狂愛サイリューム

須藤慎弥

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34・罠

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 三年前の夏、葉璃に一目惚れした聖南は当時何枚も写真をおさめていた。盗み撮り……いわゆる盗撮である。

 機種変更したスマホにもデータ移行し、交際後には毎日増えていく〝葉璃フォルダ〟の中身。

 その中に保存されていた、春香に化けた懐かしい葉璃の写真を遡り……聖南は正面突破の作戦を閃いたのだ。

 呆気にとられた佐々木は、しばらく聖南の顔を凝視し彼らしくない小さな声を絞り出す。


「春香に了承は……?」
「まだ。先にマネージャーに話通しとくのが筋だろうと思ってな」
「まったく……まずそちらが先でしょうに」
「今から連絡するよ」


 業界人たるものタレントにアポを取る際はマネージャーを通すのが常であるため、その頭しかなかった聖南はそれに準じただけだ。

 筋を通された佐々木は案の定、何も言えない。

 それを了承とみなし、早速春香に連絡を取ろうとしたが、溜め息混じりの佐々木が「私がします」と買って出てくれた。

 スマホを取り出したついでに時刻を確認すると、二十三時を回ろうとしている。

 葉璃はまだ目覚めないのだろうか。


『……はい、春香です。お疲れ様です』
「お疲れ様。いきなりで悪いんだけど、セナさんに代わるよ」
『えっ!? 佐々木さん、セナさんと一緒に居るんですかっ?』


 突然の佐々木の連絡に、普段から大きな春香の声が聖南のもとにも届いた。

 やや緊張気味に、彼の仕事用と思しきスマホを受け取る。


「お疲れ、春香。さっきはどうも」
『ど、どうもです……。まだお母さんからは連絡きてないんですけど……』
「あぁ、別件で電話したんだ」
『別件……?』
「春香、少々危険を伴う任務を頼みてぇんだけど、葉璃のために一肌脱いでくんねぇか」
『……え……? え? どういう事ですか?』


 誰が聞いても藪から棒な話に、電話口でも分かるほど春香が動揺を示した。

 聖南は、唐突に閃いた作戦を春香と佐々木に語って聞かせる。

 同業だからこそ、一番近くて遠い場所からLilyの黒い噂を見聞きしていた春香は、傷付けられた愚弟を思い瞳を僅かに潤ませていた。

 〝ヒナタ〟の正体にまったく気が付かなかった事を嘆いてもいた。母親もそうだ。

 自身の家族さえも欺いていた葉璃は、心を痛めながらも完璧に任務を遂行し、完遂目前だったのだ。

 葉璃に自信と野心を根付かせるためとはいえ、社長の判断が正しかったとは言えないけれど、間違いなく彼の実力を誇示する結果にはなっている。

 緊急な任務を抱える事の多い葉璃は、他の誰でもなく〝セナ〟その人を追いかけたいから頑張ると声高に言うので、せっかく芽生えた向上心を聖南本人が摘むわけにはいかない。


「──って事だから。樹が春香に張り付いとくし、うちのマネージャー二人も徹底的に春香についとく。……頼めねぇかな?」
『………………』
「春香、怖いならやめておきなさい。相手は煩悩に惑わされて頭がイってる。私がついてるとはいえ、恐怖を感じる事もあるかもしれない。セナさんの頼みだからって無理はしなくていい」
『………………』


 佐々木のフォローは尤もで、聖南も決して無理強いする気は無かった。

 何度も葉璃にピンチを救ってもらい、常日頃から愚弟を気にかけている春香なら二つ返事で引き受けてくれるのではと思ったが、聖南の作戦を黙って聞いていた春香の沈黙は長かった。

 搔い摘んでこれまで経緯を話した事で、やはり恐怖心が勝ったのかもしれない。

 その長い沈黙を『ごめんなさい』という謝絶に捉えた聖南が、新たな策を考えようと顔を上げた。

 しかし、──。


『やります』
「えっ」
「えっ」
『やります、絶対やります。やらせてください。だってそんなの……っ、うちの葉璃が何したっていうの!? 許せない……っ!』
「………………」
「………………」


 春香の切羽詰まったような声色に、聖南と佐々木は顔を見合わせた。

 どうやら長かった沈黙の間、春香は沸々と怒りを滾らせていたようだ。


『やっと……やっと恩返しできる……っ』
「恩返し?」
『はい。私いっつも肝心なところでヘマして、葉璃に頼ってばっかりだったから……。数分早く産まれただけでも、お姉ちゃんはお姉ちゃんなんだからしっかりしなきゃって気を張って……空回りしちゃうんですよ。葉璃に無理難題押し付けたこと、今もまだちゃんと謝れてないんです。だってあんなに完璧に私の影武者されちゃうと、ほんのちょっとだけ嫉妬の気持ち湧いちゃって。あっ、でも憎いとかそんなんじゃないですよ! 双子なのにこんなに違う!?ってくらい実力の差を見せつけられて、打ちのめされるって感じで……っ』
「……春香、落ち着きなさい」
『あっ、すみません! なんか興奮してきちゃって!』


 言葉通り興奮した春香は、聖南が割って入れないほど饒舌に思いの丈をぶちまけていた。佐々木が止めなければ、あと数分は早口な春香の独壇場であった。

 けれど聖南は、姉の思いを聞けて嬉しかった。

 葉璃に影武者を頼む際、きっと彼女は毎回申し訳無さと悔しさを抱えているだろうと、それは葉璃とも話した事があった。

 春香にとっては晴れ舞台だが、葉璃にとってはそうではない。だがほんの数時間で春香の分身となれる葉璃に、そういう意味での嫉妬を覚えるのは仕方がない事だと思うのだ。

 それは比べるまでもなく、人間らしい羨望の入り混じった嫉妬であり、アイ達が葉璃に向けたものとは全くの別ものである。

 そしてなんと言っても、春香が居なくては聖南と葉璃に必然的な出会いは起こらなかった。春香には、どういう言葉が適切なのか分からないほどの恩がある。


「春香が空回ったおかげで、俺は葉璃と出会えたんだ。土壇場で練習の成果出せなかった春香の気持ち考えたら、軽々しくこんな事言うのは間違ってんだろうけど……感謝してるよ」
『セナさん……!』
「色々あったよな、マジで」
『……はい、っ……ほんとに……!』
「詳しい事はこれから樹と打ち合わせして、明日春香に伝えるから。……引き受けてくれてありがとな」
『いえ、そんなっ!』


 興奮冷めやらぬ春香との通話を終了し、佐々木にスマホを返す。

 佐々木も感慨深いのか、表情が柔らかい。


「良かったですね」
「あぁ。てか葉璃の性格って、春香の影響がデカいよな」
「……だと思います。というより親御さんの育て方がいいんでしょうね。春香は良い意味でも悪い意味でも、曲がったことが嫌いで快活。葉璃は……」
「そんな活発な姉ちゃん見て育ったから、気質は同じでも控えめでネガティブ思考になった、ってな?」
「フッ……」
「ふっ……」


 聖南の過去を知っているがゆえに〝お譲り〟してくれたらしいが、葉璃はモノではない。とはいえ愛玩動物を愛でるような感覚で葉璃を見ている聖南と佐々木は、すぐに口論とはなるものの意気投合も早い。

 二人は怪しい笑顔を浮かべつつ、明日の作戦を練っていった。

 聖南が軍師となり、佐々木は補助役に徹する。作戦の一部始終は、ヒナタの存在を知るこちら側の人間全員に共有した方がいいとの事で、ひとまず短な作戦会議は終了した。

 外はまだ、粉雪が舞っている。降る様が何とも寂しげだ。

 葉璃の居ない自宅に帰るのは無理そうなので、聖南はこのビジネスホテルに素泊まりでもいいかと思い始めていた。

 空いている部屋はあるか、フロントへ確認に行こうと立ち上がったその時だった。


「…………っ!!」


 聞き逃さぬよう着信音量を最大にしていたスマホが、けたたましく鳴った。


「は、葉璃ママ……! 葉璃ママからだ……!」
「えっ!? 葉璃が目を覚ましたんじゃないですか!? 早く出てください!」
「あ、あぁ……! もしもしっ?」


 ──良かった、やっと目が覚めたか……!


 心配と安堵が交互に襲うなか、震える指先で画面をタップする。

 朗らかな葉璃ママの声と共に吉報を期待した聖南だったが、突如愕然となった。


『セナさん、今すぐここへ来てくれないかしら。……葉璃が……』
「え、……え!? 葉璃がどうしたんすか! 容態安定してるんじゃ!?」
『とにかく今すぐ、……お願いします』
「い、今すぐって!? あっ、ちょっ、葉璃ママ!?」


 明らかに、良い知らせを届けようとした声音ではなかった。

 プツッと通話を切られてしまい、硬直した聖南の心に曇天が立ち込めていく。


「い、行かねぇと……!」
「何なんですか!? 葉璃がどうしたんですか!」
「分かんねぇ! と、と、とにかく今すぐ来てくれって事だから行ってくる!」


 邪魔したな!と佐々木に左手を上げると、聖南は一目散に駐車場へ向かった。


 ──葉璃に……何かあったのかっ? やっぱやべぇ量の薬盛られてた? それとも額の傷がヤバかった……? 嘘だろ、何ともないんじゃなかったのかよ……っ! ……葉璃……っ。



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