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女神の決めた最上級のハッピーエンドなんていらない! 私は、私の気持ちのまま行くわ! ④
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私は、とても幸せなんだと思う。こっちに転生して来て、母はアレだけれども、お母さんたちがいた。すくすく育ち、お母さんたちと離れても、孤児院でこうしてかけがえのない人たちと出会った。
一時期、貴族令嬢としての生き方を余儀なくされた数年は、窮屈だったけれど、父と兄たちが彼らなりに私を愛してくれているのを知った。
母とは今も存在すら遠く、あの人とはもう接点のないままなのだろうと少し寂しさを覚えるけれども、これでいいのかもしれないと、自然に思えるようになったのはここ数年の事だ。
サンタクロース協会は考えた以上にブラック体勢だった。それでも、仲の良い人たちに囲まれて、沢山の恋人たちの幸せそうな姿を見る事ができて7割ほどは満足のいく仕事だと思う。
ずっと一緒に仕事をしてくれていたトナカイちゃんは、私の引退とともにトナカイさんと山奥で幸せに暮らしている。可愛いチビトナカイたちにも出会えた。
今日、ひょっとしたらライノに正式に求婚されると思っていた。だって、この地方ではそういう日だから。絶好のこの日を彼が逃すわけはない。
きっと、転生の女神が言っていた二つのハッピーエンドのひとつは、ライノの事だとなぜか確信している。彼なら、私一筋でとても大切に、幸せにしてくれるだろう。
差し出されるこの手を取り、用意された指輪をはめて貰えば絶対幸せになれるのに、心のどこかが、本当にそれでいいのかと警鐘を鳴らす。
ちょっとした視線も、薄水色の優しい瞳も、私の知るライノで間違いないのに、見知らぬ青年のように感じて胸がドキドキしてしまうのはなぜだろう。
「エミリア……?」
じっと、立ちすくんで片膝をついた素敵な男性を見る。この手をとれば、幸せになれる、なのに、どうしても、私の指先は、彼の差し出す手のひらの上に行くことはなかった。
「ライノ、ごめん、なさい……」
いつの間にか、頬に沢山の涙が流れ落ちていた。口がわななき、ぐちゃぐちゃに潰されたマッシュポテトのように不格好になった顔を隠しもせず、震える声で彼にぽつりと答えたその内容にびっくりしたのは彼よりも私なのかもしれない。
「……」
「ごめんなさ……。ごめん……ごめんなさい……」
謝罪の言葉は、彼の求婚に対する答えでもある。それでもまだ、彼は一縷の望みを抱いて姿勢を保ったまま私を呼んだ。
「エミリア……。愛している、愛してます……。ずっと、ずっとだ。俺に足りないものがあるのなら必ず補ってみせる。だから……」
私は、ぶんぶんと首を振った。涙が左右に振られて、水の流れが広がり、肌により一層不快感を生じさせた。
「ちが……。違うの。わ、わたしぃ……ラ、ライノと一緒にぃ、過ごしたら……ひっく……。絶対しあわせで! だから……、でも……ダメなの……」
私に、誰よりも幸せになれと、去っていったほんの少しの間だけ保護したハムチュターンの彼が住んでいた箱は、なぜか捨てる事が出来なかった。ひょっこり、また出会った時のように再会できるかもなんて思ったのだ。
濃密なあのひと月未満で、すっかりあのハムチュターンは、異性としてなのか、可愛い愛玩動物的な存在としてなのかはわからないけれども、私の心に住み着いてしまった。人の姿を見た事もないし、髪の色も、背もなにも知らない事に、彼が去って行ってから気づいた時は立ちすくんでしまった。
ダンが去ってから、家に帰ってもシーンとした空間で一人過ごす。彼がいない時も、確かに一人で過ごしていたはずなのにどうやって過ごしていたのか分からないほど時間を持て余した。彼がいた場所についつい視線を移動してしまいため息を吐く日々。
彼はもう二度と私の前に現れる事はないんだなあと、思えるようになってからそうは日が経っていない。
ずっと、ライノとの事を、ライラと一緒にいる昼間にも、家に帰ってから一人でいる夜も考えた。考えて、考えて。
……そして、私はどうしていいのかわからなくなった。
迷子の小さな女の子のように、まるで空中に頼りなく放り出されたような気になった時、ふと、私の名を呼ぶ、優しい声が記憶のほんの片隅にあった。
『エミリア……』
その声は、とても低くて聞いた事なんてない。でも、いつも聞いていたような気もして。
ライノの言葉に、ドキドキしてしまうのは、きっと好きになっているからだ。そうに違いない。だって、彼はずっと私を好きだし。貴族だし。傷つけないし。浮気なんてしないだろうし。イケメンだし。
それから、それから……
自分の心の事なのに、なぜこんなに言い聞かせるように、ライノの素敵な所を探し出して理由をどんどんつけるのかもわからなかった。
幻想のような宙ぶらりんの自分の気持ちがはっきりしない以上、あまりライノに近づきすぎないように気を付けていた。ライラといる以外は、ライノとあまり二人きりにもならないようにしていても、彼が私を想う気持ちは変わらないどころか、もっと深く大きくなっていっていると察して、どうしよう、どうしようって日々戸惑いが強くなっていったのである。
「ごめんなさい……」
「……、あいつが、ダンが好きなのか? あいつと、もう結婚するのか?」
ライノが立ち上がり、長い溜息をつくと私にこう聞いて来た。
「ダンとは、あれっきり会ってないし手紙すらやりとりしていない。人化した姿も、鳴き声以外の言葉も知らなくて。だから、ダンの事は関係ないの。ただ、……わからない。自分の気持ちがわからないの。自分でも、どうしていいのかわからなくて……でも、違うの。ごめんなさい……」
「俺と、結婚してから愛を育む、そんな未来も無理?」
「ごめんなさい」
バカの一つ覚えのように、ごめんなさいと5文字を紡ぐこの口が悔しくて、情けなくて、こんなに私を想ってくれる人を悲しませる自分自身に腹が立つ。
でも、ライノとはちがうと思った。
「……フラれちまったぁ……」
ライノが、まだ明るく地上を照らす太陽を眩しそうに見上げた。目を瞬かせて、そして、きゅっと口を結んだ。
「俺をフったこと、後悔するぞ?」
そういう彼の表情は、やっぱり優しい。私の心に負担が大きすぎないようにわざとそんな風な憎まれ口をたたいてくれる。
「うん」
「ダンと、上手くいかなかったらどうするんだ? そもそも、人化した姿もなにも知らないままなんだろう?」
「……わからない。ダンともどうしていいのかわかんなくて。でも、人化したら絶対に話をするっていう約束もほったらかしで、挨拶一つなかったから、会いに行きたいなって思う」
「エミリアが、今、会いたいのは、俺じゃなくてダンなんだなあ……くそっ……」
ぽつりと、ライノが最後に何かを呟いたようだが、よく聞き取れなかった。
一時期、貴族令嬢としての生き方を余儀なくされた数年は、窮屈だったけれど、父と兄たちが彼らなりに私を愛してくれているのを知った。
母とは今も存在すら遠く、あの人とはもう接点のないままなのだろうと少し寂しさを覚えるけれども、これでいいのかもしれないと、自然に思えるようになったのはここ数年の事だ。
サンタクロース協会は考えた以上にブラック体勢だった。それでも、仲の良い人たちに囲まれて、沢山の恋人たちの幸せそうな姿を見る事ができて7割ほどは満足のいく仕事だと思う。
ずっと一緒に仕事をしてくれていたトナカイちゃんは、私の引退とともにトナカイさんと山奥で幸せに暮らしている。可愛いチビトナカイたちにも出会えた。
今日、ひょっとしたらライノに正式に求婚されると思っていた。だって、この地方ではそういう日だから。絶好のこの日を彼が逃すわけはない。
きっと、転生の女神が言っていた二つのハッピーエンドのひとつは、ライノの事だとなぜか確信している。彼なら、私一筋でとても大切に、幸せにしてくれるだろう。
差し出されるこの手を取り、用意された指輪をはめて貰えば絶対幸せになれるのに、心のどこかが、本当にそれでいいのかと警鐘を鳴らす。
ちょっとした視線も、薄水色の優しい瞳も、私の知るライノで間違いないのに、見知らぬ青年のように感じて胸がドキドキしてしまうのはなぜだろう。
「エミリア……?」
じっと、立ちすくんで片膝をついた素敵な男性を見る。この手をとれば、幸せになれる、なのに、どうしても、私の指先は、彼の差し出す手のひらの上に行くことはなかった。
「ライノ、ごめん、なさい……」
いつの間にか、頬に沢山の涙が流れ落ちていた。口がわななき、ぐちゃぐちゃに潰されたマッシュポテトのように不格好になった顔を隠しもせず、震える声で彼にぽつりと答えたその内容にびっくりしたのは彼よりも私なのかもしれない。
「……」
「ごめんなさ……。ごめん……ごめんなさい……」
謝罪の言葉は、彼の求婚に対する答えでもある。それでもまだ、彼は一縷の望みを抱いて姿勢を保ったまま私を呼んだ。
「エミリア……。愛している、愛してます……。ずっと、ずっとだ。俺に足りないものがあるのなら必ず補ってみせる。だから……」
私は、ぶんぶんと首を振った。涙が左右に振られて、水の流れが広がり、肌により一層不快感を生じさせた。
「ちが……。違うの。わ、わたしぃ……ラ、ライノと一緒にぃ、過ごしたら……ひっく……。絶対しあわせで! だから……、でも……ダメなの……」
私に、誰よりも幸せになれと、去っていったほんの少しの間だけ保護したハムチュターンの彼が住んでいた箱は、なぜか捨てる事が出来なかった。ひょっこり、また出会った時のように再会できるかもなんて思ったのだ。
濃密なあのひと月未満で、すっかりあのハムチュターンは、異性としてなのか、可愛い愛玩動物的な存在としてなのかはわからないけれども、私の心に住み着いてしまった。人の姿を見た事もないし、髪の色も、背もなにも知らない事に、彼が去って行ってから気づいた時は立ちすくんでしまった。
ダンが去ってから、家に帰ってもシーンとした空間で一人過ごす。彼がいない時も、確かに一人で過ごしていたはずなのにどうやって過ごしていたのか分からないほど時間を持て余した。彼がいた場所についつい視線を移動してしまいため息を吐く日々。
彼はもう二度と私の前に現れる事はないんだなあと、思えるようになってからそうは日が経っていない。
ずっと、ライノとの事を、ライラと一緒にいる昼間にも、家に帰ってから一人でいる夜も考えた。考えて、考えて。
……そして、私はどうしていいのかわからなくなった。
迷子の小さな女の子のように、まるで空中に頼りなく放り出されたような気になった時、ふと、私の名を呼ぶ、優しい声が記憶のほんの片隅にあった。
『エミリア……』
その声は、とても低くて聞いた事なんてない。でも、いつも聞いていたような気もして。
ライノの言葉に、ドキドキしてしまうのは、きっと好きになっているからだ。そうに違いない。だって、彼はずっと私を好きだし。貴族だし。傷つけないし。浮気なんてしないだろうし。イケメンだし。
それから、それから……
自分の心の事なのに、なぜこんなに言い聞かせるように、ライノの素敵な所を探し出して理由をどんどんつけるのかもわからなかった。
幻想のような宙ぶらりんの自分の気持ちがはっきりしない以上、あまりライノに近づきすぎないように気を付けていた。ライラといる以外は、ライノとあまり二人きりにもならないようにしていても、彼が私を想う気持ちは変わらないどころか、もっと深く大きくなっていっていると察して、どうしよう、どうしようって日々戸惑いが強くなっていったのである。
「ごめんなさい……」
「……、あいつが、ダンが好きなのか? あいつと、もう結婚するのか?」
ライノが立ち上がり、長い溜息をつくと私にこう聞いて来た。
「ダンとは、あれっきり会ってないし手紙すらやりとりしていない。人化した姿も、鳴き声以外の言葉も知らなくて。だから、ダンの事は関係ないの。ただ、……わからない。自分の気持ちがわからないの。自分でも、どうしていいのかわからなくて……でも、違うの。ごめんなさい……」
「俺と、結婚してから愛を育む、そんな未来も無理?」
「ごめんなさい」
バカの一つ覚えのように、ごめんなさいと5文字を紡ぐこの口が悔しくて、情けなくて、こんなに私を想ってくれる人を悲しませる自分自身に腹が立つ。
でも、ライノとはちがうと思った。
「……フラれちまったぁ……」
ライノが、まだ明るく地上を照らす太陽を眩しそうに見上げた。目を瞬かせて、そして、きゅっと口を結んだ。
「俺をフったこと、後悔するぞ?」
そういう彼の表情は、やっぱり優しい。私の心に負担が大きすぎないようにわざとそんな風な憎まれ口をたたいてくれる。
「うん」
「ダンと、上手くいかなかったらどうするんだ? そもそも、人化した姿もなにも知らないままなんだろう?」
「……わからない。ダンともどうしていいのかわかんなくて。でも、人化したら絶対に話をするっていう約束もほったらかしで、挨拶一つなかったから、会いに行きたいなって思う」
「エミリアが、今、会いたいのは、俺じゃなくてダンなんだなあ……くそっ……」
ぽつりと、ライノが最後に何かを呟いたようだが、よく聞き取れなかった。
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