狂愛サイリューム

須藤慎弥

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45♡撮影当日

45♡

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♡   葉璃 ♡



 どうして緊張してないのって聞かれても、俺は緊張してないわけじゃないから返事に困った。

 事務所で落ち合って早々、恭也には「葉璃がオロオロしてない」と驚かれて、ルイさんには「まさかこのハルポン別人?」なんて訳の分かんないことを言われた。

 別人なわけない。正真正銘、俺だってば。

 聖南とバイバイしてから、体内にある〝ハル〟のスイッチを自分で押した(つもり)、間違いなく倉田葉璃だよ。

 そういえば聖南からも、何回も「大丈夫か?」って心配そうに聞かれた。けどホントに、俺はみんなが思ってるほどビクビクしてないんだ。

 だって……満島あやさんが現場に来たとしても、きっとスタッフさんの中に紛れてるでしょ。

 歌番組やバラエティー番組の収録も、顔と名前を一致させるのが大変なくらいたくさんのスタッフさんが居る。大きな会場での仕事だと、関わるスタッフさんの人数がさらに多くなるし、観に来るお客さんの数もハンパじゃない。

 俺は、大勢の人から〝見られる〟ことには少しだけ耐性がついた(気でいる)。

 もちろん今、緊張はしてる。

 油断したら背中がアルマジロみたいに丸くなっちゃいそうだけど、本番のことはあんまり考えないようにして、さっき打ち合わせで言われたことを忘れないように気を張った。

 ── 午前十時半。

 ここに到着してから一時間近く経ってる。

 一度スタジオ内に入らせてもらって、そこで打ち合わせをした。撮影が順調にいけば夕方過ぎには終わると言われたものの、正直俺はずっと心に秘めていた〝そんなにかかるの?〟というセリフが喉まで出かかってしまった。

 ほんの十五秒のCMを、一日かけて撮る……。

 満島あやさんが〝見学〟に来ることなんて、もはや俺を脅かす理由にはならない。

 どちらかというと、「この撮影を無事に終えられるか」、「みんなに迷惑かけないよう、ちゃんと俺にこなせるか」が不安なだけ。


「はふ……」


 ──〝今日はうまくできるかな。〟

 楽屋での待機中に毎度よぎる思いが、今日も心と脳内をぐるぐる回ってる。でもこれは、どの現場の本番前でも同じこと。

 スタッフさんが呼び込んでくるのを待ってる間、緊張と不安で手のひらが手汗でびっしょりになってきたのも、いつもと変わらない。

 コンクレの美人社員さんからスキンケアと薄いメイクをしてもらって、聖南たちみたいに背が高かったら似合うだろうタオル地のバスローブを羽織ってる俺は、準備は万端。

 いつでもスタジオに入れる状態だ。


「はふ、って。なんやそれ。今のため息なんか?」
「ふふっ……可愛い」
「十分後にはスタジオ入りだからね。ちょくちょく休憩入れてもらうけど、ハルくん、集中切らさないように頑張ってね」
「……はい」


 大きな鏡の前で、自分の顔を見ないように背中を向けて座ってた俺を、いつの間にか林さんも含めた三人が取り囲んでいた。

 ベタベタして気持ち悪くなってきた手のひらを見つめていた俺は、じわっと顔を上げる。

 左右には、最近仲良しぶりが凄まじい仲間が。正面には、相棒のタブレット端末を操作する林さんが。

 俺は三人の顔を見て、すごくホッとした。

 ルイさんの指摘に恭也がクスクス笑って、冷静な林さんから労われるという何気ない光景なんだけど、三人が俺のそばに居てくれるだけでこんなにも安心感が違う。

 一人での雑誌の撮影じゃ、おとなしく座ってることさえ出来ないくらいウロウロして、楽屋の隅っこが定位置になっちゃう俺がこうしてジッと座ってられてるんだもん。

 本番前のいじけ癖が少しずつ治ってきてるのは、隅っこには行かせないとばかりに俺に張り付いてる恭也とルイさんの過保護っぷりの賜物だ。

 その場に林さんも居たら、百人力。

 三人まとめてメンタルケアをしてくれるんだから、ずっといじけ虫のままじゃダメだって、自ずと俺にもそういう意識が芽生えてくる。


「なぁハルポン、こっち向けるか」
「えっ、はい?」


 ルイさんにそう言われて、俺は左斜め上を見上げた。

 赤茶色のロン毛のルイさんは、レッスンじゃない日もたまに後ろで一括りに結んでるけど、今日はハーフアップってやつにしてる。

 丸出しの両耳におっきくて丸い銀色のピアスが光っていて、『痛そう……』という感想を抱いた俺はつい、少しだけ口元が歪んだ。

 ルイさんはルイさんで、そんな俺の顔をジーッと凝視してくる。

 ……まばたきしてないけど大丈夫かな。


「……化粧てほんまスゴイよなぁ。こんなんマジのテンションで言うたらあかんのやろけど……可愛いわ、普通に」
「え?」
「葉璃は、メイクなんてしなくても、いつも可愛いけどね」
「ちょっ、恭也までやめてよ」


 しみじみとため息まじりに言ったルイさんの言葉に、「お世辞を言わせてすみません」と卑屈な返事をしようとしたのに、右隣から柔らかな声がしてタイミングを逃した。

 控えめに笑う恭也は、今日も抜群にイケメンだ。映画の撮影中はほとんど変えられなかった髪型を、年始から刈り上げマッシュってやつにしてお洒落イケメンになった。センター分けにしてる長めの前髪から覗く一重の目が、俺にはとっても優しく見える。

 ルイさんといい、恭也といい、二人はこんなにイケてるのに、俺は高校生の時のまま何にも変わらない。

 言うまでもなくかっこよくもなければ、当然可愛くもないし。

 聖南もだけど、みんなちょっと欲目が過ぎるよ。

 もしそんな風に見えてるんだとしたら、コンクレの美人社員さんのメイクの腕が凄いだけだと思う。

 誰にも〝ハル〟だとバレないメイクを施してくれたあの時も、毎回ヘアメイクさんの腕に感動しちゃってたぐらいだしな。


「テーマがユニセックスなのにこんなべっぴんになったらあかんやろ。ハルポンのポテンシャルがえぐいねん」
「えっ、お、俺が悪いんですかっ?」
「それは分かる。このリップクリームが、どれだけいい品だとしても、それを使ったくらいじゃ、葉璃みたいには、なれない」
「恭也、その発言はどうなの……」


 ルイさんの度を超えたお世辞に、恭也が大きく頷いた。しかもコンクレの社員さんには聞かせられないような爆弾発言までしていて、楽屋には俺たちしか居ないのに視線をくるくる彷徨わせてドギマギしてしまった。

 ポテンシャルがどうとか、俺みたいになれないとか、よく分かんないけど貶されてるわけじゃ……ないんだよね?

 本番前でいつもより頭が働かないんだから、仲良し二人で交代で色々言ってこないでほしい。

 俺を励まそうとしてくれてるのは分かるけど、なんていうかホントに……返事に困っちゃうよ。



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