミが、きょろきょろ辺りを見渡す。すると、カインが彼女の背を撫でて、安心するように微笑んだ。
「フェルミさん、どうやら、いつもよりも海水が少なくて、海藻か何かがスクリューに引っかかっただけのようだ。夜の作業は危険だから、翌朝まで待って、対処するらしい」
「そ、そうなんですね……スクリューに海藻が……」
フェルミは少し安心して、カインを見る。だが、その瞳はまだ不安で揺れていた。寒い風にさらされて、ふるりと体が震える。
フェルミだけなく、船上の乗客は、着の身着のまま、冬の海にさらされている。カインが、船員に許可を取り、火を作り出した。火の温もりと灯りがふたりを包む。
その火に、周囲の人々も集まり、各々がスキルで身を守ろうと協力しあう。
集団が乱れれば、助かる命も助からない。見知らぬ人々と隣合わせで温まっていると、少しずつ人々の心に余裕が生まれたのか、小さな笑い声があがるようになった。
「皆さん、お騒がせいたしました。どうぞ、部屋にお戻りを」
しばらくすると、船員たちが甲板に出ていた乗客に声をかけた。あとは、船員の指示に従うことが最善の策だろう。人々が部屋に戻り始める。
カインも火を消し、フェルミを抱きしめたまま移動しようとすると、耳障りな声が聞こえてきた。
「おい! 今すぐなんとかしろ!」
「ですから、暗い海での作業は危険ですので、翌朝までお待ち下さい」
「待っている間に、船が沈んだらどうしてくれるんだ? ああ?」
「先ほど説明したように、スクリューの一部に海藻が絡んでしまっただけです。下手に取り除こうとすれば、スクリューが破損して航海ができなくなります。作業員が被害に遭うかもしれません。どうか、ご理解とご協力をお願いいたします」
「ええい、わしが海藻ごとき、焼き払ってくれるわ!」
「海の中で、どうやって火を付けるというのですか? それに、動力部に火など使われては、爆発してしまいます。どうか、落ち着いてください!」
「だったら、お前らがなんとかしろって言っているだろうが! わしが誰だかわかっているのか? 国に戻れば、お前など……」
「ええ、陸の上ではあなたの指示に従わねばならないでしょう。ですが、ここは海の上。船上では、船長が絶対です。船長の指示に従っていただきます」
船員の話が通じない。どれほど丁寧に説明しても理解しないのか、無理難題を押し付けてくる。しかし、無理なものは無理だ。憤る男を、船員が強い態度でおしとどめていた。
船員も大変だなと、カインは部屋に戻ろうと足をすすめた。こういう時、第三者が介入しても事態は悪化するだろう。
フェルミは、どんどん歩いていくカインに声をかけた。
「カインさん、私を船長様のところに連れて行っていただけませんか?」
「フェルミさんを?」
「はい……絡まっているのは海藻なんですよね? で、フレイム国の人たちが多く乗っている今、火で焼き払うことが出来ない。グリーン国の人たちも、海藻を増やすだけです。でも、私なら、どうにかできるかもしれません」
フェルミの言葉に、カインは足を止めた。カインがじっと見てくる。フェルミは、彼の眼差しを真正面から受け止めた。
「皆、このまま一夜を過ごすのは恐ろしいと思うのです。私もです……。何も仰っておられませんが、本当は、あの男性のように、今すぐなんとかしてもらいたいはずなんです。船長様に説明をして、それでも朝まで待つというのなら、きちんと指示に従いますから」
フェルミは、一か八か、自分にできることがあるかもしれないと、カインに無理を言った。
「……船長には、ちょっとした貸しがある。だから、フェルミさんと船長を会わせることができるとは思う。だが、もしも、彼がダメだと言ったら、本当に部屋に戻ってくれるんだな?」
フェルミがこくりと頷くと、カインは足の進む先を船首に変えた。ちょうど、カインを知っている船員と出会い、彼に案内してもらう。
「カインさん、もう大丈夫そうですから、おろしてくださいませんか?」
「あ、ああ」
流石に、横抱きのまま船長に会うわけにはいかない。フェルミは、立ってみると大丈夫だと思った。足をちょこちょこ動かしても、体がぶれることはない。
ただ、肌に感じていた彼の温もりが途端に消え、絶大な安心感がなくなったことのほうが心細いと思った。
「よお、お前か。見ての通り、今は忙しい。とっとと部屋に戻りな」
「久しぶりだな、船長。実は、今の事態を解決出来る人を連れてきた」
「はぁ? 馬鹿も休み休み言え。暗闇の海の中がどれほど危険なのか、お前も知っているだろう? 海上に灯りをともしても、海の中に光なんぞ届きやしない。強力な光の国のスキル持ちなら、灯りを持続できるだろうがな? 海藻をスクリューから完全に取り除くのに、どれほどの人員と時間がかかると思っている。明るさだけでもどうにもならねぇよ」
「いや、そういう事情はなんとなくだが理解している。だが、一度、彼女の話を聞いてくれないか?」
「……三分だけだぞ」
カインと船長は、思った以上に親しげだった。船長は、面倒そうにフェルミを一瞥して舌打ちをした。恐らく、今までもフェルミのように、無駄どころか足手まといの協力を申し出た人たちがいたのだろう。うんざりしているのがわかる。
「はじめまして、船長様。私は、グリーン国のフェルミ・バスタと申します」
「ああ、はじめまして。で?」
フェルミを寄せ付けない大柄な船長の態度に、内心怯みながらも話を続けた。
「あの、少しだけでいいので、私のスキルを見てはいただけませんか?」
フェルミは、近くにあった観葉植物を手に取った。ごくりと唾を飲む。
だが、自分のスキルを目の当たりにした人々の、恐怖や畏怖、そして、おぞましいものを見たかのような表情や心無い言葉が、やめろと彼女のことを制止しようとした。
甲板は水平を保っており、波に揺らされているだけになったようだ。
人々の悲鳴が消えた。代わりに、大きなざわめきが起こる。
船員に詰め寄る男や、恐ろしくて身を縮こまらせている者もいる。
甲板より下方で部屋で待機させられているのは、平民たちばかりのようだった。
「フェルミさんのチケットを、貴族用の上部で取ってくれた人に感謝だな……」
「どうしてですか?」
「あー、いや。なんでもない。忘れてくれ」
ひとまずは安全そうだが、転覆などが起これば、救助の状況によっては、下位にいる人々は閉じ込められ船とともに海の藻屑になっただろう。
一応、救命ボートは十分あるようだが、全員逃げ切れるには時間が足らないほど、この船には沢山の人々が乗船している。
カインと同じように考えている人たちが、甲板には出ていた。我先に逃げようと、救命ボートの側で待機している人たちも多い。
フェルミが、きょろきょろ辺りを見渡す。すると、カインが彼女の背を撫でて、安心するように微笑んだ。
「フェルミさん、どうやら、いつもよりも海水が少なくて、海藻か何かがスクリューに引っかかっただけのようだ。夜の作業は危険だから、翌朝まで待って、対処するらしい」
「そ、そうなんですね……スクリューに海藻が……」
フェルミは少し安心して、カインを見る。だが、その瞳はまだ不安で揺れていた。寒い風にさらされて、ふるりと体が震える。
フェルミだけなく、船上の乗客は、着の身着のまま、冬の海にさらされている。カインが、船員に許可を取り、火を作り出した。火の温もりと灯りがふたりを包む。
その火に、周囲の人々も集まり、各々がスキルで身を守ろうと協力しあう。
集団が乱れれば、助かる命も助からない。見知らぬ人々と隣合わせで温まっていると、少しずつ人々の心に余裕が生まれたのか、小さな笑い声があがるようになった。
「皆さん、お騒がせいたしました。どうぞ、部屋にお戻りを」
しばらくすると、船員たちが甲板に出ていた乗客に声をかけた。あとは、船員の指示に従うことが最善の策だろう。人々が部屋に戻り始める。
カインも火を消し、フェルミを抱きしめたまま移動しようとすると、耳障りな声が聞こえてきた。
「おい! 今すぐなんとかしろ!」
「ですから、暗い海での作業は危険ですので、翌朝までお待ち下さい」
「待っている間に、船が沈んだらどうしてくれるんだ? ああ?」
「先ほど説明したように、スクリューの一部に海藻が絡んでしまっただけです。下手に取り除こうとすれば、スクリューが破損して航海ができなくなります。作業員が被害に遭うかもしれません。どうか、ご理解とご協力をお願いいたします」
「ええい、わしが海藻ごとき、焼き払ってくれるわ!」
「海の中で、どうやって火を付けるというのですか? それに、動力部に火など使われては、爆発してしまいます。どうか、落ち着いてください!」
「だったら、お前らがなんとかしろって言っているだろうが! わしが誰だかわかっているのか? 国に戻れば、お前など……」
「ええ、陸の上ではあなたの指示に従わねばならないでしょう。ですが、ここは海の上。船上では、船長が絶対です。船長の指示に従っていただきます」
船員の話が通じない。どれほど丁寧に説明しても理解しないのか、無理難題を押し付けてくる。しかし、無理なものは無理だ。憤る男を、船員が強い態度でおしとどめていた。
船員も大変だなと、カインは部屋に戻ろうと足をすすめた。こういう時、第三者が介入しても事態は悪化するだろう。
フェルミは、どんどん歩いていくカインに声をかけた。
「カインさん、私を船長様のところに連れて行っていただけませんか?」
「フェルミさんを?」
「はい……絡まっているのは海藻なんですよね? で、フレイム国の人たちが多く乗っている今、火で焼き払うことが出来ない。グリーン国の人たちも、海藻を増やすだけです。でも、私なら、どうにかできるかもしれません」
フェルミの言葉に、カインは足を止めた。カインがじっと見てくる。フェルミは、彼の眼差しを真正面から受け止めた。
「皆、このまま一夜を過ごすのは恐ろしいと思うのです。私もです……。何も仰っておられませんが、本当は、あの男性のように、今すぐなんとかしてもらいたいはずなんです。船長様に説明をして、それでも朝まで待つというのなら、きちんと指示に従いますから」
フェルミは、一か八か、自分にできることがあるかもしれないと、カインに無理を言った。
「……船長には、ちょっとした貸しがある。だから、フェルミさんと船長を会わせることができるとは思う。だが、もしも、彼がダメだと言ったら、本当に部屋に戻ってくれるんだな?」
フェルミがこくりと頷くと、カインは足の進む先を船首に変えた。ちょうど、カインを知っている船員と出会い、彼に案内してもらう。
「カインさん、もう大丈夫そうですから、おろしてくださいませんか?」
「あ、ああ」
流石に、横抱きのまま船長に会うわけにはいかない。フェルミは、立ってみると大丈夫だと思った。足をちょこちょこ動かしても、体がぶれることはない。
ただ、肌に感じていた彼の温もりが途端に消え、絶大な安心感がなくなったことのほうが心細いと思った。
「よお、お前か。見ての通り、今は忙しい。とっとと部屋に戻りな」
「久しぶりだな、船長。実は、今の事態を解決出来る人を連れてきた」
「はぁ? 馬鹿も休み休み言え。暗闇の海の中がどれほど危険なのか、お前も知っているだろう? 海上に灯りをともしても、海の中に光なんぞ届きやしない。強力な光の国のスキル持ちなら、灯りを持続できるだろうがな? 海藻をスクリューから完全に取り除くのに、どれほどの人員と時間がかかると思っている。明るさだけでもどうにもならねぇよ」
「いや、そういう事情はなんとなくだが理解している。だが、一度、彼女の話を聞いてくれないか?」
「……三分だけだぞ」
カインと船長は、思った以上に親しげだった。船長は、面倒そうにフェルミを一瞥して舌打ちをした。恐らく、今までもフェルミのように、無駄どころか足手まといの協力を申し出た人たちがいたのだろう。うんざりしているのがわかる。
「はじめまして、船長様。私は、グリーン国のフェルミ・バスタと申します」
「ああ、はじめまして。で?」
フェルミを寄せ付けない大柄な船長の態度に、内心怯みながらも話を続けた。
「あの、少しだけでいいので、私のスキルを見てはいただけませんか?」
フェルミは、近くにあった観葉植物を手に取った。ごくりと唾を飲む。
だが、自分のスキルを目の当たりにした人々の、恐怖や畏怖、そして、おぞましいものを見たかのような表情や心無い言葉が、やめろと彼女のことを制止しようとした。
12
お気に入りに追加
152
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる