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 クローザが見つけた手紙には、今の当主をしているのは、前当主の弟夫婦の子であり、血を分けた正統派後継者はブラインだと書いてあった。
 子供が産まれたら、ドゥーアの養子縁組は無効になるという契約をしていたので、契約通り、ドゥーアの継承権をなかったことにしたいという文章まである。

「ふむふむ、長い間子供に恵まれなかったから、弟夫婦さんの子供を養子にしたと。で、そうしたらすぐにブラインさんが産まれたってわけね。あるあるですねぇ」

 ブラインは、手紙を何度も読み返している。弟夫婦も亡くなっており、当時を知る使用人もほぼいない。

「幼い子供をあっちこっちに行かせるわけにもいかないから、ドゥーアは責任を持ってチョウツガイ侯爵家で教育をして、成長すれば弟夫婦の家を継ぐことになったってわけか。でも、現状はあいつが当主でブラインさんは……。かなりおかしいことになっているわね。ねぇ、あいつもこのことを知っているのかしら?」
「そうかもしれませんね。いくら、ご両親が亡くなった切っ掛けがブラインさんにあるとはいえ、あまりにも冷遇すぎます。もしかしたら、立場を脅かされないように、わざとひどく扱っていたのかも」
「そう考えるのが妥当よねぇ。昔ながらの使用人も数人残っているし、関係者全員が絶対にわざとね」

 いわれのないことで虐待を受けて、下働きをしながら、傭兵や暗殺のようなことまでさせられていた彼に、なんともいえない感情がわく。まじまじ彼を見ても、真剣な表情で手紙を注視していた。手がかすかに震えているくらいで反応がない。

「今更、知ってもねぇ……」
「逃げている途中ですからねぇ……」

 クローザと、このまま引き返して下剋上というか、悪者を退治してブラインを侯爵にさせるには、タイミングも仲間も証拠もなにもかもが足らなさ過ぎる。
 船はとっくに出港しているから、物理的に今すぐひきかえせないにしても、たとえ引き返せる距離であったとしても、あの家に再び入りたくはない。

 ラッチも、今は味方だけど、これを知ったら絶対に手のひらを返してくるだろう。ちょっと考えただけでも、危険だし面倒くさすぎる。

「そうだ、この手紙も、本当かどうかもわかんないし!」
「本物です……。この文字は父の筆跡ですし、手紙と同封されている契約書のここに当主の印とサインもあります。父の下に書かれたサインは、恐らく叔父のものでしょう。こちらの印は、今は当主がいないために、侯爵家が管理している分家のものでまちがいありません……」

 ブラインの説明を聞き、ますます頭が痛くなってきた。見つけたクローザを恨めしく見つめると、彼女もやっかいな物を持ってきたと複雑な表情をしている。

「あー、当事者であるブラインさんが知った以上、ごまかしたりなかったことには出来ない、ですよね。ね、ブラインさん。あなたはどうしたい? 侯爵家が欲しいなら、手を貸すわ。私、こういうの大嫌いなの。実家に帰れば協力が得られるし。正式な手順を踏むだけで、あなたは侯爵よ。色々問題が発生しちゃうけれども」
「……俺は、よくわかりません」

 それもそうだろう。彼はずっと罪悪感を抱いてきた。侯爵家で亡き者扱いになっていると知ったばかりで、やっとあの家と決別しようとしているところなのだから。いきなり、こんな事実を知ったところで、すぐに答えなどでるはずがない。

「そうですよね。でも、ブラインさん、あまり時間はないと思いますよ? きっと、トッティさんのご両親は、私の境遇を知った瞬間、激怒りして侯爵の取り潰しを要求するはずです。だから、侯爵家が取り潰されてから気が変わって、やっぱり両親の残した侯爵家の当主として頑張ろうって思っても無理だと思いますよ? そうですねぇ、オシェアニィのうちの家に帰るまでに返事をもらいたいです。いいかしら?」

 厳しい現実に、さらに追い打ちをかける。我ながら、血も涙もない言い草だと思うが、期限を決めて、このくらいはっきり言わないと、ずるずる返事がないままだろう。

 一月、半年、一年と経過していくうちに、侯爵家がどうなるのかわからない。取り潰しがなかったとしても、ラッチとの子ができでもすれば、偽物のクズ侯爵は、盤石の地位を固めてしまう。

 じっと動かないブラインに、クローザが淹れたコーヒーを差し出す。大柄な彼は、以外にも甘党だ。角砂糖と3つ入れてかき混ぜる。

「取り敢えず、これでも飲んでー。まだ数日ありますし。ほら、アメちゃんいる?」

 彼好みにしたコーヒーにも口をつけない。私は、手作りの、「好機」と一筆書きの漢字のべっこうあめをその口に押し込んだ。

「ブラインさん、甲板にでましょうか」

 口に、好機の上部分を口に咥えたままの彼の手をひっぱる。

「ほら、早く!」

 ちょうど夕暮れ時だ。今から太陽が沈み、夜に変化する。クローザを誘ったが、「おふたりでどうぞ」と断られた。彼女も、今のブラインさんとどう接していいのかわからないのだろう。

「わぁ、見て下さい!」

 甲板に出ると、びゅうっと心地良い海の風が吹いていた。私達の髪を乱しながら、あっという間にどこかに向かったと同時に、次の風がやってくる。

「アカネ様、危ないですから」
「ふふ、魔法で保護されているし、万が一のことがあっても、ブラインさんが助けてくれるでしょう? 絶対に落ちないわよ」

 私がそう言い切ると、彼は微笑んだ。それは、いつもよりも力がない。

 ふたり並んで、太陽が水平線の彼方に沈むのを眺めると、私達の悩みなんて、とてもちっぽけに思えた。

「色々複雑だろうけど、私はあなたの味方ですから。あなたがしたいことが出来るように、全力でバックアップします」
「アカネ様……」
「力が足らなかったらごめんなさいだけど」
「いえ、そのお気持ちだけで……」

 太陽が完全に月に変わる。今日の月はほぼ満月なのか、やたらと大きくてうっすらと明るい。

「アカネ様、俺、手紙を読んでから、ずっと考えていたんです。あまりにも荷が重いですし、どちらを選んでも辛くて苦しいですから」
「うんうん、じっくり考えたらいいと思うわ。いつか、選んだ方を後悔することがあるかもしれないけれど、たくさん悩んで決める今が大事だもの」

「俺の悩みは、アカネ様が考えているようなものじゃないんです」
「……? じゃあ、なんですか?」

「このまま逃げるだけでは、俺は出生不明の平民のまま。かといって、侯爵としての身分を手に入れたら、あの家に戻らなくてはなりません」
「ええ、そうなりますよね? だから、うちが力になるから安心してって言ってるんだけど」
「そうじゃないんです……」


 私は、ゆっくり、言いづらそうに続く彼の言葉に目を見開き、彼の黒い瞳から目を離せなくなったのである。
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