終 R18 リセットされた夫

にじくす まさしよ

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秋の夕暮れ

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 最近、魔物の数が減って来た。そのため、魔物の討伐のために日ごろ前線で戦う騎士や貴族たちは、初めてともいえるほど平和で訓練だけの日々を送る。
 魔物が出なくなったとはいえ、相変わらず土壌も悪く宝石や鉄鉱石などの産出もないこの国では、食うには困らない程度の食料をなんとか育て、国民全員が協力し合って過ごしている。そのため、贅沢に遊びに興じる者はほとんどいない。貴族といっても、真面目に職務をこなし、訓練が終わった騎士たちも、その手に持つ物を剣から鍬などにかえて民と同じように仕事をしていた。

 いつもと変わらぬ日常。だが、いつもでは考えられないほどの平和そのものの日。

 聖女の再来とエルが言われ始めてから、3年目の事であった──。




「エル、ここにいたのか。はぁ全く、また神殿の使いっ走りをしているのか」


 3年前よりも逞しくなりつつも、相変わらずスラリとした体形で着ている黒い騎士服がこの男のためにあると言っても過言ではない美しい青年が、病人の世話のために神殿を訪れているエルに声をかけた。神殿は、救護や病院の役割も兼ねており、ここには沢山の病気やケガを抱える人たちがいる。
 
 もうすぐ日が沈む。黄昏時の空は、やけに静かで神々しくも寂しい。予定よりも帰宅が遅くなったエルを探して、ディが迎えに来たようだ。
 彼の襟足でひとつくくりにした腰まである真っ直ぐで滑らかな白髪が、モミジの色で染まっている。暗くなりそうで少し不安で焦っていたエルは、家路を急いでいたが、彼の姿を見た途端その不安が消し飛んだ。

「ディ、来てくれたのね、ありがとう。それにしても、神殿の使いっ走りだなんて! もう、そんなんじゃないわ。ただ、この間訪れた時にいた妊婦さんの様子を見に来ただけよ。そのあと、他の皆さんも見たから遅くなったの。心配かけてごめんなさい」

「いいよ、いつもの事だからな。だけど、そう思うのなら、俺のほうこそ心配してくれ……。エルに何かあったら生きていけない。そういえば、もうすぐ出産の女性がいるって言ってたな。で、その人の様子は大丈夫なのか?」

「ええ、お母さんも、お腹の子たちも元気そうだったわ。今年も、ディたちの素晴らしい働きおかげで畑が無事だったでしょう? だから、栄養不足で困っている人が国全体で少ないらしいの」

 エルは、まるでぱぁっと大輪の花が一気に開いたかのような笑顔で駆け寄る。ディは、そんなエルを、愛しくて堪らないと言った表情でそっと抱きしめてこめかみにキスを落した。

 ディは、エルがこうして神殿や人々を見て回る事に賛成はしているが、無理をしすぎてしまう愛しい人の事を心から心配していた。それに、やはり彼女には自分を第一に想っていて欲しいと言う気持ちもある。

 エルもまた、ディの優しさに甘えすぎている事を自覚し反省していた。今日も、数日神殿に滞在するよう懇請されたが、彼が心配するからと固辞して帰る所だったのだ。

 ふたりは、お互いにそう言った事情も心情もなにもかも理解しあっているが、結局はディがエルに振り回されてしまっている事が多い。

「俺たちは魔物を討伐するだけで、たいした事はしていない。それを言うのなら、エルが聖女として各地を周って人々を病気やケガだけじゃなくて、心を救っているからだろ? 皆、明るく元気なった。そうなる前は、俺が前線に出る度に目にして来た、人々の疲れ切った表情や光を失った瞳を持つ人たちがほとんどいないからな。エルはすごいよ」

「まあ、ディったら。わたくしこそそれほど大した事はしていないのよ。ふふ、さっきもね、子供たちが英雄、黒の騎士だーってディのまねごとをして遊んでいたのよ。この国には、ディのような力強くて素敵な英雄の存在こそが希望なのよ」

「まいったな……。そんなに褒められたら、調子に乗りそうだ」

「まぁ……! ふふふ」

 ふたりの事は、国中で知らない者はいない。彼らがもうすぐ結婚する事も。それを心待ちにしているのは当人だけではない。先ほどまで、木の枝を剣に見立てて黒の騎士ごっこをしていた子供たちがふたりを囲み、笑顔いっぱいに彼らを冷やかし始めた。

「あー、黒の騎士だー! 聖女様にチューしたぞー!」

「わあ、いいなぁ。ねぇ、聖女様からはチューしないのー?」

「はは、エル、子供たちがそう言ってるけど?」

「やだ、もう……ディったら、意地悪ね」

 子供たちの声を聞き、ディは照れくさそうに頭に手をやりつつもエルをからかうように、彼女からキスをして欲しい自分の唇を指さす。エルは顔を真っ赤にして両手で顔を隠した。そんな様子を見て、ますます子供たちは賑やかにふたりに声をかけていくのだ。

「お二人の結婚式の日にね、私たちお歌を歌うのー」

「楽しみにしていてねー」

「バイバーイ」

 やがて、彼らの保護者たちが騒ぎを聞きつけたのか迎えに来た。元気いっぱいに手を振り、ふたりの結婚式が早く来て欲しいと言いながら去って行った。

 すでに、ふたりは英雄と聖女という王が認める栄誉ある地位にあった。そのため、ふたりの結婚式は、王族と同等のように国一番の神殿で挙げ、王都ではパレードが行われる予定だ。

 近隣諸国からも来賓がたくさん訪れる事になっており、すでに入国している他国の王族もいるという。国の英雄であるディはともかく、世界でたったひとりの聖女であるエルのために来ているのだ。


 ディには、領地近くにそこそこ安定した土地が与えられている。エルには、王と神殿から正式に聖女として先代聖女が扱っていたという水晶のネックレスが贈られていた。
 子供の握りこぶしほどの大きさの水晶は、一点の曇りもキズもない。神の清浄なる気がそこにはあり、彼女の聖なる回復魔法を増幅させるよう働きかける神器でもあった。

「賑やかだな」

「ええ……。このまま、魔物たちが落ち着いてくれていたらいいのだけれど……」

 子供たちのあの笑顔を守りたい。ディはそう呟くエルを抱きしめ、白い肌が秋の夕日に照らされて朱色になった頬にキスをする。

「そうだな。だけど、出たら俺が必ず倒す」

 産まれてくる俺たちの子供たちのためにも、な


 エルの耳元で、わざと吐息を吹きかけながらいうディ。今度は夕日の色ではない、自身の熱で売れたトマトのようになったキスしかまだ知らないエルが、ディの胸元を軽く叩いたあと、瞳を閉じて彼の胸に頬をつけた。


「や、やだ、ディったら。はしたないわ……」

「ははは」

 どことなく、心の隙間に寂寥がすみつきそうな秋の夕暮れ。ふたりはどちらからともなく、体を寄せ合うのであった。



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