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甘い生クリーム sideディ
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全身が痛い。痛い、だけではない。苦しい、辛い。どこもかしこも引きちぎられようとしたり握りつぶされているみたいだ。いっそ、楽にしてくれと、夢現の中、浮上する意識でぼんやり願った。
『ディ、わたくしの素敵な騎士様』
ああ、エル。そこにいたのか。
もう、ずいぶん彼女に会っていない。結婚式をあげたばかりの愛しい人が、微笑んで俺を待っている。
すぐに抱きしめてキスをしたいのに、すぐそこにいるのに、俺の体はピクリとも動かない。
これまで、もうダメだと何度も覚悟を決めてきた。スタンピート鎮圧の時だけではない。騎士として最前線に出る度にそう諦めかけて来た。だが、その都度浮かぶ、愛しい人の自分を信じるという言葉と、彼女を守るためなら何度でも立ちあがれた。
キラキラ光るのは、太陽に照らされた柔らかく滑らかなブラウンの髪だけではない。いつだって、自分を愛していると全身で訴え、俺を誰よりも心配してくれている世界唯一の俺だけの番。
番に出会える者は、世界中探しても片手ほどしかいない。獣の本性が強かった大昔は、番に引き寄せられるように出会い、そして結ばれ幸せに過ごしていたという。
だが、昨今は番そのものを求める恋焦がれるような本能が薄れているらしい。奇跡的に番に出会っても、多少は惹かれるが、別の相手がすでにいれば、その相手と結ばれる人々が圧倒的多数を占めた。
俺がエルに出会ったのは、両親と仲のよい他家に赤ちゃんが生まれた事を祝いに行った時。神のいたずら心か慈悲かわからないが、まだ目もほとんど見えていなさそうな、小さくて頼りなくてふっくらしているその子を見た瞬間、俺は彼女が番だと悟った。
それからは、ずっと彼女の側にいた。彼女が望めばなんでもしてきた。
彼女が絵本の王子のような人が素敵だと言えば、絵本の王子に負けないほど賢くスマートな男になろうと努力したし、逞しい騎士に憧れたのなら訓練している男たちに嫉妬して誰よりも強くなろうと体を鍛えた。
エルにとって頼りがいのある男になりたくて、僕と言っていた一人称を、俺に変えた。少しでもエルの事を知りたくて、彼女の家の使用人、庭師に至るまで、彼女の好みなどを聞きまくった。
大人たちの腰のあたりから、一生懸命エルの事を知りたいと言っていたちいさな俺に、彼女の家の人たちは快くなんでも教えてくれたのだ。
好きな花、嫌いな虫、大好きな食べ物、苦手な野菜、好みの本。スリーサイズだけでなく足のサイズから、今日の朝一番の言葉まで。ありとあらゆる事を知り書き記した俺の秘蔵の日記は、もう100冊以上にもなる。
『ディおにーしゃま、これあげるー。キラキラーなのー』
彼女が初めてくれた俺へのプレゼントは、そこらへんに落ちていた小さな石だ。真夏の太陽に照らされて光っていたから宝石かなにかに思えたらしい。
『ほんとはね、んっとね。エルのたからもにょにしよーとおもってたにょ。でも、ディおにーしゃまにあげたいってなってね。おかーしゃまがね、だいしゅきなひとにプレジェントしたらいいって、いつもいってて。エルは、ディおにーしゃまが、だいだいだーいしゅきだから、あげるー』
『エルちゃん、ありがとう。一生大切にするよ』
勿論、その石は彼女からの初プレゼントとして、大切にガラスケースに入れてコレクションルームの最奥の壁に飾っている。
明るく優しい彼女に近づく男たちは、エルが聖女として認知される以前からたくさんいた。俺という婚約者がいるにもかかわらず、男達は真剣にエルを妻や恋人に望むなど万死に値するため、その都度排除してきたのである。
初めてキスをしたのは、俺が7つ、彼女が5つの時。それまで頬に挨拶程度のキスだけだったが、エルが庭師が恋人の料理人とキスをしているのを見かけて、羨ましいと伝えてきたのが切っ掛けだ。
『ディおにーさま。あのね、さっきね、にわしのハクネツが、おいしいスイーツを作ってくれるキュウと口と口をくっつけていたの。キュウの口に、おいしい生クリームがついていたのかな? いいなぁ。わたくしもたべたーい』
『あー、それは……』
ぷるんととんがった小さな唇。ちょっとむすっと拗ねているみたいな表情だから、俺を見上げながらそういう彼女は、俺にキスを強請っているかのように思えた。
俺は、ごくりと生唾を飲んだ。
『シュークリームをさっき一緒に食べただろ? あー、なんだか、まだ口についているみたいだー』
『え? ほんと?』
嘘である。真っ赤な嘘だ。案外、色があるとすれば本当は下心満載の真っピンクとかかもしれない。
さっき口にしたのは、彼女と一緒に飲んだハーブティだけ。彼女は一緒に出されていたカスタードと生クリームの入ったWシュークリームを食べていたから、彼女のほうこそ甘い香りがするし、なんならシュークリームの味がするかもしれない。
俺がシュークリームを食べていないのを彼女も見ていたはずだ。なんせ、俺のシュークリームも彼女にあげたから、小さな手で大きなシュークリームを持ってふたつも食べたのだから。
だというのに、小さなエルは、俺の口元をじろじろ見て来た。生クリームなどついているはずがないが、乾いた唇をペロリと舐めたからちょっと濡れたそこに、生クリームがついていると勘違いしたようだ。
『た、食べて、いいよ?』
『わあ、ありがとー』
体を一生懸命背伸びさせて、期待通り俺の唇に彼女の方からキスをくれたどころか、ペロっと舐めてくれた。
なんて積極的なんだ。かわいい。
当然、彼女には他意はない。無垢で純真な彼女は、味のしない俺の唇にキスをしたあと眉をひそめた。
『ディおにーさま。なーんにもついてないよー? うーん、ざんねーん』
『そうだった? ごめんごめん。次はついているかもだから、エルちゃんならいつでも食べていいからね。でもね、エルちゃん。これは俺とだけするんだよ。他の人にはしてはダメ。俺とエルちゃんだけの秘密だよ』
『うん、ひみつー。えへへ』
幸せな俺たちの大切な想い出がくるくる回るように次から次へと浮かんでは消える。
長く、永遠に続くかと思われた絶望的なスタンピード。各国が救援を即時に送ってくれなければ、あっという間に俺は倒れ、この国を、大切なエルを魔物たちから守れなかっただろう。
心身ともに疲労が蓄積していたものの、張り詰められた緊張のおかげで戦ってきていた。ようやく終わりが見えて来た。
だから、油断した。もう、強敵は倒されていて、新米の騎士ですら軽く倒せる魔物しか残されていないと判断されていた事もある。
まさか、崖の上で下級の魔物を軽くいなしていた時、全身に傷を負い荒れ狂ったキマイラが襲ってくるとは誰しも思っていなかった。
突然現れたソレに、渦中では瞬時に条件反射で戦いにスイッチしていた気持ちと体が、最初に襲われ始めた騎士たちは上手く動かなかった。情けない事に、俺でさえも、数瞬、事態を飲み込めずにいた。
大国の騎士、ライト殿が一喝してくれたおかげで、たるんでいた気持ちと体がようやく動き出す。ところが、体にため込まれた疲労は、とっくに限界を超えていたのだろう。
瀕死のキマイラの最後の猛攻撃であったとはいえ、かなり力が弱っており繰り出される顎も爪もやや緩慢だというのに、俺は騎士たちを助けるために向かった瞬間、キマイラの巨大な爪で体を引き裂かれた。猛毒をはらんだ瘴気が傷口から入り込み、激痛と苦しみが襲う。
体が上手く動かせない。思考ガバラバラになり、初めて本当の恐怖を知り、美しい死の神が微笑みながら手に持つその鎌を俺に振り落とすのを垣間見た気がした。
体がふわりと浮く。もう、指一本どころか瞼すらピクリとも動きやしない。
『ディ、愛しているわ』
俺の髪の色のドレスを着た愛しい人が、俺に微笑む姿が鮮明に見えた。
「える……。おれも、あいし、て……」
最後に何かを言ったような気がした。だが、本当に口から言葉が出たのかすらもうわからない。
俺はそのまま意識をなくしていった。
『ディ、わたくしの素敵な騎士様』
ああ、エル。そこにいたのか。
もう、ずいぶん彼女に会っていない。結婚式をあげたばかりの愛しい人が、微笑んで俺を待っている。
すぐに抱きしめてキスをしたいのに、すぐそこにいるのに、俺の体はピクリとも動かない。
これまで、もうダメだと何度も覚悟を決めてきた。スタンピート鎮圧の時だけではない。騎士として最前線に出る度にそう諦めかけて来た。だが、その都度浮かぶ、愛しい人の自分を信じるという言葉と、彼女を守るためなら何度でも立ちあがれた。
キラキラ光るのは、太陽に照らされた柔らかく滑らかなブラウンの髪だけではない。いつだって、自分を愛していると全身で訴え、俺を誰よりも心配してくれている世界唯一の俺だけの番。
番に出会える者は、世界中探しても片手ほどしかいない。獣の本性が強かった大昔は、番に引き寄せられるように出会い、そして結ばれ幸せに過ごしていたという。
だが、昨今は番そのものを求める恋焦がれるような本能が薄れているらしい。奇跡的に番に出会っても、多少は惹かれるが、別の相手がすでにいれば、その相手と結ばれる人々が圧倒的多数を占めた。
俺がエルに出会ったのは、両親と仲のよい他家に赤ちゃんが生まれた事を祝いに行った時。神のいたずら心か慈悲かわからないが、まだ目もほとんど見えていなさそうな、小さくて頼りなくてふっくらしているその子を見た瞬間、俺は彼女が番だと悟った。
それからは、ずっと彼女の側にいた。彼女が望めばなんでもしてきた。
彼女が絵本の王子のような人が素敵だと言えば、絵本の王子に負けないほど賢くスマートな男になろうと努力したし、逞しい騎士に憧れたのなら訓練している男たちに嫉妬して誰よりも強くなろうと体を鍛えた。
エルにとって頼りがいのある男になりたくて、僕と言っていた一人称を、俺に変えた。少しでもエルの事を知りたくて、彼女の家の使用人、庭師に至るまで、彼女の好みなどを聞きまくった。
大人たちの腰のあたりから、一生懸命エルの事を知りたいと言っていたちいさな俺に、彼女の家の人たちは快くなんでも教えてくれたのだ。
好きな花、嫌いな虫、大好きな食べ物、苦手な野菜、好みの本。スリーサイズだけでなく足のサイズから、今日の朝一番の言葉まで。ありとあらゆる事を知り書き記した俺の秘蔵の日記は、もう100冊以上にもなる。
『ディおにーしゃま、これあげるー。キラキラーなのー』
彼女が初めてくれた俺へのプレゼントは、そこらへんに落ちていた小さな石だ。真夏の太陽に照らされて光っていたから宝石かなにかに思えたらしい。
『ほんとはね、んっとね。エルのたからもにょにしよーとおもってたにょ。でも、ディおにーしゃまにあげたいってなってね。おかーしゃまがね、だいしゅきなひとにプレジェントしたらいいって、いつもいってて。エルは、ディおにーしゃまが、だいだいだーいしゅきだから、あげるー』
『エルちゃん、ありがとう。一生大切にするよ』
勿論、その石は彼女からの初プレゼントとして、大切にガラスケースに入れてコレクションルームの最奥の壁に飾っている。
明るく優しい彼女に近づく男たちは、エルが聖女として認知される以前からたくさんいた。俺という婚約者がいるにもかかわらず、男達は真剣にエルを妻や恋人に望むなど万死に値するため、その都度排除してきたのである。
初めてキスをしたのは、俺が7つ、彼女が5つの時。それまで頬に挨拶程度のキスだけだったが、エルが庭師が恋人の料理人とキスをしているのを見かけて、羨ましいと伝えてきたのが切っ掛けだ。
『ディおにーさま。あのね、さっきね、にわしのハクネツが、おいしいスイーツを作ってくれるキュウと口と口をくっつけていたの。キュウの口に、おいしい生クリームがついていたのかな? いいなぁ。わたくしもたべたーい』
『あー、それは……』
ぷるんととんがった小さな唇。ちょっとむすっと拗ねているみたいな表情だから、俺を見上げながらそういう彼女は、俺にキスを強請っているかのように思えた。
俺は、ごくりと生唾を飲んだ。
『シュークリームをさっき一緒に食べただろ? あー、なんだか、まだ口についているみたいだー』
『え? ほんと?』
嘘である。真っ赤な嘘だ。案外、色があるとすれば本当は下心満載の真っピンクとかかもしれない。
さっき口にしたのは、彼女と一緒に飲んだハーブティだけ。彼女は一緒に出されていたカスタードと生クリームの入ったWシュークリームを食べていたから、彼女のほうこそ甘い香りがするし、なんならシュークリームの味がするかもしれない。
俺がシュークリームを食べていないのを彼女も見ていたはずだ。なんせ、俺のシュークリームも彼女にあげたから、小さな手で大きなシュークリームを持ってふたつも食べたのだから。
だというのに、小さなエルは、俺の口元をじろじろ見て来た。生クリームなどついているはずがないが、乾いた唇をペロリと舐めたからちょっと濡れたそこに、生クリームがついていると勘違いしたようだ。
『た、食べて、いいよ?』
『わあ、ありがとー』
体を一生懸命背伸びさせて、期待通り俺の唇に彼女の方からキスをくれたどころか、ペロっと舐めてくれた。
なんて積極的なんだ。かわいい。
当然、彼女には他意はない。無垢で純真な彼女は、味のしない俺の唇にキスをしたあと眉をひそめた。
『ディおにーさま。なーんにもついてないよー? うーん、ざんねーん』
『そうだった? ごめんごめん。次はついているかもだから、エルちゃんならいつでも食べていいからね。でもね、エルちゃん。これは俺とだけするんだよ。他の人にはしてはダメ。俺とエルちゃんだけの秘密だよ』
『うん、ひみつー。えへへ』
幸せな俺たちの大切な想い出がくるくる回るように次から次へと浮かんでは消える。
長く、永遠に続くかと思われた絶望的なスタンピード。各国が救援を即時に送ってくれなければ、あっという間に俺は倒れ、この国を、大切なエルを魔物たちから守れなかっただろう。
心身ともに疲労が蓄積していたものの、張り詰められた緊張のおかげで戦ってきていた。ようやく終わりが見えて来た。
だから、油断した。もう、強敵は倒されていて、新米の騎士ですら軽く倒せる魔物しか残されていないと判断されていた事もある。
まさか、崖の上で下級の魔物を軽くいなしていた時、全身に傷を負い荒れ狂ったキマイラが襲ってくるとは誰しも思っていなかった。
突然現れたソレに、渦中では瞬時に条件反射で戦いにスイッチしていた気持ちと体が、最初に襲われ始めた騎士たちは上手く動かなかった。情けない事に、俺でさえも、数瞬、事態を飲み込めずにいた。
大国の騎士、ライト殿が一喝してくれたおかげで、たるんでいた気持ちと体がようやく動き出す。ところが、体にため込まれた疲労は、とっくに限界を超えていたのだろう。
瀕死のキマイラの最後の猛攻撃であったとはいえ、かなり力が弱っており繰り出される顎も爪もやや緩慢だというのに、俺は騎士たちを助けるために向かった瞬間、キマイラの巨大な爪で体を引き裂かれた。猛毒をはらんだ瘴気が傷口から入り込み、激痛と苦しみが襲う。
体が上手く動かせない。思考ガバラバラになり、初めて本当の恐怖を知り、美しい死の神が微笑みながら手に持つその鎌を俺に振り落とすのを垣間見た気がした。
体がふわりと浮く。もう、指一本どころか瞼すらピクリとも動きやしない。
『ディ、愛しているわ』
俺の髪の色のドレスを着た愛しい人が、俺に微笑む姿が鮮明に見えた。
「える……。おれも、あいし、て……」
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