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命の恩人
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「えっと、あの、あの……」
違うんですって言いたいんだけど、言えない。言えるわけがない。この大歓迎ムードで。まるでご来店10万人目おめでとうキャンペーンのお客様扱いのようだ。
わたくしは、吹けば飛ぶような男爵家の末っ子長女でしかない。
「リフレーシュ嬢、よく見つけて届けてくれたね。君は息子の命の恩人だ」
対する相手は、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのある宰相閣下であらせられるるれれれるるるr侯爵様だ。ああ、思考すらままならない。お腹がぎゅるぎゅるして、胃に穴があきそう。普段から意見をはっきり伝えるほうではないし、身分が上すぎる尊い方々を前に、一文字だって口にするのすらおこがましいと感じる。
誰か助けて……!
「そ、そんな大した事はしてませんから……あの、あの……ぐ、偶然ですし。こ、侯爵様、そんな……命の恩人だなんて……」
「まあ、なんて奥ゆかしいお嬢さんなの。こういう時はお礼を強請る者ばかりだというのに。まあまあまあ、あなたのように心根の素敵な女の子に拾ってもらえるだなんて、本当に喜ばしい事。良かったわ、あなたが優しい子で」
「いえ、そんな……わたくしは当たり前の事をしたまでで。その、拾ってすぐに、もっと早くお届けするべきところでしたが……」
「いやいや。通常であれば、その辺に捨て置かれるような物なのだ。それをこうして持ち主を探し出して、我が家との伝手もないのに持って来てくれたんだ。ここまで来るのも大変だっただろう? これで息子も元気になる。本当にありがとう。息子はまだ臥せっていてね。変わりに礼を言う。息子とは快復次第改めて席を設けよう」
そうですか、それはよろしゅうございました。それでは、わたくしはこれで失礼致します。
と言って、足早に去りたい。だけど、今、いきなり帰るなんてとんでもない事である。
因みに、フレイムというのが、彼らのひとり息子さんで、この侯爵家の跡取り様だ。わたくしにとって、世界の違う高貴なるお方で、彼の落とし物を届けに来ただけだというのに、この待遇。ちょっと大げさすぎやしないだろうか。
今のわたくしの前には、にこやかな侯爵夫妻がいて、部屋にはわたくしよりもたぶん身分の高い侍女さんや執事さんとかがいる。
いったい、何人いるんだろう?
背後にもいるような気がする。ううん、絶対いる。しかも、部屋にいる全員が、わたくしに向かって満面の笑顔だ。
座るように促されたソファは、体がめり込んでしまっているほど柔らかい。腰を痛めたおじい様は、このソファが腰にとどめを刺すやつ。これが人をダメにするというソファかと馬鹿な事を考える。このソファ一つで我が家の月収の何か月分だろうか。
我が家には乳母とその娘のわたくしのお姉さん的存在のメイド兼侍女兼その他諸々の役職の人しかいない。勿論、わたくしも両親も家事手伝いはしているほどの貧乏。商家の平民のほうがセレブだろう。
乳母の娘のファーンは、なんと特待生として一緒の学園に入学してずっと側にいてくれる。ゴリラ獣人の彼女は怒らせると怖いが、とても過保護すぎるほど大切にしてくれている。そんな彼女こそ女神に違いない。
「息子にとって、アレはなくてはならない家宝のような、いや、比べものにならない命そのもののような物なのだ。唯一無二のお気に入りを失くしてしまって、この一週間、寝込んで何も食べられなくなった。もう餓死するしかないと、我々は諦めてかけていた。本当にありがとう」
学園で廊下を移動中に、ぽろっとポケットから落ちた、彼の大切な物を手に取ったのは偶然だった。すぐに追いかけて返さなきゃいけないのに、彼は王子様や、その他、わたくしにとって天上人である高貴な方々と、さっさと行ってしまった。
そんな彼らとは、挨拶すらまともにできない。だから、そのまま返さずに持ったままどうしようかと途方にくれた。
落とし物として、職員室に届けたら良かったのだ。だけど、その時はそんな考えはちっとも浮かばなかった。
嘘だ。本当は、すぐに届けなきゃって思った。思ったけど、拾った石は、初恋の憧れの人の落とし物だったから、ちょっとだけ、そう、ほんのちょっとだけでも、一瞬だけでも手に取ってみたかった。
手の中の石を、一時の温かい気持ちに浸りたくて胸の前で祈るように手で握りながら、素敵な彼の事を考えていた。
だけど、15分くらい経過した時に、彼が大事な物を失くしたって学園中が大騒動になってしまって。王子様はじめ、騎士まで総動員された。
あまりの事態に恐ろしくなって、彼の落とし物はわたくしが持ってますと、名乗り出るなんて無理だった。そんな勇気なんて、単なる貴族とはほとんど名ばかりの、その辺の雑草のようなウォンバット獣人のわたくしには持てなかったのである。
違うんですって言いたいんだけど、言えない。言えるわけがない。この大歓迎ムードで。まるでご来店10万人目おめでとうキャンペーンのお客様扱いのようだ。
わたくしは、吹けば飛ぶような男爵家の末っ子長女でしかない。
「リフレーシュ嬢、よく見つけて届けてくれたね。君は息子の命の恩人だ」
対する相手は、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのある宰相閣下であらせられるるれれれるるるr侯爵様だ。ああ、思考すらままならない。お腹がぎゅるぎゅるして、胃に穴があきそう。普段から意見をはっきり伝えるほうではないし、身分が上すぎる尊い方々を前に、一文字だって口にするのすらおこがましいと感じる。
誰か助けて……!
「そ、そんな大した事はしてませんから……あの、あの……ぐ、偶然ですし。こ、侯爵様、そんな……命の恩人だなんて……」
「まあ、なんて奥ゆかしいお嬢さんなの。こういう時はお礼を強請る者ばかりだというのに。まあまあまあ、あなたのように心根の素敵な女の子に拾ってもらえるだなんて、本当に喜ばしい事。良かったわ、あなたが優しい子で」
「いえ、そんな……わたくしは当たり前の事をしたまでで。その、拾ってすぐに、もっと早くお届けするべきところでしたが……」
「いやいや。通常であれば、その辺に捨て置かれるような物なのだ。それをこうして持ち主を探し出して、我が家との伝手もないのに持って来てくれたんだ。ここまで来るのも大変だっただろう? これで息子も元気になる。本当にありがとう。息子はまだ臥せっていてね。変わりに礼を言う。息子とは快復次第改めて席を設けよう」
そうですか、それはよろしゅうございました。それでは、わたくしはこれで失礼致します。
と言って、足早に去りたい。だけど、今、いきなり帰るなんてとんでもない事である。
因みに、フレイムというのが、彼らのひとり息子さんで、この侯爵家の跡取り様だ。わたくしにとって、世界の違う高貴なるお方で、彼の落とし物を届けに来ただけだというのに、この待遇。ちょっと大げさすぎやしないだろうか。
今のわたくしの前には、にこやかな侯爵夫妻がいて、部屋にはわたくしよりもたぶん身分の高い侍女さんや執事さんとかがいる。
いったい、何人いるんだろう?
背後にもいるような気がする。ううん、絶対いる。しかも、部屋にいる全員が、わたくしに向かって満面の笑顔だ。
座るように促されたソファは、体がめり込んでしまっているほど柔らかい。腰を痛めたおじい様は、このソファが腰にとどめを刺すやつ。これが人をダメにするというソファかと馬鹿な事を考える。このソファ一つで我が家の月収の何か月分だろうか。
我が家には乳母とその娘のわたくしのお姉さん的存在のメイド兼侍女兼その他諸々の役職の人しかいない。勿論、わたくしも両親も家事手伝いはしているほどの貧乏。商家の平民のほうがセレブだろう。
乳母の娘のファーンは、なんと特待生として一緒の学園に入学してずっと側にいてくれる。ゴリラ獣人の彼女は怒らせると怖いが、とても過保護すぎるほど大切にしてくれている。そんな彼女こそ女神に違いない。
「息子にとって、アレはなくてはならない家宝のような、いや、比べものにならない命そのもののような物なのだ。唯一無二のお気に入りを失くしてしまって、この一週間、寝込んで何も食べられなくなった。もう餓死するしかないと、我々は諦めてかけていた。本当にありがとう」
学園で廊下を移動中に、ぽろっとポケットから落ちた、彼の大切な物を手に取ったのは偶然だった。すぐに追いかけて返さなきゃいけないのに、彼は王子様や、その他、わたくしにとって天上人である高貴な方々と、さっさと行ってしまった。
そんな彼らとは、挨拶すらまともにできない。だから、そのまま返さずに持ったままどうしようかと途方にくれた。
落とし物として、職員室に届けたら良かったのだ。だけど、その時はそんな考えはちっとも浮かばなかった。
嘘だ。本当は、すぐに届けなきゃって思った。思ったけど、拾った石は、初恋の憧れの人の落とし物だったから、ちょっとだけ、そう、ほんのちょっとだけでも、一瞬だけでも手に取ってみたかった。
手の中の石を、一時の温かい気持ちに浸りたくて胸の前で祈るように手で握りながら、素敵な彼の事を考えていた。
だけど、15分くらい経過した時に、彼が大事な物を失くしたって学園中が大騒動になってしまって。王子様はじめ、騎士まで総動員された。
あまりの事態に恐ろしくなって、彼の落とし物はわたくしが持ってますと、名乗り出るなんて無理だった。そんな勇気なんて、単なる貴族とはほとんど名ばかりの、その辺の雑草のようなウォンバット獣人のわたくしには持てなかったのである。
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