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王都に向かう軍馬の上で

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 容姿が変わり、記憶が5歳の頃までしかないディに、エルは戸惑いながらも、ふとした仕草や言動が懐かしく感じていた。

 彼が無事に戻ったら、ようやく夫婦の生活が始まるかと思い、必死でスタンピードの鎮圧までの期間を耐えて来た。


 ディは体は覚えているのか、大きな軍馬をなんなく乗りこなして、エルを前に乗せている。

 今すぐ動かすのは危険だと、数日過ごした村で、自分でも不思議な感覚と、受け入れがたい現状があり感情失禁を起こす事もあったが、エルが側にいる事でなんとか心のバランスを保っているようだ。


 エルは、夢見ていた日々が始まると期待していたのだ。ショックを受けなかったわけではない。

 王都に戻れば、様々な専門知識を持つ者もいる。きっと、元の記憶も戻るに違いない。たとえ、一生記憶が戻らなくても、聖女の力をもってすら治せない傷が残ってもエルは構わなかった。
 大人の姿でありながらも懐かしい子供の頃の彼の言動を見て、ディが生きている事こそが自分にとっての幸せなのだと感謝した。

 ただ、彼にとってはどうなのか。今が辛いのなら治してあげたいと思う。


「エルちゃん、危ないからしっかり掴まっていてね」

 記憶がないディにとって、軍馬は初めて見た恐ろしい存在であるのも同然だった。彼が跨っている黒い馬に対して、最初は震えて涙が出ていた。
 だが、すぐに慣れたようだ。子供だからこそ環境に順応するのが早い部分があるとはいえ、もともとの彼の前向きな思考が彼自身にとっても、エルや周囲の者たちにとっても救いになった。

「ええ! ディったらすごいわ。こんなにも大きな馬を、まるで手足のように操れるなんて。それに、馬も、ディの事を好きみたいね?」

「へへ、僕にかかれば、このくらいの馬なんてらくらくさ! 僕も馬が大好きだし! あ、勿論、エルちゃんの次にだけどね」

「ふふ、わたくしのディは世界一の騎士様ね」

「絶対に落とさないからね、任せといてよ! そういえば、おじさんとおねえさんも番なんでしょう? 良かったね!」

「本当に。ライト様とイーさんは、国に戻ったらすぐに結婚されるそうよ」

「いいなあ。大きくなったら僕たちもすぐに結婚しようね! あ、そういえば、もう結婚しているんだっけ?」

「ええ。でも、わたくしたちはゆっくりでいいと思うの。これからはずっと一緒だもの」

「もう、エルちゃんってば、大きくなっても可愛いすぎるんだから。きれいなおねぇさんになっていて、びっくりしちゃったけど。嬉しいような、途中のエルちゃんの事を忘れちゃっててごめんね。僕ね、体まで小さくなってなくて良かったって思う。失ったって言う記憶はたくさんあるんだろうけどさ、エルちゃんをこうして守れるようになっているんだもん。それに、5歳から成人まで10年以上かかるでしょ? あんまりにも待たせちゃったら、大人の男達がエルちゃんを放っておかないし」

「そんな事はないと思うわ? それに、わたくしにはディだけよ。もしもね、体も小さくなっていたとしても、いつも一緒にいてディの内面が大きくなるまで待つのも、嬉しい日々を送る事が出来ると思うの」

 ディは、エルの心からの言葉を聞いて、完全には閉じなくなった左目から涙をぽろりとこぼす。エルに心配かけたくなくて、泣くのをがまんしたくても、傷を負ってしまった左目は、眠っていても数ミリ開いたままだし、力を込めて開こうとしても半分も開きはしない。

 ディの顔の左半分には、眉から左の口角にかけて、キマイラの瘴気をはらんだ毒爪の傷跡が残っている。エルの回復魔法をもってしても、その傷は完治しなかった。

 薄暗い壊れた小さな家では鏡はなかった。でも、変な鈍い感覚しかない顔の部分を指で何度も撫でたから、ぼこぼこしている歪な線の傷跡が残っているのがわかる。

 エルもライトも、そういった傷に慣れていたので、その傷を見てもあまり表情を変えなかった。だが、戦いで傷ついた人など周囲で見た事のないイーは努力しようとしても気の毒だと言うように顔をしかめたし、他の大人たちは、醜いものを見るかのように眉をひそめていた。

 個性的な顔立ちだと、イーの兄弟は言っていたけれど、小屋の外で、他の村人たちが、聖女であるエルが不細工な男と一生添い遂げなければならないのかと、聖女を心配して嘆く小さな声が耳に入った。このような姿になったのだから、このまま身を引くのが男だと。
 幸い、ライトたちが不在な上、エルが疲れて眠っていた時で、聞いたのはディだけだ。体は成人していても、同情からくるとはいえ、彼らの言葉は、現状に全くついていけていないディの心を傷つけるのには十分すぎるほどだった。

 もしも、エルたちがその言葉を聞いていれば憤りを感じたに違いない。特にエルは、まだ疲労困憊で座るのも辛い体をおしてディのためにすぐに村を去っただろう。

 ディは、気にしていないと虚勢を張っていてはいるけれど、今の自分の顔がどれほど醜く変わり果てているのか見たくない。見たら、自分が醜くなった事実を認めて受け止めなければならないから。
 本当は、今でもアップアップの自分の心の何かが、壊れてしまうと空恐ろしい何かで身震いしてしまうのだ。

 ぶんぶん、考えを思いっきり振り払うように頭を振る。愛しい、先に大人になってしまったエルの小さな後姿を思い切り抱きかかえて、今すぐふたりでどこかに行きたいと胸が熱くも冷たくもなった。




「……エルちゃん、僕のね……。髪の色も、お顔もね……。……変わっちゃった、みたい、なんだけど……。ずっと、好きでいてくれる?」

「え? なぁに?」

 軍馬の駆けるスピードによっておこる風の音が、ぽそり呟いたディの言葉を、エルに届けるのを邪魔した。エルは、聞き返そうとしたが、ディは、少し悲し気な表情をして、なんでもない、と大きな声で元気よく応えたのである。

 ディは、エルの答えが分かっていた。それが、心の底からの言葉である事も。

 口に出して言って欲しいとも思う。きっと、エルならこう言うだろう。

『姿形なんてどうでもいいわ。だって、ディだもの。優しくて、強くて、頑張り屋で。そんなディの姿が、たとえおじいちゃんになっても、わたくしは大好きよ。それとも、ディはわたくしがおばさんやおばあちゃんになったら嫌なの?』

と、自信がない質問をした僕に、少し頬を膨らませて何度でも僕を安心させてくれるだろう。
 ディとて、エルがどれほど姿が変わっても誰にも渡さないし、ずっと愛しているに決まってるから。同じように想ってくれているはずだ。

 だけど、万が一にも違う言葉で返されたら生きていけない。ほとんど有り得ない、エルからの別れの言葉を想像しようとしただけで、心が凍り付きそうだった。



 もうすぐ、王都にたどり着く。


 エルは、明るく見せてはいるがかなり無理をしているディの事を誰よりも分かっていた。ともすれば、ディ自身ですらわからない心の機微をつぶさに観察する事で正確にキャッチして、彼に寄り添っていた。

 彼にどう言葉をかければいいのかわからない時は、ただ微笑んで、少しでも安心してもらいたくて変わらぬ愛を伝え続けるのだった。



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