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エレベーターが1階に降りるまでの数秒がやけに長い。
互いに無言のまま、ふたりきりの小さな箱は、世界中の居心地の悪いランキング上位になっているだろう。
「着きましたよ」
開のボタンを押して、讃呂さんにさっさとでろと丁寧に伝えた。だけど、いつまで経っても彼は出ていかない。
なら、私が出ていこうとボタンから指を離して一歩踏み出した。すると、体を引っ張られてエレベーターの中に戻される。
「な、ななな、なんですかー?」
突然のことでびっくりした。横幅はともかく、縦幅では圧倒的に負けている彼を見上げる。何を思ったのか、讃呂さんは閉と最上階のボタンを押した。
なんなの? いくら私に不満があるからって、これはひどくない?
耳鳴りが少ないように設計されたエレベーターは、あっという間に最上階で止まった。
この階は、おしゃれなバーなどが入っている。夜景を見ながらデートするスポットとして有名だ。
「こっちです」
手を引かれ、なんとはなしについていく。思った通りというかなんというか、バーに普通につれてこられ、角にある窓に向けられた二人がけソファに座らされた。
「あの、讃呂さん?」
戸惑っていると、隣に当たり前のように座られた。彼の体が沈み込んだせいで、そっちに体が傾く。居心地がわるくて、もぞもぞ体を離した。
「これは一体? あの、帰りたいんですけど」
夕食を誘われたわけではない。いきなりこんな場所に連れてきてどういうつもりだ。夜も遅いし、早く帰らないとパパたちが心配する。
「突然すみません、今日しかないって思って。ちょっとだけ付き合ってください。あー……」
讃呂さんは常連なのか、ウエイターがアルコールを持ってきた。
彼は、鮮やかなグリーンのカクテルを一気にあおると、私に真剣に向き合うように体を傾けた。
「あの、日掛さん。俺、あなたに言いたいことが。いや、謝罪しなきゃいけなくて。ええと……」
普段の彼からは想像できないくらい緊張しているみたい。要領を得ない言葉が繰り返されたと思ったら、頭を下げられた。
「好きです。あ、違う。いや、違うんじゃなくて、まずは謝りたくて。ああ、くそっ!」
讃呂さんが頭をかきむしる。私は、ただぽかーんとしてそれを眺めていた。
「今まで、失礼なことばっかり言ってすまなかった、です。さっきのことも、本当に、ごめんなさい。俺、緊張すると失言ばっかりして。根津にも、誠心誠意謝れって毎回説教されてて。いや、言い訳じゃなくて、だから、その」
あまりの取り乱しように、なんだかおかしくなった。
「ぷ、ふふふ……あ、ごめんなさい。あの、ゆっくり深呼吸をして、落ち着いてください」
「あ……すみません……」
私の言葉に、讃呂さんは我に返ったようだ。私の言う通りに深呼吸を2回3回と繰り返した。
私は、ふと窓の外に視線を移動させた。満点のきらめく地上の星が見える。都会の夜景も素敵だ。だけど、私は夜空の星の瞬きのほうが好き。
「オランダの夜空は美しいんでしょうね」
キラキラ輝く星の下で、動物たちが眠ったりはしゃいだりする姿を思い浮かべる。自然と笑みがこぼれた。
「あ、ああ。そうですね」
「ミランさんの施設の周辺は、ほんと何にもないんです。自然そのままで、夏は暑くて冬は極寒。海洋の動物たちの世話は、肌が切れるほどつらいでしょう。それこそ、これからの季節は氷水を扱わなくてはいけない。ここで冷暖房完備、蛇口をひねれば適温が出るような生活の私には、彼らの仕事は想像つきません」
ミランさんは、若い頃に全財産を投げ売って保護施設を興した。徐々に協力者は現れて、国の補助金も出たとは言え、保護施設には大金が必要だ。私達が彼らの施設を見つけて寄付をするまで、日々食べる分くらいしか給料をもらっていなかったと思う。
「だからこそ、ミランさんたちのお役に立てたことは、私にとって一生のうちでかけがえのない誇りになったと思います。こう言ってはなんですが、今回のお仕事に携わることができたきっかけをいただき、ありがとうございます」
「きっかけは、なんともいえない恥ずかしいものでしたが……」
「災い転じて福となす、と言っていいのでしょうか。おかげさまで、讃呂さんの社員さんの数人も、推し活の参加者になっていただきました。ふふふ、ライブの布教もできたのは良い誤算でしたけど」
小さなテーブルに置かれたカクテルに手を伸ばす。一口アルコールを口に含むと、甘い香りが広がった。
酒気と静寂が気持ちを落ち着かせたのか、讃呂さんが話の続きを始めた。
「日掛さん、俺、ずっとあなたに謝りたかったんです。どうにも、あなたを前にすると空回りしてしまって。失礼なことを言ってしまっては、後悔していたんです」
「そうなんですね。てっきり、体重コントロールできない私のことを嫌っているとばかり思っていました。でも、日掛さんの言葉で、ダイエットを始めたんです。またリバウンドしちゃってるんですけど」
「とんでもないですっ! 日掛さんはそのままでかわいいし、頭も良くて魅力的で。だから、その……。以前からずっと、好きだったんです。今回、一緒に仕事ができるようになって、もっと好きになりました。今日を逃せば、もう会えないかも知れないって思ったら、また失礼なことをして、どうしようもないですね。でも、これからは、失礼なことなんて言いません。ですから、友達からでいいんで、仕事が終わってからも会ってもらえないでしょうか?」
彼の言葉には、嘘の欠片はなさそうだと思った。アルコールと夜景、バーの雰囲気に飲まれたのもあったかも。
「じゃあ、まずは友達から、お願いします」
私がそう言うと、讃呂さんは満面の笑みを浮かべた。その彼は、とてもかっこよくていつまでも見ていたくなるほどかっこよくて、なんだか保護動物たちのように可愛く思えたのであった。
互いに無言のまま、ふたりきりの小さな箱は、世界中の居心地の悪いランキング上位になっているだろう。
「着きましたよ」
開のボタンを押して、讃呂さんにさっさとでろと丁寧に伝えた。だけど、いつまで経っても彼は出ていかない。
なら、私が出ていこうとボタンから指を離して一歩踏み出した。すると、体を引っ張られてエレベーターの中に戻される。
「な、ななな、なんですかー?」
突然のことでびっくりした。横幅はともかく、縦幅では圧倒的に負けている彼を見上げる。何を思ったのか、讃呂さんは閉と最上階のボタンを押した。
なんなの? いくら私に不満があるからって、これはひどくない?
耳鳴りが少ないように設計されたエレベーターは、あっという間に最上階で止まった。
この階は、おしゃれなバーなどが入っている。夜景を見ながらデートするスポットとして有名だ。
「こっちです」
手を引かれ、なんとはなしについていく。思った通りというかなんというか、バーに普通につれてこられ、角にある窓に向けられた二人がけソファに座らされた。
「あの、讃呂さん?」
戸惑っていると、隣に当たり前のように座られた。彼の体が沈み込んだせいで、そっちに体が傾く。居心地がわるくて、もぞもぞ体を離した。
「これは一体? あの、帰りたいんですけど」
夕食を誘われたわけではない。いきなりこんな場所に連れてきてどういうつもりだ。夜も遅いし、早く帰らないとパパたちが心配する。
「突然すみません、今日しかないって思って。ちょっとだけ付き合ってください。あー……」
讃呂さんは常連なのか、ウエイターがアルコールを持ってきた。
彼は、鮮やかなグリーンのカクテルを一気にあおると、私に真剣に向き合うように体を傾けた。
「あの、日掛さん。俺、あなたに言いたいことが。いや、謝罪しなきゃいけなくて。ええと……」
普段の彼からは想像できないくらい緊張しているみたい。要領を得ない言葉が繰り返されたと思ったら、頭を下げられた。
「好きです。あ、違う。いや、違うんじゃなくて、まずは謝りたくて。ああ、くそっ!」
讃呂さんが頭をかきむしる。私は、ただぽかーんとしてそれを眺めていた。
「今まで、失礼なことばっかり言ってすまなかった、です。さっきのことも、本当に、ごめんなさい。俺、緊張すると失言ばっかりして。根津にも、誠心誠意謝れって毎回説教されてて。いや、言い訳じゃなくて、だから、その」
あまりの取り乱しように、なんだかおかしくなった。
「ぷ、ふふふ……あ、ごめんなさい。あの、ゆっくり深呼吸をして、落ち着いてください」
「あ……すみません……」
私の言葉に、讃呂さんは我に返ったようだ。私の言う通りに深呼吸を2回3回と繰り返した。
私は、ふと窓の外に視線を移動させた。満点のきらめく地上の星が見える。都会の夜景も素敵だ。だけど、私は夜空の星の瞬きのほうが好き。
「オランダの夜空は美しいんでしょうね」
キラキラ輝く星の下で、動物たちが眠ったりはしゃいだりする姿を思い浮かべる。自然と笑みがこぼれた。
「あ、ああ。そうですね」
「ミランさんの施設の周辺は、ほんと何にもないんです。自然そのままで、夏は暑くて冬は極寒。海洋の動物たちの世話は、肌が切れるほどつらいでしょう。それこそ、これからの季節は氷水を扱わなくてはいけない。ここで冷暖房完備、蛇口をひねれば適温が出るような生活の私には、彼らの仕事は想像つきません」
ミランさんは、若い頃に全財産を投げ売って保護施設を興した。徐々に協力者は現れて、国の補助金も出たとは言え、保護施設には大金が必要だ。私達が彼らの施設を見つけて寄付をするまで、日々食べる分くらいしか給料をもらっていなかったと思う。
「だからこそ、ミランさんたちのお役に立てたことは、私にとって一生のうちでかけがえのない誇りになったと思います。こう言ってはなんですが、今回のお仕事に携わることができたきっかけをいただき、ありがとうございます」
「きっかけは、なんともいえない恥ずかしいものでしたが……」
「災い転じて福となす、と言っていいのでしょうか。おかげさまで、讃呂さんの社員さんの数人も、推し活の参加者になっていただきました。ふふふ、ライブの布教もできたのは良い誤算でしたけど」
小さなテーブルに置かれたカクテルに手を伸ばす。一口アルコールを口に含むと、甘い香りが広がった。
酒気と静寂が気持ちを落ち着かせたのか、讃呂さんが話の続きを始めた。
「日掛さん、俺、ずっとあなたに謝りたかったんです。どうにも、あなたを前にすると空回りしてしまって。失礼なことを言ってしまっては、後悔していたんです」
「そうなんですね。てっきり、体重コントロールできない私のことを嫌っているとばかり思っていました。でも、日掛さんの言葉で、ダイエットを始めたんです。またリバウンドしちゃってるんですけど」
「とんでもないですっ! 日掛さんはそのままでかわいいし、頭も良くて魅力的で。だから、その……。以前からずっと、好きだったんです。今回、一緒に仕事ができるようになって、もっと好きになりました。今日を逃せば、もう会えないかも知れないって思ったら、また失礼なことをして、どうしようもないですね。でも、これからは、失礼なことなんて言いません。ですから、友達からでいいんで、仕事が終わってからも会ってもらえないでしょうか?」
彼の言葉には、嘘の欠片はなさそうだと思った。アルコールと夜景、バーの雰囲気に飲まれたのもあったかも。
「じゃあ、まずは友達から、お願いします」
私がそう言うと、讃呂さんは満面の笑みを浮かべた。その彼は、とてもかっこよくていつまでも見ていたくなるほどかっこよくて、なんだか保護動物たちのように可愛く思えたのであった。
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