狂愛サイリューム

須藤慎弥

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36・夢の価値

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❥ 聖南 ❥



 葉璃と林が楽屋を退室してすぐ、聖南は矢継ぎ早に〝ヒナタ〟影武者作戦をその場に居た三人に改めて伝えた。

 作戦を聞かされていたアキラとケイタはすんなりと状況把握した様子だったが、それが初耳だった恭也は珍しくカッと目を見開き驚いていた。

 しかしそう考えるに至った経緯を長々と説明している暇は無く、聖南はおもむろに二台のスマホを両手で器用に操作し始める。

 Lilyの出番まで、残り十四分。

 一方は佐々木へ発信し、もう一方のスマホでは社長に状況報告のメッセージを打った。

 相手からの返事を待たず、発信音が途切れたと同時に聖南は問う。


「──そっちはどうだ?」
『居ませんね。風助と舎弟とボディーガードの方々とも連絡取ったんですが、まだ。本番も近いことですし、私はそろそろ〝ヒナタ〟に張り付きます。一度そちらへ戻ります』
「……了解」


 チッ、と舌打ちをしてしまいかけた聖南だが決して、佐々木に憤っているわけではない。

 むしろ、人探しは頭数が必要だろうとわざわざ暴走族時代の仲間まで呼び出し、聖南の作戦を遂行してくれている彼には相当に感謝していた。

 今日は康平が独自で雇った警備員十名と、忍者のように気配の無いボディーガード二名が外を張っている。だが、何度かドームでの番組出演経験のあるアイには、どれだけ厳重な警備を敷いていようが案外侵入は容易い。

 ここは敷地も広ければ、五万人超えの観客と百単位のスタッフが行き交っている。

 今の今まで、内外問わず動き回ってくれていた佐々木達が見つけられなかったという事は、アイはおそらくすでに警備をかいくぐり、ヒナタを潰すためにすぐそばまで来ている。

 聖南は先刻のホテルに到着するやあらゆる方面へ電話をしていたが、SHDエンターテイメントもその中にあった。


〝本番は予定通りだ。それを一番知りたがってるヤツに伝えてくれ〟


 事務所の人間には何の話だか悟られぬよう、やる気の無さそうな声色で受け答えする電話越しの女性へ、聖南はそうミナミへの伝言を頼んだのだ。

 とにかくアイが来なくては始まらない。

 聖南の作戦も、葉璃の復讐も。


「……見つからないって?」


 ケイタに問われた聖南は、頷きながら時刻を確認した。

 残り、十二分。


「ああ、……いいのか悪いのか」
「来ないにこした事はねぇよ」
「まぁな」


 アキラに言われ、確かにとまた頷く。元凶であるアイさえ来なければ、葉璃も、囮となった春香も恐々としなくて済む。

 この作戦は失敗に終わるが、何よりさらなる被害を生まないにこした事は無い。

 恭也は状況を把握しようと沈黙しているが、アキラとケイタは神妙に会話を続けた。


「もし来てたとして、影武者作戦うまくいくかなぁ」
「賭けだよな。でもさっきの春香ちゃんの姿見たら誰でも騙されるって」
「ホントにマジでヒナタちゃんだったもんねー。memoryのメイクさんがやってくれたんでしょ? さすがプロだよね」
「普段は全く違うように見えるのに不思議だよな。あんなに瓜ふたつに仕上がるとは。二人は双子なんだなって改めて再確認した」
「ねー」


 もうじき到着予定だという社長からの返信を捌きつつ、二人の会話に聞き耳を立てていた聖南は心の中で大きく同調していた。

 実は聖南達がここへやって来た時から、件の作戦は始まっていた。

 一足早く佐々木らと到着していた春香は、memoryのスタイリストによって忠実にヒナタに化ける事に成功し、現在まで成田と行動を共にしてもらっている。

 スタッフが様々行き交う場での接触は無いと見ているが、これはアイがドーム内に潜伏している事を想定した所謂撒き餌のようなもの。

 アキラの感想同様、聖南も思わず息を呑むほど春香は〝ヒナタ〟に化けていた。

 聖南の意図が正確にミナミへと伝わっているとするならば、実際に葉璃がこの場に居ると知ったアイは動かずにはいられないと踏んだのだ。

 何しろ彼女は、激しい悪感情で動いている。葉璃を陥れるつもりなら、今回こそは先手でいくと企てた聖南の策に乗らない手は無いのだ。


「アイはすでにドーム内に潜伏してると思う。客席じゃなく、裏方に」
「なんで分かるの?」
「……勘?」
「えぇ~セナの第六感なんて信じていいの?」
「ケイタ、あんま突っ込んでやるな。セナも追い込まれてんだ」
「…………」


 まさにそれぞれの発言は後尤もとしか言う他なく、聖南は苦笑いしか返せない。

 結局は、自分一人があれこれ動いたところで焼け石に水だ。

 葉璃を守りたい意志だけを強くし、フラストレーションばかりを内に溜め込んで、解決しない現実に嘆くのはもう嫌だった。

 自分達が置かれているのは特異な場所であるという事を、聖南はもっと早くに気付かなくてはいけなかったのだ。

 よくある事だ、自分一人で何とかなる、と片付けていては何も変わらない。


「──お疲れ」


 一度こちらへ戻ると話していた佐々木を待つ間、ヒナタに扮した春香と成田も戻ってきた。


「お疲れ。どうだった?」
「それらしい人物は居なさそうだったよ。三ヶ所の女子トイレと、シャワールームにも行ってみたんだけど」
「私もアイさんっぽい人は見かけませんでした」
「そっか。……ありがとう」


 成果が無かったと二人は申し訳無さそうだが、アイがそう簡単に姿を現さない事は想定内だ。

 重要なのはここからである。


「春香、次は予定通り葉璃と入れ違いにLilyの楽屋に行ってもらう。怖えかもだけど、樹と成田は扉の外待機だ。……本当に大丈夫か?」
「もちろんいいですよ! 私怒りに燃えてるんで、全っっ然、怖くないです! 葉璃のために頑張ります!」
「ありがとな」


 ヒナタの姿で息巻く春香に、気持ちは分かったから声量を落とせ、と軽口を叩いた聖南は笑みを浮かべていた。

 聖南と葉璃の周りには、こんなにもたくさんの協力者が居る。強がらず、頼っていいのだと聖南を鼓舞してくれる者しか居ない。

 もはや葉璃を守りたい一心での強情は、無意味だ。

 ──Lilyの本番まで、残り十分。




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