狂愛サイリューム

須藤慎弥

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43★CM撮影〜三日前〜

43★

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★   恭也 ★



 俺とルイさんが打ち合わせの席に同行したのは、本当に正解だったと思う。

 レッスン中もその後も、特に葉璃に変わった様子は無かった。

 ちょっとおかしくなったと感じたのは、コンクレの社屋を見たとき。俺でも一度はテレビで観たことのあるCMが、壁面の大きなモニターで流れているのを見上げた時から、葉璃の口から魂が抜け始めていた。

 そして打ち合わせが終わる頃には、全体的に真っ白になって遠い目をしていたんだよね。

 多分あの調子だと、打ち合わせの内容はほとんど覚えてないんだろうなって、ルイさんと話してたんだけど。

 案の定だった。


「え……? バックショットって……完全に裸なの……? 裸になるの? ……俺が?」
「……そうだよ」
「知らなかった……」
「えっ?」


 水曜の午後は、恒例のバラエティー番組の収録がある。午前中はレッスンで午後は収録ってなかなかハードなんだけど、葉璃と一緒なら俺の気力体力は無尽蔵だ。

 打ち合わせは済んでるから、収録開始のお呼びがかかるまで楽屋でお弁当を食べて過ごそうと準備をしていた俺に、突然葉璃が「ウソでしょ……」と呟いた事から話はどんどん広がっていく。


「でも葉璃、絵コンテ見た、よね? 納得、してたんじゃないの?」


 レッスン後だしお腹が空いてるかもしれないと、俺は葉璃の前に種類の違う三つのお弁当を置いた。

 自分用には和食のお弁当を取って、今度は飲み物を物色する。こんな新人アイドルの楽屋でも、相変わらず食べ物も飲み物も豊富でありがたい。

 それにしても……葉璃、なんでいきなり思い出したようにして〝バックショット〟の話を始めたのかな。

 葉璃とは四年以上の付き合いだけど、まだたまに思考回路が読めないことがある。親友として、精進あるのみだ。


「どう撮るのかなって思ってはいたんだけど……まさか裸ん坊になるなんて……」
「…………」


 ……はだかんぼう……。

 初めて聞いた単語だけど、葉璃が言うと可愛いな。

 ふふっと笑いそうなのを堪えて葉璃にも飲み物を見繕うと、今度は眉間にシワを寄せて真剣に唸り出した。


「どのくらい脱ぐんだろう……? お尻まで見えちゃうくらい? それともすっぽんぽん? だとしたら、どうやって控室からスタジオまで移動するの? まさか裸ん坊でみんなにジロジロ見られながら……っ?」
「葉璃、待って。悪いクセ、出てる」
「えっ」


 頭が真っ白でまともに話を聞いてなかったのはいいとして(そのために俺たちが同行したからだ)、これはちょっとよくない。

 いくらなんでも葉璃が理解してなさ過ぎる。

 すっぽんぽんになるんじゃないかって不安がってるけど、撮影では何も全裸になるわけじゃない。

 NGが出てる前面は撮らないってことだから、下はちゃんと履いてるだろうし、上半身裸になったとしてもそれはスタジオに入って定位置についてからだよ。

 バックショットからの横顔を撮りたいみたいだし、葉璃は撮影中、終始後ろ向いてればいいと思う。

 俺も映画の撮影の時、軽めだけどベッドシーンがあった。相手の女優さんが全裸だって聞いてソワソワしちゃったけど、実際は裸に見えるよう工夫しての撮影だったし、大事な部分は前張りやテーピングで隠してあって女優さんへの配慮が感じられた。

 まぁ、もしも万が一、葉璃がすっぽんぽんで移動しなきゃならないなんてことになったら、俺が全力で盾になるから心配いらないんだけどね。


「あのね葉璃、よく聞いて。裸になると言っても、バックショットだから、上半身脱いで、後ろ向きで、撮るだけだよ。葉璃の唇を、アップで撮りたいっていうのが、ねらいだから」
「く、唇……!」


 今回みたいなCMの場合、演者よりもクローズアップされるべきは商品そのもの。それをさらに魅力的に見せられるよう、演者がまさに脇役になるべきなんだ。

 時代の波に乗って、性別を問わない商品が数多く出回ってる世の中で、満を持して発売となった今回の大手化粧品会社の春の新作。

 消費者の購買意欲を湧き立たせるようなCMになればいいなって思ってるけど、葉璃ならきっと大丈夫。

 なんだか目まぐるしく綺麗になってきてる葉璃は、横顔もこんなに素敵なんだもん。……って、俺はまだCMに出演したことがないから、コンクレのプレゼンと自分の解釈のみで経験談としては語れないんだけど。(ユニセックス事件は思い出したら笑っちゃうから我慢だ)


「忘れてた……! ヤバイ! ヤバイよ恭也! 俺っ……俺っ……!!」


 横顔に見惚れていると、葉璃が珍しく鏡の方まで走って行って自分の顔をまじまじと眺めた。

 しかも聞き慣れない大きな声を出すから、俺はビックリして割り箸を落としてしまう。


「何がっ? どうしたのっ? 何がヤバイのっ?」


 割り箸を拾ったついでに振り返ると、走って戻ってきた葉璃が俺にグングン迫ってきた。

 そしてなぜか、背中を丸めてものすごく顔を寄せてくる。


「え、……葉璃、待っ……!」
「どう!?」


 そんなわけないのに、一瞬……キスされるのかと思った。それくらい勢いよく近付いてきたんだよ。

 少し心臓に負担がかかりそうなレベルで焦った。

 葉璃はいったい何がしたかったのか、自分の唇を指差して「どう?」と何度も聞いてくる。


「ど、どうって……?」
「俺の唇だよ! ガサガサじゃない!?」
「えっ……」


 なんだ、そういう事か。

 リップクリームのCMに出演するからには、唇が荒れてちゃダメだもんね。

 鏡で確認して、俺にも「どう?」と聞いてくる葉璃は、こんなに可愛くて綺麗なのに美容とは無縁のところにいる。

 肌のお手入れも髪の毛を乾かすのもセナさん任せだって言うし、もちろん唇がどうなってようが気にもしたことがないんだ。

 この世界に入るまで俺も葉璃と同じく無頓着だったけど、さすがに役者のお仕事を始めてからは気にするようになった。

 打ち合わせに同席した俺とルイさんも頂いたコンクレの新作、実はかなり使い心地と匂いが良くて、乾燥する時期だし俺は毎日ポケットに忍ばせていたりする。


「唇、ガサガサしてるかなっ?」
「あー……いや、全然。そんなこと無いよ」
「ホント!? でも俺、昨日も聖南さんに……って、あ……っ」
「今度はどうしたの」
「い、いや……なんでもない……なんでも……」


 今日も葉璃は元気だ。さっきから一人で百面相してる。それに翻弄されてる俺も、感情が忙しい。

 ちなみに今は、セナさんとの営みでも思い出したのか、俺にはなかなか見せない顔で真っ赤になっている。

 大方、昨夜のイチャイチャを蘇らせて照れてるんだろうな。

 こういう顔を見せられると、ついついもっと照れさせたいって思うようになった俺は、二年前と比べて意地悪な部分の成長が著しい。

 まぁそれも、葉璃限定で、なんだけどね。


「〝そういえば昨日は、セナさんとキス、してないな……〟」
「えっ? 恭也……っ」
「〝そっか、あんまりキスしてたら、唇が乾燥しちゃうから、気を遣ってくれたのかな〟」
「ちょっ、恭也ってばっ!」
「ふふっ……。当たり、でしょ?」
「…………っ!!」




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