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36・夢の価値
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しおりを挟む♡ 葉璃 ♡
やらなきゃスイッチはちゃんと入ったはずなのに、体が思うように動かなかった。
フォーメーション移動も、振りも、遅れないでついていく……その程度にしか出来なかった。
お客さん達には気付かれていないかもしれない。でも俺は、踊ってる時から自分の動きにまったく納得がいってなかった。
その原因は、頭痛と火照り。
二曲目に入る頃にはイヤモニから流れてくる大音量が鼓膜に響いて、微かなズキズキから激しく頭部を叩かれてるようなガンガンという痛みに変わっていった。
途中で耐えきれなくなって、振りの途中でイヤモニを外して肩に引っ掛けたくらいだ。
それでも頭痛は治まるどころかひどくなる一方で、顔を歪めないようにすることに集中しながら踊ってると、今度は気分まで悪くなってきて散々だった。
この俺が花道移動も気にならないほど、それは明らかな不調だった。
どうか、観てる人達が〝ヒナタ〟の不調に気付いてませんように……。
それだけを願いながら、自分のどこかにあるスイッチを信じてひたすら音に乗ること約八分。
『──Lilyの皆さん、ありがとうございましたー! ここで一旦CMです!』
中央ステージでアウトロが聞こえなくなるまでポージング。その後は、司会者の声と会場全体から湧き起こる大きな拍手で番組はCMに入った。
その隙に俺達は、メインステージの方に戻って袖から捌ける。そのメインステージでは、次の出番の男性ソロアーティストさんが準備を始めていて、袖には五組目のバンドマン達が楽器を手に待機中だ。
今日だけは本当の意味で、俺は〝無心〟で踊りきった。
スタッフさんから「お疲れ様!」と声をかけられても、痛む頭が重たくて顔を上げられない。
俺は会釈だけを返しながら、楽屋に向かうLilyのメンバー達から離れて人目につかない場所で立ち止まった。
「はぁ……っ」
暗くて誰も近寄らないような湿っぽい舞台裏に捌けた瞬間、一気に緊張の糸が切れた。
ひんやりとした壁によろけた俺の視界が、一瞬だけ真っ暗になる。経験したことのない痛みは、目を瞑っても少しも気休めにならない。
……あぁ、頭痛い……。
なんとか無事に終わって良かったけど……なんてザマなの。
これじゃ、胸を張ってメンバーとかアイさんに「どうだ、見たか!」って言えないよ。
ジッとしてたらよくなるかもと期待したのに、こうしてる今も全然よくならないし。
……大丈夫だと思ったのに……。これがヒナタとしての最後の仕事だなんて……。
聖南が「甘く見るな」って言ってた意味が分かった。
辺り一面に咲いたサイリュームの光を綺麗だと思えないなんて、ステージに立つ資格が無い。
「葉、っ……ヒナタ!」
「…………」
蹲った俺を見つけて駆け寄ってきたのは、恭也と林さんと、……佐々木さんだ。
みんな、俺が踊ってるところ見ててくれたのかな。
おかしなとこ……無かった? 俺、ちゃんと踊れてた?
尋ねようとしてうまく言葉に出来なかった俺は、ぼんやりとした三人の姿を確認してさらに気が抜ける。
はぁ、と項垂れた俺を心配して、支えるように肩を抱いてきた恭也が文字通り血相を変えた。
「大丈夫!? 具合悪いの!?」
「はは……なんかね、頭ガンガンしてるんだ。笑えるくらい」
「わ、笑えないよ!」
心配かけたくない一心で笑って言ったつもりなんだけど、それをどう捉えたのかもっと声を荒げられた。
出番前に飲んだ薬が効けば、一時的かもしれないけどまた元気になる……と思う。だからそんなに心配しないで、と笑いかけても、恭也はいつも以上に強面になった。
「……ほら、ステージ暑かったからさ。リハの時も俺ずっと暑い暑い言ってたでしょ……、ぅわっ!」
「危ない……っ」
立ち上がろうとしてよろめいた俺を、佐々木さんが受け止めてくれた。……と思いきや、すかさずおでこと首を触られて「熱……」と呟かれてしまう。
「……マズイな。これ三十八度はあるぞ」
「…………」
「えっ!?」
「えっ!?」
佐々木さんの言葉に、恭也と林さんが驚愕した。
そんなはずないです、とすぐに反論出来なかったのは、俺にもちょっとだけその自覚があったから。
午前中に熱が上がった時みたいに、寒気はしない。でも暑い。
すごく……暑い。
興奮してアドレナリンが出てるのとは違う。首に触れた佐々木さんの手のひらが、無性に冷たくて気持ち良かった。
頭はずーっとガンガンしてて、どんどん呼吸もしにくくなってるし、支えが無いと立ってられなくて体が傾いちゃうし、化粧した顔がやけに火照るし……てことは、そういう事なんだな。
熱がある、と佐々木さんみたいにしっかりした人に言われちゃうと、そんな気がしてくるから不思議だ。
〝やっぱりそうか〟って。〝ヤバイじゃん〟って。
「──あ、私です。今そちらにメンバー全員向かってます。ですが……」
「っ、佐々木さんっ」
独り言かと思ったら、佐々木さんは誰かと通話していた。
支えてくれてる腕を掴んで見上げると、佐々木さんのスマホの画面がチラっと見えてしまって、思わず声を張る。
──〝セナさん〟。
その表示を見た俺は、掴んだ腕をグイッと引っ張って首を振った。すると佐々木さんは、一度スマホをミュート機能にして俺を静かに見下ろしてくる。
「……ん?」
「聖南さんには言わないで、ください……っ! お願いします!」
「…………」
眼鏡の奥の瞳を見詰めながら、グイ、グイっと腕を引っ張る。
佐々木さんが聖南に俺の状況なんか話しちゃったら、せっかく残してくれたETOILEの出番が百%失くなっちゃうもん。
〝ヒナタ〟では出演してたのに、〝ハル〟では出演しないなんてそんなの許されないよ……!
「……あぁ、いえ。何でも。ひとまず私もヒナタを連れてそちらへ」
ミュート機能を解除した佐々木さんは、それだけ言うと通話を終了して恭也と目配せした。
良かった……。佐々木さん、黙っててくれた。
あとは俺が、何ともない顔して気を張ってれば聖南に心配かけなくて済む。疲れたとか何とか言って誤魔化して、ETOILEの出番までちょっとだけ寝かせてもらえれば問題なく出演出来るはず。
そう、……大丈夫だ。うまくやる……必ず。
「ねぇ、俺……熱があるの、分かってて、見過ごせないよ……」
「ああ、本当にな。このままこの後も出演するつもりか?」
「無理だよ、ハ……じゃない。……ヒナタ」
ただ楽観的なのは俺だけだったみたいで、三人が順番に俺のほっぺたや手のひらに触ってきた。
こんなに心配されて……聖南に口止めまで頼んで……俺、情けないったらない。
俺がどんなに「大丈夫」と言ったって、ちょっと気を緩めたらフラつくほどの不調を聖南の前で隠し通せるわけないのに、俺はETOILEの出番を休みたくないあまり意地を張っていた。
「や、やだなぁ。俺なら大丈夫です。次の出番まで三十分以上あります。それまでおとなしく寝てれば、お薬が効いてくると思うんです」
「…………」
「…………」
「…………」
「俺こう見えて頑丈なんで」
虚勢を張った。
これ以上心配かけないように、俺の体を支えてくれてた佐々木さんと恭也から離れて自立する。そして、ニッと笑ってみせた。
俺の下手くそなウソなんかじゃ三人ともの険しい表情を崩せなかったけど、構わずLilyの楽屋を目指す。
一歩が重たい。歩く度に、何かの合図みたいに頭の中でガンガンと音がする。
でも俺は、よろめかずに必死で前を向いて歩いた。
これからヒナタの変身を解いて、今度は〝ハル〟にならなきゃだもん。
誰かに頭を殴られ続けてるような痛みも、薬が効くまでの辛抱だ。あんなに暑いところで八分動きまくったら、そりゃあ誰でもちょっとくらい体調おかしくなるって。
俺は元気だ。いつもと違うのは、おでこに出来た膨れたたんこぶくらい。
Lilyの出番をやりきった俺なら、ETOILEとしての役割もきちんと果たせる。いや、果たさなきゃダメなんだ。
「判断は……セナさんに任せるしかない」
先を急ぐ俺の後ろをついてくる佐々木さんが、さも当然かのようにそんな事を呟いて、二人もそれに同調していた。
この時、すでに三人は三十分後の俺の未来が分かってたんだろうな。
ウソが下手くそな俺と、トップアイドル聖南……いったいどっちが凱歌を上げるのか。
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