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「奥様が、私に? 何の用かな?」

 ファーリは、孤児の自分を保護してくれている優しい伯爵夫人だと信じて疑わない彼女が憐れに思えた。

 家を飛び出してきた自分にだって、近況を知らせるくらいだが、手紙をやり取りしている家族がいる。

 フェルミはどうだろう。同じ敷地に、がいるにも関わらず、髪と瞳の色が違うだけでここに閉じ込められた。更に、自分が望んで手に入れたわけではないスキルのせいで、この世にはいない存在になってしまっている。
 生きながら、墓の下にいる扱いのフェルミが、もしも全てを知ればどうなるのだろうか。
 考えても仕方がないし、知ったところで、フェルミは嘆き悲しむだろう。
 ファーリだけが、フェルミに長年仕えてきたのだ。彼女が、恨んだり、妬んだりするような人物ではないことを知っている。

 だが、フェルミを目の敵のように憎んでいる伯爵夫人は、そうは考えないだろう。

「あたしも一緒に行きます」

 少女だった頃のファーリが、小さなフェルミの食事を、ワンディッシュにしていたのは、少なからず理由があった。
 ファーリは、めんどくさがりな子供ではあったが、彼女が持つスキルが、前料理長や前メイド長が関与した食事に毒が混入されていることを知らせてくれていたのである。
 一緒に食べるファーリの食事にも、もれなくそれらは入っていた。

 即死するようなものではなかった。普通の人なら気づかない程度の、ほんの僅かの量だが、長期にそれらを体に取り入れると、徐々に衰弱して二度とまぶたが開かなかっただろう。

 細かく見ないとわからないものもあり、もともとワンディッシュで飾られていた料理をほじくり返して毒を抜いていた。

 ファーリの不器用っぷりは、自他ともに認めるものだ。あとでキレイに整えるような技術はなかった。それに、フェルミが生死の境を彷徨った日までは、彼女だって彼女のことが癇に障っていたのも事実。
 
 そのため、フェルミが食べるものは、特にごちゃまぜになってしまっていた。

 今の料理長になってからは、毒など入ることはない。適したお皿に乗せられた安全なものを、安心して食べていけるようになり、ファーリも心の余裕が出てきたのである。

「ファーリも? ああ、そうか。ついに、ふたりとも、ここから自立して出ていく日が来たってことよね。ファーリ、今までお姉さんのように、一緒にいてくれてありがとうございました。私、ファーリがいなかったら、どうなっていたかわからない……」

 フェルミは、感謝の気持ちの全てを込めて、ファーリの手を取り頭を下げた。

「ファーリは、料理長さんと結婚するのよね? あのね、これを……」
「お嬢様、これは?」

 フェルミは、手のひらほどの袋を手渡した。少し重いそれは、小さな何かがたくさん入っているようだ。

「お洋服についていた宝石を集めていたの。偽物かもしれないけれど、私にはこれしか準備できなくて。結婚祝いに受け取って」
「お嬢様……」

 ファーリは、自分には退職金がある。それに、これまで貯めてきた装飾品なども、フェルミよりもたくさん持っていた。

 しかも、呼び出しは伯爵ではなく、伯爵夫人からだ。
 フェルミこそ、無一文で放り出されやしないかと心配になる。
 
「いけません。これは、お嬢様がお持ちください。きっと、お嬢様の役に立つはずです」
「いいの。あのね、私、本で見た国々に行ってみたいの。うまくいかないかもしれない。だけど、働きながら海を渡って、冒険者のように、一から出直したいんだ」
「お嬢様……」
「この国では、私は絶対に受け入れられることはない。ここを追い出されたら生きていけないわ。そのくらい、私にだってわかるもの。それに、ここでの思い出は、ファーリたちがくれた熊さん以外、何にもいらない。全部、新しい自分になって、世界中を見て回りたいの。そしたらね、どこかにひとつだけでもいいから、ありのままの私が住んで良いっていう国があると信じたいの」
「お嬢様にそのような夢があったなんて。じゃあ、なおさら、これは旅で使ってくださいよ!」

 フェルミは、ぐいぐい袋を押し付けてくるファーリに困った。彼女がどう言おうとも、一度差し出したものを返してもらうつもりは全く無い。

 フェルミの意思の固さは、リグナムバイタ以上だ。ファーリは根負けして受け取った。

(あとで、お嬢様の荷物に幾ばくか忍ばせよう)

「いつかね、世界中を巡ったら、ファーリたちの料理店を訪れるわね。ふふふ」
「はい、お嬢様。近い将来、グリーン国一、世界一有名になったあたしと彼の料理店に、是非来てくださいね。特別室にご案内します!」
「ええ、楽しみにしているわ」

 フェルミは、昨日テーブルで生き生きと咲いていたひまわりを見る。自分のせいで、すっかり枯れて顔を下に向けているそれは、彼女の気持ちと同じだと思った。

 フェルミは、産まれて初めて本邸を訪れた。広さも、天井までの高さも、調度品も、床一面の絨毯まで住んでいる場所とは雲泥の差だ。

 圧倒されながら進んでいると、年の違わない女性と、小さな男の子がいた。

 女性は、あからさまに嫌悪感丸出しで、ちらりと睨んだあと視線を外した。対して、男の子はフェルミを興味深そうに見てくる。

「お父様の保護している娘って、あなたね。ふん、お母様をあんなにも苦しめておいて、よくも今までここに住めたものだわ。さっさと、お前を産んだ女の元に行けばよかったのに」
「ほごしているむすめって?」
「なんでもないわ。あんな女、見たら目が汚れちゃう。あっちに行きましょう」

 フェルミは、初対面のふたりを見た瞬間、なぜか心がざわついた。どうやら、伯爵家の令嬢と子息のようだと悟ると、頭を深々と下げた。視線の先に、ふたりの靴が見える。

「お母様も、なんだって、こんな子に嫁入り先なんて世話をしたのよ。放り出せばよかったのに」

 令嬢がボソリと呟いた言葉に、どういうことだとつめよりたくなった。だが、相手は貴族令嬢であり、自分を保護してくれた伯爵様の娘さんだ。無礼は許されないと頭を下げ続けた。

 たどり着いた部屋では、美しい淑女がいた。どうやら、伯爵夫人で間違いないだろう。
 フェルミはソファを勧められるわけもなく、立ったまま彼女の言葉を待った。


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