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 フェルミがラートの妻となってから半年が経過した。まだ一度も会ったこともない夫は、子爵夫人が言うにはそろそろ帰国してくるらしい。

「お嬢様、マザコン野郎の顔が、ようやく拝めますね」
「ファーリったら」

 ファーリは、相変わらずフェルミのことをと呼ばない。実際、籍は入っているそうだが、顔合わせどころか手紙一つやり取りしていないのだ。
 フェルミが手紙を出そうとしても、子爵夫人が「出しておくわ」と言うため、本当にラートの元に行っているのか疑わしい。さらに、ラートからフェルミ宛に返事が来たと彼女が言っても、実物を見せてくれないのである。

「あの子ったら、あなたに恥ずかしいから見せるなですって。ふふふ、本当に照れ屋さんなんだから。でも、とても嬉しがっているのよ。優しい子だから、とっても大切にしてくれるわ」
「そうなんですね。嬉しいです」
「そうそう、あの子が小さいころはね……」

 子爵夫人の「あの子語り」は尽きないようで、フェルミが聞き上手なのをいいことに一時間は軽く超える。その内容も、ほとんどが夫人に対する優しさいっぱいの天使ラートの武勇伝など、自慢話ばかりだった。

 籍を入れてから5か月経った頃、伯爵家から残りの持参金が支払われたらしい。離婚すれば返金しなければならないものだが、子爵家には返す気はさらさらなかった。もらったもん勝ち、使ってしまったもん勝ちと言わんばかりに、あっという間にそれも全額使ったようだ。
 そもそも、フェルミが自分たちにとって、一ミリも害がないとわかった今、あえて追い出す必要はないと考えているようだ。ラートが気に入らなければ、それこそ屋根裏でも閉じ込めてしまえばいいと高笑いをしていたと教えてくれたのは、現在ファーリと恋人になったトラムである。
 彼は、この家には欠かせない人物で、裏の裏まで知っている。子爵すら知らないことまで、彼がいないと回らない部分もあり、彼がいなければとっくにバスタ子爵家は潰れていただろう。

「お嬢様、本当にいいのですか? 実は、トラムが、子爵が使い切ったって言っている持参金の一部を、お嬢様のために隠してくれているんです。逃げるのなら、マザコンが帰国する前しかないと思いますけど」
「まあ、トラムったら。思っていたけれど、とっても有能なのね。ファーリは、そんな彼と出会って結ばれる運命だったのねぇ。ふふふ、トラムはファーリにとっても甘いもの。情熱的で素敵……」

 フェルミは、トラムとファーリの読んだ物語の主人公たちのような、ふとした時に醸し出される甘い雰囲気を思い出して、ほぅっとため息を吐く。

「そうなんですよ。彼ったら、亡くなったお母様の治療を先々代の子爵がしてくれたからってだけで、こんなところで馬車馬のごとく働き続けていたでしょう? 二重三重の帳簿なんて朝飯前ですから、チョロい子爵なんていくらでも騙せます……って、そうじゃないですよ!」

 すると、ファーリも頬に手を当てて、うっとりと彼ののろけ話をするのだ。しかし、フェルミが自分の話題をそらすために話をしていることがわかったのか、話を止めた。

「お嬢様、わかってるんですか? いくら会ったこともない人だからって、もう夫婦なんですよ? 実物のマザコンが来ちゃったら、どんな相手でも夫婦としての……」

 フェルミも、彼女が言わんとすることはわかっていた。本で読んだし、カロナからも教えてもらっている。
 恥ずかしいよりも怖いイメージだが、世の中の男女はほとんどしていると聞いていた。だから、大丈夫だと思うようにしていたのである。

「うん、それは……。でも、お義母様がいうには、優しくて頼もしい男性らしいし」
「母親なんですから、どんな乱暴で阿呆な不細工でもかわいいに決まってます。あてになりません!」
「でも、本当はすごく良い人だったら? 嫁に逃げられたって悪い噂が立つだろうし、気の毒だわ」
「それは……」

 フェルミの言葉に、ファーリは彼女の夫がどういった人物かわからないのに、幸せな家庭を築くかもしれない、万が一ほどの可能性も潰して良いのかと口ごもる。

「ね、ファーリ。ファーリが、私を思って言ってくれてるのはわかってるつもり。過去と決別してくれたのも、ここに留まってくれたのも、私のためだって。でもね、私がここを出ていったら? ファーリはここにはいられない。次も過去を捨てちゃうの? そんなの、もうダメ。私は、ファーリには、今度こそ愛する人と幸せになって欲しいの」
「お嬢様……」

 フェルミは、ファーリには本当に感謝していた。そして、嫌われている自分のために、彼女がどれほどのものを諦めてくれたのかと、一生かけても償えないほどの申し訳ない気持ちを抱えていた。

 フェルミは、自分よりもファーリにこそ幸せになってもらいたかったのである。


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