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36・夢の価値
36♡3
しおりを挟む♡ 葉璃 ♡
顔だけ〝ヒナタ〟になった俺は、林さんと一緒に大急ぎでETOILEの楽屋に戻った。
辺りを警戒する林さんからガッチリと腕を掴まれていて、そんなに心配しなくても倒れたりしないのに……と笑う余裕まである。
マスクと帽子で簡単な武装をしてる今、その余裕は誰にも伝わってないと思うけど。
──コンコンッ。
林さんの強めのノックのあと、俺は背中を押されるようにして入室させられる。
あの寒々しい楽屋とは打って変わって、ここは温かいからすぐに顔を上げた。
けれど次の瞬間、俺はあり得ないものを目にしてしまう。
「──え、っ!? だ、誰……っ!?」
驚きのあまり、声がひっくり返る。
さっきのどんよりとした雰囲気を引きずってるせいか、瞳を見開いただけでズキンッとこめかみに痛みが走った。
でも、そんなのに気を取られてる場合じゃない。
なんとETOILEの楽屋に、俺と似たような私服を着てマスクと帽子を被った〝ヒナタ〟が、もう一人そこに居たんだ。
──えっ、誰……っ? 誰なのっ!?
何回も瞬きをして、メイク後で目をゴシゴシ出来ないことを悔やみながら少しずつその人に近寄って行くと、突然ぎゅむっと抱き締められた。
「葉璃! 私よ、私!」
「は、は、春香!? なんで、っ? えっ?」
どういう事!?
なんで春香がここにっ? memoryは今日の番組、出演辞退したんじゃなかった?
ていうか、なんでヒナタの顔になってるのっ? なんでみんな、平然としてるのっ?
顔も背格好も似てる春香から抱きつかれて、「目が覚めて良かったぁ」と心からの安堵の声を聞くと、俺は〝なんで!?〟をなかなか切り出せなかった。
「説明は後だ。葉璃、とりあえずこれ腹に入れて薬飲め」
「あ、はい、……っ」
久しぶりに会う春香がヒナタになってることに動揺を隠せないまま、近付いてきた聖南から細長いパックの牛乳と三種類の薬を手渡される。
そうだ、俺には時間が無い……あっ! あと八分じゃん……!
ヤバイヤバイと焦ってると、すかさず隣に恭也が来て、無言で牛乳パックにストローをさしてくれた。
うぅ……ありがとう、恭也……。
聖南に言われた通りまずは牛乳を飲んで、そのあと恭也が手渡してくれたお水で三つの錠剤を一気にゴクン、と飲んだ。
「それでは行ってまいります」
「オッケー。よろしくな」
「風助も呼びましたので百人力です」
「風助?」
あれっ、佐々木さんも居るの!?
あと七分四十秒……髪の毛どうしよう。衣装もあっちの楽屋にあるし……。聖南は何の話があって俺を呼んだのかな。ただ薬を飲ませたかっただけ……?
色んなことが頭の中をかけ巡っていて、しかも時計とにらめっこしてたから佐々木さんが居たのも全然気が付かなかった。
さらにそこへ、新たな訪問者が「時間だろ」と楽屋の扉を開けて顔を覗かせる。現れた黒髪のその人も、背が高くてすごくかっこいい。
聖南が「あっ」と声を上げたところを見ると、業界の知り合いなのかな……?
「あんたは……」
「セナさん、風助のこと覚えてるんですか?」
「いや、そんなハッキリとは。でもその目は記憶にある」
「お前か、日向聖南って。その常人離れしたキレーなツラ、あの頃と何も変わんねーな」
……ん?
あの人、聖南の本名知ってるの? 聖南じゃなくて佐々木さんの知り合い?
かっこいいけど、なんだか声と言葉づかいがおっかない人だ。
「……あ~、思い出した。俺が彫刻刀で目潰ししようとした時に阻止した男だ。違う?」
「そうだ。……って、俺もあんま覚えてねーんだけどな」
「元気そうじゃん。あれから何年経った? 十年以上だよな? あの時とまったく変わってないってヤバくない? 美少女の生き血でも飲んでんの?」
「なんでみんな俺を魔界の住人にしたがるんだ。ま、美少年の精液は毎晩飲ん……」
「風助、セナさん、今は一刻の猶予も無えんだ。世間話は後にしろ! ……春香、先に出て。五秒後に追うよ」
「はい、分かりました!」
佐々木さんに促された春香は、帽子を被り直して俺に手を振ると、そそくさと楽屋を出て行った。
宣言通り、五秒後に佐々木さんも出て行く。
……何? 一刻の猶予も無いって言ってたけど……あの春香の姿と関係あるの?
「ごめん、諸々終わったら改めて礼はする。樹から聞いてると思うけど、……よろしくな」
「ああ。よく分かんねーけど分かった」
聖南と世間話をしていた黒髪の人も、二人を追いかけるみたいにゆらりと出て行ってしまって、意味深な会話も俺には何が何だかさっぱり分からない。
「聖南さん、なんで春香がヒナタの顔になってたんですか?」
時間が無いのは重々承知してるけど、いそいそとパーテーションの裏に回った聖南に近寄った。
「俺が頼んだ。アイをおびき寄せるために、春香に葉璃の影武者になってくれって」
「えぇっ!?」
「今春香にはLilyの楽屋に潜入してもらった。ここにヒナタの衣装はあるから、葉璃ちゃんはマッハで着替えて」
「い、衣装!? でも向こうにも衣装ありましたよっ?」
「こっちにも衣装届けてもらったんだ。大所帯グループは大体三着以上は衣装の予備あるから」
「そうだったんですか!」
聞きたいことは山ほどあった。でもとりあえず俺はマッハで着替えないと……!
とはいえ、Lilyの衣装は難しくなくていい。今日もヘソが出ちゃうくらい着丈が短い白色のカッターシャツと、デニム生地のハーフパンツだけなんだよ。それと、男性受けしそうなニーハイブーツで、エッチな衣装はあっという間に完成。
これだと、どちらかというと〝ハル〟の方が着替えに時間かかるよ。
「あっ……」
ブーツを履き終えてふと目に入ったのは、茶髪のサラサラロングヘアーのウイッグ。初めて触った感覚は……キシキシ……?
今日はエクステじゃないんだ。……って、そりゃそうか。メイクさんもこんなにドタバタなアーティストにずっとついてられないよね。
でもこれ……どうやって固定するんだろ……?
どっちが前でどっちが後ろ?
わわわわ……っ、あんまり触ってると絡まっちゃいそう……!
俺の不器用な手でやると単なる爆発頭になりそうだったから、そうなっちゃう前に聖南にヘルプを出した。
「す、すみません、あとはウィッグ調整なんですけどうまく出来なくて……」
「あぁ、おいで。手伝うよ。アキラ、ケイタ、ちょっと見てやってくれ」
「オッケー」
「了解~」
舞台での役者経験豊富な二人が、俺にはちんぷんかんぷんだった網みたいなのを利用してウィッグを完璧に固定してくれた。
その最中ずっと、「可愛いけどエロい」ってセリフが四方向から聞こえてきて、シンプルな衣装なのにやっぱ男はそそられるんだって妙な納得をした。
俺のヘソを舐めたがる聖南は分かるけど、アキラさんとケイタさんと恭也まで「ヘソ出してんのヤバイ」……こう言ってたんだよ。
「これで大丈夫だと思うけど、あとは袖でチェックしてもらってね」
「…………」
んー……。
ウィッグで頭皮が突っ張る感覚があるからなのかな。こんなに近くに居るのに、ケイタさんの声が少し遠くに聴こえたんだけど……気のせい?
「ハル君、大丈夫?」
「あっはい、大丈夫です!」
……痛てて……。
なんだろ、頻繁にこめかみが痛むようになってきちゃったなぁ……。
ウィッグは初めてだからしょうがないか。
「わ、ヤバッ!」
片目を細めてふと見た時計の針は、十九時二十五分を指している。
もうとっくに袖待機の時間過ぎてるよ……!
ウィッグのチェックしてもらって、イヤモニも装着しなきゃだから早く行かないと!
「葉璃、ちょい待て」
「うわわ……っ、」
完全に〝ヒナタ〟になった俺が楽屋を飛び出そうとしたその時、聖南にガシッと腕を掴まれて後ろによろめく。
振り返りざまに見上げると、〝セナ〟から顔を覗き込まれた。
「なんか顔赤くねぇ……? 震えてるし」
「そっ、そんなことないですよ! 緊張して震えちゃうのはいつものことなんで……!」
「…………」
そうだけど、と腑に落ちないらしい聖南はやっぱり鋭い。
ほんとは今も、こめかみがズキズキする。震えてもいる。ただ寒気は全然無いから心配いらない。
そんなことより本番が迫ってる。走って袖まで行かなきゃいけないから、緊張するだの何だのもう言ってられない。
お兄さん達に見送られながら「行ってきます」と言って楽屋を飛び出したのと、背後から聖南のスマホの着信音が鳴ったのは、ほぼ同時だった。
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