6 / 84
3
しおりを挟む
赤ん坊は、バスケットに乗せられたまま厳かな建物に運ばれた。泣き疲れたのか、眠っている。彼女の頬を拭う手はない。その頬は、涙で濡れて光っていた。
迎えに来ていたメイド長と、彼女を運ぶ屈強な男のほかに、瞳を開けた時から側にいなかった両親の姿もある。
「あなた、どうしてあれにも儀式を?」
「……あの子にも、女神様は立派なスキルを授けられておられるはずだ。きっと、人々の役に立つ緑の手のな」
「恐ろしい武器を作る岩の神か、野蛮な戦好きの火の国の神の祝福かもしれませんわね……」
鉱物の色を持つ民は、岩の国の出身者が多い。金色の瞳は火の国だが、そこでも非常に稀なことである。
「おい、ブロック王国は工具や宝石を、フレイム国は料理や冬季の暖を、我がグリーン国にもたらしてくださっている。滅多なことを言うな」
「だって……」
「何度も話し合っただろう? これで、この子が緑の祝福を得られているのなら、きちんと受け入れると。髪や瞳の色がなんだ。それとも、私には言えない事情でもあるのか?」
「いいえ、いいえ! わたくしにはあなたに言えないことなど、何一つありません!」
「なら、きちんと母として、あの子、フェルミを見てやれ。命の危険があった出産だったからか、非常に乱れていた心もずいぶん落ち着いただろう? 取り違えはありえない。あの子は、れっきとした私たちの子なんだ」
「……」
夫の言葉に、夫だって子供に一切かまわなかったことや、なぜ母だというだけで自分にばかりおしつけるのかと、この話題がのぼるたびに、胸の中に夫への不満が募る。
それでも、神殿の中では他人の目がありすぎる。今日は親戚一同もフェルミの儀式を見守っていた。すでに彼らがフェルミを、そして妻をどう見てどのような噂をしているのかは知っている。そんなかで、夫の機嫌まで損ねれば、本当に孤立無援になるだろう。
幸い、平民と違って自ら子供を抱っこする必要はない。
彼の妻にとって、すでに、あの子供は自分にとっては到底受け入れることのできない存在になっていた。視界に入れることすら難しいのに、体に触れるなど体が震えて不可能だ。表面上は、子供を慈しんいるかのように微笑みながら、バスケットを運ばせ、神官長の前まで移動した。
長い祝詞のあと、神官長がバスケットの中の赤ん坊を見る。その頬を見て、内心眉を寄せた。視線をさっと見渡すと、何かを悟ったようだ。
(祝福されるべき子供が……なんといたわしい……)
「豊穣の女神様のご加護があらんことを……」
この子にどうか幸せが訪れるようにと、彼は常になく祈りを捧げた。彼の持つ、自らが光を放つ枝は、豊穣の女神はこの国に最初に植えたものだとされる、樹齢800年は超えている大樹のものだ。儀式の時に、それを一枝いただき子供にかざす。そうすることで、枝はまばゆい光を放ち、子供がどのようなスキルを得たのか知らせてくれる。
その枝は、子供が亡くなるまで枯れることはない。つまり、枯れる時は、その人生が終わりを迎えた時のみなのである。
しかし、その枝は光を徐々に弱くした。どことなく、暗闇がその周囲を包み込んでいるようにも見える。彼女を、というよりもバスケットと神官長を見ていた人々から悲鳴があがった。
「馬鹿な……。瞬く間に枯れたぞ!」
「夫を裏切った女が産んだ、他国の血が混じった子供であっても、枯れることなどあり得ない!」
親戚の列から、耳を塞ぎたくなるような言葉が次々放たれる。伯爵は完全に我を忘れて、それらの無礼な言動をとがめることすらできない。彼の妻は、かくりと糸の切れた人形のように床に沈み込む。それを助け起こすこともなく、微動だにせず枯れ果てた枝と我が子を見続けていた。
神官長は、枯れた枝を落とすこともできず、呆然としたまま例年通り赤ん坊の胸にその枝を置いた。それは、彼が数百、数千人にしてきていた神聖な儀礼であり、呆然自失としていても、それらが染み込んだ体が勝手にそうしたとしか言いようがない。動作が完了してから、置いてしまって良かったのだろうかと自問自答し悔やんだ。
そこに、重厚な声が響いた。
「女神様のお怒りなのだろう。その怒りは、一体誰のせいなのか。赤錆色の赤ん坊が産まれたと聞いた時、やはり母親ごと追い出せばよかったんだ。息子がどうしてもというから、たかが男爵家の娘と結婚させてやったというのに。由緒あるロキソ伯爵家に泥を塗りよって……」
「父上、お待ちください! 妻は……、この子は……!」
「皆のもの、今日の件は最初からなかった。残念極まりないが、半年前ロキソ伯爵家に産まれた子は、今日を迎えることなく天に召されてしまっていた。いいな?」
伯爵の言葉は、彼によって全てを拒絶された。何をどう言おうとも、彼も目の当たりにした現実がそれらを空虚なものにするだろう。
親戚一同は、一斉に口を閉じて頭を垂れた。ひとことでも口外すれば、彼に粛清されるだろう。
バスケットの中では、そんな周囲の喧噪も知らず、フェルミはすやすやと寝息を立てて眠っていたのである。
迎えに来ていたメイド長と、彼女を運ぶ屈強な男のほかに、瞳を開けた時から側にいなかった両親の姿もある。
「あなた、どうしてあれにも儀式を?」
「……あの子にも、女神様は立派なスキルを授けられておられるはずだ。きっと、人々の役に立つ緑の手のな」
「恐ろしい武器を作る岩の神か、野蛮な戦好きの火の国の神の祝福かもしれませんわね……」
鉱物の色を持つ民は、岩の国の出身者が多い。金色の瞳は火の国だが、そこでも非常に稀なことである。
「おい、ブロック王国は工具や宝石を、フレイム国は料理や冬季の暖を、我がグリーン国にもたらしてくださっている。滅多なことを言うな」
「だって……」
「何度も話し合っただろう? これで、この子が緑の祝福を得られているのなら、きちんと受け入れると。髪や瞳の色がなんだ。それとも、私には言えない事情でもあるのか?」
「いいえ、いいえ! わたくしにはあなたに言えないことなど、何一つありません!」
「なら、きちんと母として、あの子、フェルミを見てやれ。命の危険があった出産だったからか、非常に乱れていた心もずいぶん落ち着いただろう? 取り違えはありえない。あの子は、れっきとした私たちの子なんだ」
「……」
夫の言葉に、夫だって子供に一切かまわなかったことや、なぜ母だというだけで自分にばかりおしつけるのかと、この話題がのぼるたびに、胸の中に夫への不満が募る。
それでも、神殿の中では他人の目がありすぎる。今日は親戚一同もフェルミの儀式を見守っていた。すでに彼らがフェルミを、そして妻をどう見てどのような噂をしているのかは知っている。そんなかで、夫の機嫌まで損ねれば、本当に孤立無援になるだろう。
幸い、平民と違って自ら子供を抱っこする必要はない。
彼の妻にとって、すでに、あの子供は自分にとっては到底受け入れることのできない存在になっていた。視界に入れることすら難しいのに、体に触れるなど体が震えて不可能だ。表面上は、子供を慈しんいるかのように微笑みながら、バスケットを運ばせ、神官長の前まで移動した。
長い祝詞のあと、神官長がバスケットの中の赤ん坊を見る。その頬を見て、内心眉を寄せた。視線をさっと見渡すと、何かを悟ったようだ。
(祝福されるべき子供が……なんといたわしい……)
「豊穣の女神様のご加護があらんことを……」
この子にどうか幸せが訪れるようにと、彼は常になく祈りを捧げた。彼の持つ、自らが光を放つ枝は、豊穣の女神はこの国に最初に植えたものだとされる、樹齢800年は超えている大樹のものだ。儀式の時に、それを一枝いただき子供にかざす。そうすることで、枝はまばゆい光を放ち、子供がどのようなスキルを得たのか知らせてくれる。
その枝は、子供が亡くなるまで枯れることはない。つまり、枯れる時は、その人生が終わりを迎えた時のみなのである。
しかし、その枝は光を徐々に弱くした。どことなく、暗闇がその周囲を包み込んでいるようにも見える。彼女を、というよりもバスケットと神官長を見ていた人々から悲鳴があがった。
「馬鹿な……。瞬く間に枯れたぞ!」
「夫を裏切った女が産んだ、他国の血が混じった子供であっても、枯れることなどあり得ない!」
親戚の列から、耳を塞ぎたくなるような言葉が次々放たれる。伯爵は完全に我を忘れて、それらの無礼な言動をとがめることすらできない。彼の妻は、かくりと糸の切れた人形のように床に沈み込む。それを助け起こすこともなく、微動だにせず枯れ果てた枝と我が子を見続けていた。
神官長は、枯れた枝を落とすこともできず、呆然としたまま例年通り赤ん坊の胸にその枝を置いた。それは、彼が数百、数千人にしてきていた神聖な儀礼であり、呆然自失としていても、それらが染み込んだ体が勝手にそうしたとしか言いようがない。動作が完了してから、置いてしまって良かったのだろうかと自問自答し悔やんだ。
そこに、重厚な声が響いた。
「女神様のお怒りなのだろう。その怒りは、一体誰のせいなのか。赤錆色の赤ん坊が産まれたと聞いた時、やはり母親ごと追い出せばよかったんだ。息子がどうしてもというから、たかが男爵家の娘と結婚させてやったというのに。由緒あるロキソ伯爵家に泥を塗りよって……」
「父上、お待ちください! 妻は……、この子は……!」
「皆のもの、今日の件は最初からなかった。残念極まりないが、半年前ロキソ伯爵家に産まれた子は、今日を迎えることなく天に召されてしまっていた。いいな?」
伯爵の言葉は、彼によって全てを拒絶された。何をどう言おうとも、彼も目の当たりにした現実がそれらを空虚なものにするだろう。
親戚一同は、一斉に口を閉じて頭を垂れた。ひとことでも口外すれば、彼に粛清されるだろう。
バスケットの中では、そんな周囲の喧噪も知らず、フェルミはすやすやと寝息を立てて眠っていたのである。
11
お気に入りに追加
150
あなたにおすすめの小説
孕まされて捨てられた悪役令嬢ですが、ヤンデレ王子様に溺愛されてます!?
季邑 えり
恋愛
前世で楽しんでいた十八禁乙女ゲームの世界に悪役令嬢として転生したティーリア。婚約者の王子アーヴィンは物語だと悪役令嬢を凌辱した上で破滅させるヤンデレ男のため、ティーリアは彼が爽やかな好青年になるよう必死に誘導する。その甲斐あってか物語とは違った成長をしてヒロインにも無関心なアーヴィンながら、その分ティーリアに対してはとんでもない執着&溺愛ぶりを見せるように。そんなある日、突然敵国との戦争が起きて彼も戦地へ向かうことになってしまう。しかも後日、彼が囚われて敵国の姫と結婚するかもしれないという知らせを受けたティーリアは彼の子を妊娠していると気がついて……
【R18】軍人彼氏の秘密〜可愛い大型犬だと思っていた恋人は、獰猛な獣でした〜
レイラ
恋愛
王城で事務員として働くユフェは、軍部の精鋭、フレッドに大変懐かれている。今日も今日とて寝癖を直してやったり、ほつれた制服を修繕してやったり。こんなにも尻尾を振って追いかけてくるなんて、絶対私の事好きだよね?絆されるようにして付き合って知る、彼の本性とは…
◆ムーンライトノベルズにも投稿しています。
大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました
扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!?
*こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。
――
ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。
そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。
その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。
結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。
が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。
彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。
しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。
どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。
そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。
――もしかして、これは嫌がらせ?
メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。
「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」
どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……?
*WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。
慰み者の姫は新皇帝に溺愛される
苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。
皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。
ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。
早速、二人の初夜が始まった。
極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました
白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。
あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。
そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。
翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。
しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。
**********
●早瀬 果歩(はやせ かほ)
25歳、OL
元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。
●逢見 翔(おうみ しょう)
28歳、パイロット
世界を飛び回るエリートパイロット。
ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。
翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……?
●航(わたる)
1歳半
果歩と翔の息子。飛行機が好き。
※表記年齢は初登場です
**********
webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です!
完結しました!
スパダリ猟犬騎士は貧乏令嬢にデレ甘です!【R18/完全版】
鶴田きち
恋愛
★初恋のスパダリ年上騎士様に貧乏令嬢が溺愛される、ロマンチック・歳の差ラブストーリー♡
★貧乏令嬢のシャーロットは、幼い頃からオリヴァーという騎士に恋をしている。猟犬騎士と呼ばれる彼は公爵で、イケメンで、さらに次期騎士団長として名高い。
ある日シャーロットは、ひょんなことから彼に逆プロポーズしてしまう。オリヴァーはそれを受け入れ、二人は電撃婚約することになる。婚約者となった彼は、シャーロットに甘々で――?!
★R18シーンは第二章の後半からです。その描写がある回はアスタリスク(*)がつきます
★ムーンライトノベルズ様では第二章まで公開中。(旧タイトル『初恋の猟犬騎士様にずっと片想いしていた貧乏令嬢が、逆プロポーズして電撃婚約し、溺愛される話。』)
★エブリスタ様では【エブリスタ版】を公開しています。
★「面白そう」と思われた女神様は、毎日更新していきますので、ぜひ毎日読んで下さい!
その際は、画面下の【お気に入り☆】ボタンをポチッとしておくと便利です。
いつも読んで下さる貴女が大好きです♡応援ありがとうございます!
冷酷無比な国王陛下に愛されすぎっ! 絶倫すぎっ! ピンチかもしれませんっ!
仙崎ひとみ
恋愛
子爵家のひとり娘ソレイユは、三年前悪漢に襲われて以降、男性から劣情の目で見られないようにと、女らしいことを一切排除する生活を送ってきた。
18歳になったある日。デビュタントパーティに出るよう命じられる。
噂では、冷酷無悲な独裁王と称されるエルネスト国王が、結婚相手を探しているとか。
「はあ? 結婚相手? 冗談じゃない、お断り」
しかし両親に頼み込まれ、ソレイユはしぶしぶ出席する。
途中抜け出して城庭で休んでいると、酔った男に絡まれてしまった。
危機一髪のところを助けてくれたのが、何かと噂の国王エルネスト。
エルネストはソレイユを気に入り、なんとかベッドに引きずりこもうと企む。
そんなとき、三年前ソレイユを助けてくれた救世主に似た男性が現れる。
エルネストの弟、ジェレミーだ。
ジェレミーは思いやりがあり、とても優しくて、紳士の鏡みたいに高潔な男性。
心はジェレミーに引っ張られていくが、身体はエルネストが虎視眈々と狙っていて――――
【完結】お義父様と義弟の溺愛が凄すぎる件
百合蝶
恋愛
お母様の再婚でロバーニ・サクチュアリ伯爵の義娘になったアリサ(8歳)。
そこには2歳年下のアレク(6歳)がいた。
いつもツンツンしていて、愛想が悪いが(実話・・・アリサをーーー。)
それに引き替え、ロバーニ義父様はとても、いや異常にアリサに構いたがる!
いいんだけど触りすぎ。
お母様も呆れからの憎しみも・・・
溺愛義父様とツンツンアレクに愛されるアリサ。
デビュタントからアリサを気になる、アイザック殿下が現れーーーーー。
アリサはの気持ちは・・・。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる