完結(R18)赤い手の嫌われ子爵夫人は、隣国の騎士に甘すぎる果実を食べさせられる

にじくす まさしよ

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 フェルミの環境が劇的に変化したわけではなかった。だが、ファーリが以前よりも優しいお姉さんみたいになってくれて、とても嬉しいと、毎日楽しく過ごしている。

 家の大規模リフォームも無事に終わった。隙間風が入り大きなネズミが壁をかじるような、ひび割れた壁もなくなる。ベッドも幼児用から大きくなり、寒い日には暖炉に暖かい火がつけられた。
 何枚でも重ね着しても、服はあまるほど、新しいクローゼットにはたくさんある。今日はどれを着ようか考えるだけでも心が踊った。

 フェルミは、本来ならば、これでも不十分すぎる待遇だとは知らない。
 こんなにも、毎日が幸せで、明日が来るのを待ち遠しい気持ちになったのは、初めてだった。

「お嬢様、汚れた食器は、もう洗わなくて良いって言ったのに」
「でも、自分が汚したから……」

 今では、パンはパン皿に、スープはスープ皿に、メインは大きな丸いお皿に、サラダのドレッシングにも、専用の器があった。
 ごちゃまぜではない、一品一品の料理がものすごく美味しい。メニューごとに変えなきゃいけない、たくさんのカトラリーの種類も覚えていった。

 小さな頃の、ぼろぼろキッチンとはうってかわって、大きなシンクの蛇口をひねれば、簡単に温かいお湯がでる。氷のような冷たい水で洗わなくてすむようになっただけでも、十分幸せだと思っていた。

 ファーリは、本邸にそのまま持っていけば、あの時にメイド長に手を貸していた偉そうなメイドたちが洗うのに、と、手を止めないフェルミに苦笑する。

「今日は、料理長自ら、お嬢様とあたしのためにって、わざわざ作ってくれたんですよ」
「ファーリのお友だちの料理長さんが、作ってくれたリゾットも美味しかったね」
「ふふふ、お嬢様ったら、一体何年前のお話をするんですか。でも、あの時は本当に美味しい美味しいって頬張っておられましたものね」
「うん、あの時のチーズリゾットは、世界一美味しいと思ったの」

 あれから5年経過している。まだまだ幼いフェルミの、幸せそうな横顔を見ると、ファーリは少し胸がいたんだ。
 どうして、あの時は、フェルミにあれほどのいじわるをしてしまったのだろうか。そうしないと生きていけないわけではなかったのに。

 本邸のお嬢様のように、皿の洗い方など知らない、苦労のくの字も知らずに生きていくはずの小さな女の子に、胸がチクリと痛む。

 とはいえ、生来の性格が、あくまでも自分本位な彼女は、フェルミが洗っているというのに、自分の分の皿は洗わなかった。フェルミが洗い終えた、沢山のきれいな皿をバスケットにいれて本邸に持っていった。

「ふん、うまく伯爵様に気に入られたからって。調子に乗らないでよね? あんたなんて、所詮は平民なんだし、呪われた赤い手の悪魔のもとでしか働けないんだから」

 厨房の裏口に、ファーリが一番きらいな先輩メイドが立っていた。ファーリから、重たいバスケットを渡され嫌味を炸裂する。

(このオツボネは、口を開けば嫌味しか言えないわけ?)

 ファーリは、胸を張って言い返した。彼女ももう20歳。それなりに立場は理解している。
 ある意味、離れの仕事は、替えの利かない仕事だ。離れのフェルミの世話をして、公にするべきではない事情を知っているファーリを、おいそれとクビにはできない。

 一方、目の前の単なるメイドは、いくらでも替えがいる。

 どちらが、伯爵家にとって貴重なのかは、一目瞭然だった。

「あんたこそ、メイド長に言われた以外の嫌がらせをしていたって、執事様を通じて伯爵様に知らせてもらってもいいのよ? あたし、知ってるんだから。お嬢様の服を横取りして、自分の妹にあげていたんだって」
「今更よ。ふふふ、それに、ヘマをしたメイド長や料理長じゃあるまいし。こっちには奥様がいるんだから」
「奥様よりも、伯爵様のほうが上でしょ」
「あんた、離れにいるからわかってないねぇ。伯爵様はね、奥様にぞっこんなの。だから、奥様の思う通りにしたいのよ。前伯爵様だって、悪魔を追い出したいの。現に、おふたりに逆らえなくて、伯爵様はあっちに行かないじゃない」

 それは、伯爵家では有名な話しだった。彼女の言う通り、伯爵は妻には頭が上がらない。ファーリは勢いを失い、口をつぐむ。

「あんたね、もっと賢くまわりを見たほうが良いよ。といっても? あんたが若い頃にたらしこんでいた男たちは、皆、別の女の子たちと結婚したけどね」

 ファーリにとって、繊細な部分をほじくり返された。当時つきあっていた男たちは、結婚適齢期になっても嫁にいけない彼女を諦めて、別の女性と結婚してしまったのである。
 といっても、貴族の端くれでもある彼らと、平民の自分が結ばれるはずがない。それは重々承知しているが、完全にマウントを取ったと偉そうにふんぞりかえるメイドに、かちんときて言い返す。

「うるさいわね。誰にも相手にしてもらえないからって、僻むんじゃないわよ。そうそう、あんたが好きな何でも屋のフットマン、この間、あたしに告白してくれたんだぁ。困っちゃってぇ」
「なんですってぇ!」

 本邸のメイドが、ファーリに掴みかかる。髪を鷲掴みにされて、引っ張られた。目尻から涙がでるほど痛い。

「やめ、やめてください!」
「あんたみたいな平民、あの悪魔とさっさと出ていけばいいのよ!」

「何をしているんだ」

 その時、若い男の声がした。メイドが、掴んだ髪をぱっと離したため、中腰になっていたファーリはバランスを崩して倒れる。

「あ……。あの、これは違うの。誤解なのよ」
「何が違って、どう誤解なんだ? ファーリに一方的に暴力を振るっているじゃないか。俺の前では、しおらしいレディのようだったが、君には幻滅した。恥をしれ」
「そんな……!」

 話題のフットマンは、ぼろぼろになったファーリの髪を優しく撫でる。静かに涙を流す彼女を立ち上がらせ、懸命に慰めた。

 完全に誤算だった。メイドは、フットマンに完全に嫌われて涙を流して走ってどこかに行った。その時に、ファーリを睨みつけながら。
 ファーリは、とんだ偶然にびっくりしつつも、事あるごとに平民を馬鹿に彼女が完全に振られて、内心べーっと舌を出した。

「あの、助けてくださり、ありがとうございました」
「いや、女性の喧嘩には立ち入らないほうが良いと思ったんだけど、あまりにもひどかったから」
「そのお気持ちだけで十分です。あたし、仕事に戻らないと……」
「誰もしたがらない仕事を、ひとりで一生懸命しているんだ。本邸の使用人全員が、彼女のように平民を馬鹿にしていると思っているわけじゃなくて」
「ええ、わかっています。昔も、気の毒なお嬢様やあたしに手を貸してくださった、心優しい人たちがいましたから。そのお気持ちだけで、あたしは頑張れます」
「ファーリちゃん……」

 ファーリは、昔の男たちが去っても、このように彼女に傾倒する男たちにとって、守ってあげなきゃいけない女の子No1の座を守り続けていた。

 実は、一部改心した彼女は、男たちからの貢物の中で、自分が気に入らないものだけを、フェルミにプレゼントしてあげていたのである。
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