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第一章・スフェルセ大陸 一節・北国

十一話:根雪の雪山に発現する銀の力

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「くそ、疲れてきたな……」


 防寒用の茶のコートを着込み、ゼファー雪山を登り始めて小一時間ほど。頂上まであと少しの所で言い出しっぺのノエアが根を上げはじめた。
 足が棒になるようだと息を小刻みに切らしていると「ノエアはね! 体力がダメダメなんだよ! 流石引きこもり!」とミエルが自慢そうに前を歩む。リシェント、レフィシアが先頭をゆく中で後方のノエアとミエルの様子に気がついて足を止めた。すると不思議な事にノエアの足元がふわりと地面から五センチほど離れて、宙に浮く。ゆるりゆるりと亀のようにスピードは出ないが、確実に登ってゆく様にミエルは思わず目を凝らした。 
 ノエアは闇の重力魔法を応用して宙に浮きながら移動していると説明すると、またもや本日二度目の「ズルい!」発言がミエルから飛んでくる。


「だから、ズルじゃない! 魔法付与や、二属性魔法より、簡単だ! やる努力も……っ、しないでズルとか、いうんじゃねーよ!」


 相当ズル発言が気に食わなかったのか、戻っていない体力を気にせずに息を切らして声を荒げた。
 そういえば、この二人は知り合いにしては仲が良く打ち解けているように思える。リシェントは気になったのでミエルに伺った所、ルーベルグの事件から西国に逃げ込んできたノエアは道も分からず無一文で行き倒れていたらしい。そこをミエルが自信満々に「拾った!」と胸を張るが、何だか使い所が違う気がしてしまい、思わずその三文字をレフィシアと声を重ねて復唱。

 暫くするとゼファー雪山の頂上にまで達して、吹雪はより一層の勢いを増して剣のように鋭く吹き荒んだ。 
 魔法を解除したノエアは雪の地面に足を踏み込むと、懐から刃渡り数センチのナイフを取り出す。軽く自分の親指の腹を切って、鮮やかな赤の血が漏れ出すと、ちくりと痛みを感じて眉を引きつったが、そのまま血を雪の地面に垂らした。
 
 どうやら魔物寄せの一種らしく、単体で強い魔物がピンポイントでやってくるようにアレンジを加えたらしい。血は血でも魔力を練り上げた血は魔物に嗅ぎやすくさせる。魔力の練度が高いほど、魔物は自分よりそれが格下か格上かを判断するのだとか。


「ここにも強い魔物くらいいるだろ」

「……居るには、居るわよ」

「え!? どういうやつ?」


 リシェント自身はまだ見た事がないが、雪山を登山するには必要な知識である。

 名称は〝グラセ・シュネッケ〟。全長四、五メートルくらいの、カタツムリのような魔物だ。引きこもる先の氷の殻が非常に頑丈で氷の魔法も使える。図体が大きい割には雪の地面を滑って動くので思ったよりも俊敏。雑食で、大きい獲物は氷の魔法で小さく切ってから食べる。ちなみに人間も食べる。

 レフィシアの話で更に南国には派生の〝フー・シュネッケ〟の存在も明らかになる。グラセ・シュネッケよりも小型の生物で、人を食べないが火の殻なので中々に近寄り難い上にこちらも硬い。


「シュネッケ……!? 火を通して塩塗せば食べられるかな!?」

「……フー・シュネッケって食べられたんだ……」

「グラセ・シュネッケの料理なんて知らないわね……」


 ミエルは純粋できらきらと宝石のように輝かせた料理人の眼を向けてきたが、レフィシアもリシェントも理解までには至らない。確かに食用魔物は少なからず存在はする。魔物ではないシュネッケは食用巻貝の一種として食べられるが、魔物の方のシュネッケの調理など食べたという事例は聞いた事がない。いや、考えても見なかった。美味しそうと想像しヨダレが出るかと言えば、そんな事もない。


「あ。グラセ・シュネッケ以外にも強い魔物といえば……アレが」


 リシェントが思い出して伝えようとした瞬間、まるで雪崩でも起きたのかと言わんばかりの鈍い大きな音と共に、噂のグラセ・シュネッケがゆるりと姿を現した。頭の触覚をひくひくと動かして、今にも襲いかかってきてもおかしくはない。

 だが四人にとってそこが問題ではない。
 白の身体に、荊棘の刺のようにちくちくと尖る尻尾を背につけて立たせたリスのような魔物が一匹。グラセ・シュネッケと比較すると天の地ほどの大きさだが、グラセ・シュネッケの頭の上に乗り優越感を感じている様から立場はあのリスのような魔物が上のようだ。


「グラセ・シュネッケとあそこのリスっぽいの何!? かわいーっ!」

「〝エキュルユ〟。小型の魔物だけど知能は高いらしくて数個の魔法を使う。主に攻撃する時は尻尾を初級の変身魔法で剣にして使うとかなんとか。心臓や首をひと刺しにした人間を周囲の魔物に運んで貰い更に切り分けてもらう。お礼に切り分けた人間もあげるらしいわよ」

「取引出来る魔物なんて知能高いね」

「後こいつも人間食べるわよ。コリコリコリコリ音立てながら。私この間通った時草葉の陰で人間食べてたのよね。手遅れだったけど、一応軍には報告しといたわ。一掃したって言われていたけど、残りが居たのね」



 北国の首都や街などを頻繁に出入りすれば珍しくもない光景だが、当のミエルは急に肌寒そうに顔を真っ青に染め「何かもう北国の魔物皆人間食べるみたいな考え植えつけないで!?」と声を大きく上げた。
 確かに北国は他の国よりも人を喰らう魔物の数が多いとは噂程度に耳にしていたが、魔物だって生き残る為の手段なのだから仕方ない。


「まあ……予定は狂ったが一体増えただけだし。まあ頑張れ頑張れ」


「ひっどー! こうなったらとことんやってやるんだから!」


 心にもない軽々しい棒読み応援を受け、ずんずんと怒りを込めて前のめりに歩むミエルの後ろをリシェントは何気なく無言で着いていく。その背を心配に思ってかレフィシアは自らも一歩前に踏み出しかけた所で、ノエアに襟元を勢いよく掴まれた。そこまで大した力こそないが、今回の目的を改めて再認識させられて目を伏せる。


「……ミエルは大丈夫なの?」

「あいつなら問題ねーよ。アホだしバカだし、まだまだ戦闘経験は浅いけど、あいつの心は俺なんかよりずっと強えから。問題はリシェントだが、お前から見てどう思う?

「……魔物との戦いと、人間との戦いは違う。だから、何とも言えないよ」


 数え切れないほどの戦いを生き抜いたレフィシアは例えリシェントであろうと、そこだけは譲れない厳しい考えを貫く。珍しく正論だとノエアも眼を見張ったが、リシェントの身を心配しているからこそ彼はそれを口にしたのだろう。気づけば戦いはミエルがファフニールを呼び出した所で、ファフニールの風魔法につられて吹雪の強さが増す。

 雪を勢いよく滑走するグラセ・シュネッケはまるで実弾銃の鋼鉄の弾丸のように鋭く速い。巨体、そしてこの速度で突っ込まれたら受け身をしても骨ごと粉砕されるのは間違い無いとして、リシェント、ミエルは二手に分かれるようにして躱した。グラセ・シュネッケの頭の上に乗るエキュルユが小さく小躍りを踊れば、頭上に冷気を掻き集めて生成された氷の剣達が豪雨の如く降り注ぐ。

 氷の中級魔法に分類されるものだろう。ファフニールが両翼に風を纏い、ひと振い。完膚なきまでにぼろぼろと鈍い音を立てて崩れ落ちたのも束の間、いつの間にかグラセ・シュネッケの頭の上にエキュルユの姿が見つからない。
 氷の剣達をカモフラージュにしてその小柄さでファフニールを突破してきたのか、二人が気づいた時には既にミエルの近くに陣取っていた。

 荊棘の刺のようにちくちくと尖る尻尾は、初級の変身魔法で剣にしてミエルの首に狙いを定めて突きつける。ファフニールが自分より上位であると悟った結果、契約者を直接狙おうという判断が生まれたのだろう。

 一気に首元にジャンプしようとエキュルユが足を踏み込んだ、と同時に、勢いよく駆けつけたリシェントが右脚を斧を真上から叩き込むような蹴りの態勢に入る。勿論。エキュルユを両断しようとした。よく見切っていた、否、予想していたのか、エキュルユはギリギリの所を尻尾の剣で堪えて踏み留まる。幸いにもブーツの底が頑丈なのに感謝して、リシェントは一気に体重をかけて潰そうとした。

 だが、まるでエキュルユを庇う様に今度はグラセ・シュネッケが身体を殻に籠らせて駒のように回転。滑走しながら突っ込んでくるのを、ファフニールが背で受け止めた。


『作戦を立てましょう』

「えええ、どうやって?」

「……倒すなら、弱い方からって言いたい所だけど」

『そうです。私がこちらを引き受けましょう。ミエル。リシェント。お二人でエキュルユを。分散させてしまえばそう怖くはないでしょう』


 押し合いをどうにか制したファフニールは回転速度が著しく低下したグラセ・シュネッケをそのまま両翼にて地面に叩きつける。地震が起きたかのように大きく揺れてた様は、エキュルユの思考能力を著しく鈍らせて、その足を止めた。

 今しかない。

 リシェントはエキュルユの思考が鈍ったその間に一気に距離を詰めた。

 斧をひと振りが如く、エキュルユの頭上に右足を横に一閃。小さな身体が骨を叩く鈍い音と相反した耳障りな高い鳴き声と同時に吹き飛ぶ。だが手応えがない。よく見れば氷の鎧とも見えるものを咄嗟に魔法で生成したようだ。


「コムスメタチ、ニクニ、張リ合イガ、アリソウダ」

「……喋ったあ!?」

「召喚獣ホドデハ、ナイガ、ヒトヲ、タベルウチニ、シャベレルヨウニ、ナッタ」


 鏡を爪で引っ掻いたように耳障りな高い声はそのままに、人の言葉を話す様を目の当たりにしたミエルは本日一番とも言える可愛らしくも響く大きな声で叫んだ。
 片言とはいえ人語を話す魔物は少なく、そして、それが出来るという事は人と何ら変わりの無い心を持つ。

 ノエアと共に後方に控えていたレフィシアは眼を細める。


 ——アレを殺せれば、人も殺せるようになるのだろう。


 だがそれはレフィシアの本心と相反した冷徹。願わくば、リシェントに自分と同じ道を歩んで欲しくないと言う感傷とぶつかり合って、いつもの温和な顔を厳粛に曇らせたままだ。
 では何故、そうまでしてリシェント・エルレンマイアーを特別視してしまっているのか。
  レフィシア自身よく分かっていない。あるのはただ、自分がそうするべきだと直感したからだ。レフィシアの中にぽっかりと空洞のように抜けた記憶があった場所。思い出そうとしても、在るのはただ無である。それでも何故か魂がそれを覚えているかの如く、感情をレフィシアの心に打ちつける。 

 手を伸ばしても、悲しく、でも、それだけではない〝何か〟。

 自分にとっては家族と同じくらいに大切で、共にあり、守りたいと誓える〝何か〟。


「思い出せないものは仕方ない、か……」


 諦めの色を強く滲ませながら、ただ見守る——。
  


 *


 エキュルユの氷の中級魔法は留まる事を知らず、隕石のような氷塊が上空から降り注ぐ。リシェントは避け、ミエルは魔弾銃を命中させて砕きつつ避けてはいるがこれでは決定打に欠ける。幸いにもエキュルユは中・遠距離と頭脳を駆使しているのだから、近接戦闘にはリシェントに分があった。
 氷塊が降り続く中で中々距離を詰められなかったが、エキュルユの真上にグラセ・シュネッケがその巨体に見合った体重で落ちてきた。リシェントとミエルに気を取られていたエキュルユは回避が出来ず、下敷きになってじたばたと身体を動かしている。

 魔法を使っていない様を見るに身体の自由が効かないとエキュルユは魔法が使えないのだろう。


「(今なら、行ける!)」


 利き手の右手を拳に変える。

 足を引き金とするならば拳は弾丸。

 引き金は強く、もっと強く、雪の地面を蹴り上げる。弾丸は刻一刻と標的を定めた。


 弾丸は無からまるで炎の如く燃え盛る銀の光を纏い——エキュルユの身体に直撃。


 直後、同じ銀の光を左脚に纏えば、エキュルユに覆い被さっていたグラセ・シュネッケを突くようにして蹴ると、巨体は勢いよく後方に飛んで近くの岩山の壁に減り込む。

 倒した。倒せた。
  
 リシェントは渾身を持って確信を得た。だが。

 魔物二匹の身体は不自然にひびが入って、硝子のようにピシャリと割れた。
 空気中に舞ったそれは地面に音を立てて落ちるのではなく粉のように見えなくなっていた後、そこには最初から何も無かったかのような——。 
  
 殺した、という表現よりも元より存在しなかったと言われた方がしっくりくる状況は、リシェント自身が一番理解が追いついていなかった。ミエルがファフニールを元に戻してから薄緑のツインテールを大きく揺らしながら慌てて駆け寄ってくる。元よりくりくりと大きく丸めの青の瞳を更に見張っていた。


「さっきの何!? 一撃必殺じゃん! もっかいやってー!」

「……え、ええ」


 強請られるままにもう一度拳に力を籠めるイメージをしてみるが、うんとも言わない。



「俺のと少し似てるかもね。魔法じゃないのに魔法を使うときにしか発現しない筈の魔力の色って所が」

「は? お前、それ正気で言ってんのか? どう考えても性質が真逆だろ」

「性質?」

「つーか、中央にはオレと同等に見極められる魔法士はいねーのかよ」

「……ノエア。どういう事?」

「オレの方針、その一。〝確信の持てない事は言わないし、言いたくもない〟。以上。行くぞ。後は降ればいいだけだろ」


 レフィシアの力、リシェントの力。それに対して話を逸らしてリシェントとミエルの元に平然と歩むノエア。
 刺すような疑惑が胸の底に蟠る中でレフィシアは次いで追いかける。

 例え自分が何者であろうと、どんな力を持ち合わせていようと、きっと運命は変えられないのだろう。

 だが——変えられる運命は確かに在る。

 昔の兄の無邪気な笑顔とぽっかりと空いた記憶の穴の寂しさを秘めて、レフィシアはいつも通りの温かな笑みを溢した。
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