狂愛サイリューム

須藤慎弥

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35・アイドルの本気

35♡8

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♡ 葉璃 ♡



 十九時本番の二時間前、ルイさん以外のみんなでドームに移動した。

 CROWNのバックダンサーとしての出番があるルイさんは、ホテルに残ってダンサーの皆さんと動きの確認とかをしなきゃいけないらしい。

 「自分も行きたい」って俺の服引っ張ってしょんぼりしてたけど、いくらバックダンサーが今年いっぱいだからってあんまりダンサーさん達との別行動はよくないし、ルイさんには「あとでヒナタ姿の写真送ります」となだめておいた。

 とはいえ、まだ俺とヒナタが一致しないと嘆いていたルイさんに、すごくよくない手を使っちゃった自覚はある……。


「──葉璃、ぶっつけでいける?」
「は、はい?」


 横になった俺の傍らで、まるで見張りのようにずっと胡座をかいて座ってる聖南が突然そんな事を聞いてきた。


「Lilyの出番のこと……ですか」


 上体を起こそうとすると、すかさず聖南が背中を支えてくれる。

 俺がなぜ、出番前にも関わらず呑気に横になってるのかというと……。

 楽屋に入るなり、聖南は俺に「寝てろ」としか言わなかったんだ。

 出番順が七組目のETOILEはドーム内待機で、はじめから楽屋が用意されていた。それに便乗する形でCROWNの三人もここで本番を待つ事になったんだけど、言わずもがな便乗というのは表向きだ。

 ドームに着くと、聖南はもう〝セナ〟の顔をしていた。だから俺は、おとなしく言うことを聞いた。

 心配し過ぎだよって言えなかったのは、聖南だけがそうだったわけじゃないからだ。

 パーテーションで楽屋を仕切った狭いスペースに、成田さんと林さんがどこかから調達してきた小さいマットレスとタオルを敷いてくれた。

 アキラさんは薄い毛布を、ケイタさんはモフモフしたクッションを、ホテルの駐車場に停めてあるそれぞれの愛車からここまで持ってきてくれた。

 恭也は、聖南が用意したニパターンの私服が入った俺の荷物を肌見放さず持ち歩いて、各スタッフさんとの打ち合わせを全部、一人で行ってくれた。

 〝申し訳ない〟としか言えないくらいみんなが忙しなく優しくて、卑屈さを出してる間もなかった。

 この一時間強、キレさせたら世界で一番こわいかもしれない恋人に見守られて、俺は寝てただけ……。


「そう。本番前に接触するのはメンタル的に厳しいだろ」
「俺なら大丈夫ですけど……メンバーのみんながって事ですよね?」
「違う。アイツらのメンタルなんか心配しねぇよ。……っつっても、そうもいかねぇんだよな。パフォーマンスに影響出ねぇとも限んねぇから」
「あ、……それ、俺も思ってました」


 ふと俺の手を握った聖南が、なんとも渋い顔になる。

 出番前に一言物申すつもりでいた俺だけど、それだと気まずくなっちゃうかもしれない。……と考え直して正解だった。

 ちなみにLilyの出番は三組目。

 俺はETOILEとしてオープニングに出演した後、すぐにLilyと合流して出番に備えなくちゃならない。

 ETOILEよりも出番が先のLilyも当然、同じ並びのどこかの楽屋に居るんだろうけど、俺はまだそこへは行ってない。

 本当なら俺もLilyの楽屋に行って、オープニングの時間ギリギリまでみんなと振付けやフォーメーション確認をするべきなのに、聖南は俺に〝ぶっつけ本番〟が出来るかどうかを聞いてきた。

 ……って事は、俺は出番前にリカさん達の顔を見なくていい、のか……。


「アイツらは葉璃が来てる事まだ知らねぇだろうから、しめしめとでも思ってんじゃね? うまくやったぜって高笑いしてるかも」
「意地悪な考えですよ、聖南さん」
「アイツらのどこが意地悪じゃねぇってんだ」
「まぁ、……そうかもしれないですけど……」


 しめしめ、かぁ……。聖南の苦い顔と発言に強く否定出来ないから、俺も少しはそう思っちゃってるんだな。

 俺にすべての恨みをぶつけるのは構わないけど、出番を妨害されるのだけは我慢できないんだもん。

 一度は心が折れかけた。たくさん嫌なこと言われて、冷たくあたられて、こんな任務引き受けるんじゃなかったって思った。

 傷付くのが怖くて殻に閉じこもってた俺なんかには、到底相応しくない場所だから諦めちゃえって。


「葉璃が一番イヤな事、だったんだろ」
「……はい」


 いよいよ入場が始まったらしい会場の賑やかな音にかき消されないように、聖南はちゅっと俺の耳に口付けて囁いた。

 一度諦めかけた気持ちを奮い立たせてくれた大好きな人が、温かくて愛情いっぱいの腕で強く抱き締めてくれる。

 そして今日もまた、全力で俺の味方をする。


「葉璃は何も悪くない。葉璃は頑張ってきた」
「…………」
「こんな事言うとまた俺は〝甘い〟って言われんだろうけど……葉璃は誰よりも努力してきたし、我慢してきた。俺はそれを一番近くで見てたんだ。葉璃の居場所を取り上げようとしたアイツらを、俺が許すはずねぇだろ……」
「……聖南さん……」


 俺達の密談に気を遣ってくれてるのか、パーテーションの向こう側に居るはずのお兄さん達は終始静かだ。と言っても、会場にお客さんが入る前から通路を行き交うスタッフさん達の足音がひっきりなしで、楽屋は静寂に包まれてる……とは言えなかったんだけど。

 やっぱり聖南は、俺に甘いよ。お前のワガママなんかに付き合えるかって怒ってもいいくらいなのに、聖南は結局俺の気持ちを誰よりも汲む。

 俺が何に怒ってるか、何が我慢ならなかったのか、その全部を理解して受け止めてくれる。

 ほんとは今も、〝出演はやめとけ〟と言いたいのを堪えてるんだろうな。

 聖南がふと体を離して瞳を覗き込んできたんだけど、すごく複雑な表情をしていた。


「体調は?」
「ん、……っ」


 ちゅ、と唇を塞がれた。それは見事なくらい鮮やかな、一瞬の早業だった。

 ごめんなさい、ありがとうございます、心配かけてすみません、俺の味方でいてくれてありがとうございます、ワガママ言ってごめんなさい──色んな思いが、たった一回のキスでパンッと弾け飛んだ。

 不意打ちはずるい。

 今の今まで、それこそ俺が目覚めてから少しもそんな気配無かったのに。

 〝今〟だなんて。


「……大丈夫そうだな」


 おでこ同士をくっつけた聖南が、とても近いところでふわりと笑う。

 い、いや……こんなことされちゃうと逆に熱上がっちゃうよ。大丈夫だけど、大丈夫じゃない。

 ほら、もう心臓がうるさくなってきた。


「葉璃?」
「は、はい、全然平気です。キツいとか頭痛いとかも無いし、きっと治ったんです。ていうか治りました、うん」
「それは甘い。昨日だって夜中急に熱上がったじゃん」
「そ、それは……っ」


 聖南から不意打ちを食らったけど、みんなの厚意を無駄にしないためにもおとなしくしてた俺は、そんなに心配してもらわなくても平気。

 横になって目を瞑るだけで、熟睡した時と同じくらい疲労回復したりリラックス効果が期待できるんだって。てっぺんを回る撮影の時とかに、聖南はよく楽屋でそうしてたらしい。

 〝セナ〟の顔で俺を諭した言葉は妙に説得力があって、言うことを聞いて良かったと本気で思ってるんだよ。

 それなのに、なんで聖南は仏頂面なの。「葉璃」って呼ぶ声が、俺を窘める時のそれになってるし。


「は、はいっ……?」
「俺分かるからな。葉璃の顔見たら、体調いいか悪いか、もう分かるんだからな」


 うっ、……。

 万が一これから熱が上がったとしても、出番を休みたくない俺が「治りました」で切り抜けるつもりだって、聖南にはバレてるんだ。

 敵わないや。


「……無理は、しません。聖南さんの言うこと聞きます」
「ん、いい子」
「…………っ」


 俺の返事に、大きな手のひらでほっぺたをもちもち触ってくる聖南が満面の笑顔になった。

 その笑顔につられて微笑んでみせると、「ゼリー二個しか食ってねぇから激痩せしてんな」としみじみ呟かれて、聞き捨てならない俺はムムッとなる。

 聖南、俺はね、一日食べなかったくらいで痩せたりしないよっ。





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