完結(R18)赤い手の嫌われ子爵夫人は、隣国の騎士に甘すぎる果実を食べさせられる

にじくす まさしよ

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 どれほどの時間が経ったのだろうか。船の揺れが徐々に小さくなり、そのまま静かに止まった。
 甲板は水平を保っており、波に揺らされているだけになったようだ。

 人々の悲鳴が消えた。代わりに、大きなざわめきが起こる。

 船員に詰め寄る男や、恐ろしくて身を縮こまらせている者もいる。

 甲板より下方で部屋で待機させられているのは、平民たちばかりのようだった。

「フェルミさんのチケットを、貴族用の上部で取ってくれた人に感謝だな……」
「どうしてですか?」
「あー、いや。なんでもない。忘れてくれ」

 ひとまずは安全そうだが、転覆などが起これば、救助の状況によっては、下位にいる人々は閉じ込められ船とともに海の藻屑になっただろう。
 一応、救命ボートは十分あるようだが、全員逃げ切れるには時間が足らないほど、この船には沢山の人々が乗船している。

 カインと同じように考えている人たちが、甲板には出ていた。我先に逃げようと、救命ボートの側で待機している人たちも多い。

 フェルミが、きょろきょろ辺りを見渡す。すると、カインが彼女の背を撫でて、安心するように微笑んだ。

「フェルミさん、どうやら、いつもよりも海水が少なくて、海藻か何かがスクリューに引っかかっただけのようだ。夜の作業は危険だから、翌朝まで待って、対処するらしい」
「そ、そうなんですね……スクリューに海藻が……」

 フェルミは少し安心して、カインを見る。だが、その瞳はまだ不安で揺れていた。寒い風にさらされて、ふるりと体が震える。

 フェルミだけなく、船上の乗客は、着の身着のまま、冬の海にさらされている。カインが、船員に許可を取り、火を作り出した。火の温もりと灯りがふたりを包む。

 その火に、周囲の人々も集まり、各々がスキルで身を守ろうと協力しあう。
 集団が乱れれば、助かる命も助からない。見知らぬ人々と隣合わせで温まっていると、少しずつ人々の心に余裕が生まれたのか、小さな笑い声があがるようになった。

「皆さん、お騒がせいたしました。どうぞ、部屋にお戻りを」

 しばらくすると、船員たちが甲板に出ていた乗客に声をかけた。あとは、船員の指示に従うことが最善の策だろう。人々が部屋に戻り始める。

 カインも火を消し、フェルミを抱きしめたまま移動しようとすると、耳障りな声が聞こえてきた。


「おい! 今すぐなんとかしろ!」
「ですから、暗い海での作業は危険ですので、翌朝までお待ち下さい」
「待っている間に、船が沈んだらどうしてくれるんだ? ああ?」
「先ほど説明したように、スクリューの一部に海藻が絡んでしまっただけです。下手に取り除こうとすれば、スクリューが破損して航海ができなくなります。作業員が被害に遭うかもしれません。どうか、ご理解とご協力をお願いいたします」
「ええい、わしが海藻ごとき、焼き払ってくれるわ!」
「海の中で、どうやって火を付けるというのですか? それに、動力部に火など使われては、爆発してしまいます。どうか、落ち着いてください!」
「だったら、お前らがなんとかしろって言っているだろうが! わしが誰だかわかっているのか? 国に戻れば、お前など……」
「ええ、陸の上ではあなたの指示に従わねばならないでしょう。ですが、ここは海の上。船上では、船長が絶対です。船長の指示に従っていただきます」

 船員の話が通じない。どれほど丁寧に説明しても理解しないのか、無理難題を押し付けてくる。しかし、無理なものは無理だ。憤る男を、船員が強い態度でおしとどめていた。

 船員も大変だなと、カインは部屋に戻ろうと足をすすめた。こういう時、第三者が介入しても事態は悪化するだろう。

 フェルミは、どんどん歩いていくカインに声をかけた。

「カインさん、私を船長様のところに連れて行っていただけませんか?」
「フェルミさんを?」
「はい……絡まっているのは海藻なんですよね? で、フレイム国の人たちが多く乗っている今、火で焼き払うことが出来ない。グリーン国の人たちも、海藻を増やすだけです。でも、私なら、どうにかできるかもしれません」

 フェルミの言葉に、カインは足を止めた。カインがじっと見てくる。フェルミは、彼の眼差しを真正面から受け止めた。

「皆、このまま一夜を過ごすのは恐ろしいと思うのです。私もです……。何も仰っておられませんが、本当は、あの男性のように、今すぐなんとかしてもらいたいはずなんです。船長様に説明をして、それでも朝まで待つというのなら、きちんと指示に従いますから」

 フェルミは、一か八か、自分にできることがあるかもしれないと、カインに無理を言った。

「……船長には、ちょっとした貸しがある。だから、フェルミさんと船長を会わせることができるとは思う。だが、もしも、彼がダメだと言ったら、本当に部屋に戻ってくれるんだな?」

 フェルミがこくりと頷くと、カインは足の進む先を船首に変えた。ちょうど、カインを知っている船員と出会い、彼に案内してもらう。

「カインさん、もう大丈夫そうですから、おろしてくださいませんか?」
「あ、ああ」

 流石に、横抱きのまま船長に会うわけにはいかない。フェルミは、立ってみると大丈夫だと思った。足をちょこちょこ動かしても、体がぶれることはない。

 ただ、肌に感じていた彼の温もりが途端に消え、絶大な安心感がなくなったことのほうが心細いと思った。

「よお、お前か。見ての通り、今は忙しい。とっとと部屋に戻りな」
「久しぶりだな、船長。実は、今の事態を解決出来る人を連れてきた」
「はぁ? 馬鹿も休み休み言え。暗闇の海の中がどれほど危険なのか、お前も知っているだろう? 海上に灯りをともしても、海の中に光なんぞ届きやしない。強力な光の国のスキル持ちなら、灯りを持続できるだろうがな? 海藻をスクリューから完全に取り除くのに、どれほどの人員と時間がかかると思っている。明るさだけでもどうにもならねぇよ」
「いや、そういう事情はなんとなくだが理解している。だが、一度、彼女の話を聞いてくれないか?」
「……三分だけだぞ」

 カインと船長は、思った以上に親しげだった。船長は、面倒そうにフェルミを一瞥して舌打ちをした。恐らく、今までもフェルミのように、無駄どころか足手まといの協力を申し出た人たちがいたのだろう。うんざりしているのがわかる。

「はじめまして、船長様。私は、グリーン国のフェルミ・バスタと申します」
「ああ、はじめまして。で?」

 フェルミを寄せ付けない大柄な船長の態度に、内心怯みながらも話を続けた。

「あの、少しだけでいいので、私のスキルを見てはいただけませんか?」

 フェルミは、近くにあった観葉植物を手に取った。ごくりと唾を飲む。

 だが、自分のスキルを目の当たりにした人々の、恐怖や畏怖、そして、おぞましいものを見たかのような表情や心無い言葉が、やめろと彼女のことを制止しようとした。

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