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34・罠
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しおりを挟む❥ 聖南 ❥
アイには協力者が居る。
それは何も、〝近しい男性〟に限った事ではない──。
ルイから受けた電話の内容は、聖南の〝まさか〟の予感が的中した事を表していた。
恭也と共に、聖南は全速力でドームへと走る。
その間、大通りの歩行者信号でファンに気付かれてしまい声をかけられたが、「急いでるからまたな!」とさすがのアイドルスマイルで手を振り場を収めた。
──シャワールームは一階にあった。まさかまた連れ去られてんじゃねぇだろうな!?
嫌でも、昨年の恐怖と焦りが蘇る。
葉璃をスタンガンと手刀で気絶させ、外と通ずるトイレの窓から拉致したと思われる忌まわしい記憶が、聖南の脳裏を何度もよぎった。
心配でたまらない聖南は、駆けながら康平にも連絡を取った。だが葉璃の現在地はドームにあり、数分監視していたものの動きはなかったとの回答を得た。
葉璃は風呂は長いが、シャワー時間は人並みである。アイとの直接対決を気にかけていた葉璃が、そう長くシャワーに時間を費やすとは思えなかった。
ともなれば、間違いなく葉璃はシャワールーム内に居て、二十分以上も〝出られない〟状況なのだ。
「セナさん……っ、俺らが、ハメられたって、どういう……!?」
ドーム目前、最後の歩行者信号に引っ掛かったところで息も絶え絶えな恭也にそう問われた。
わずかに呼吸を乱した程度の聖南は脇腹を擦り、サングラスを外す。
「今、葉璃がLilyの誰かに実害を受けてる」
「えっ!?」
「アイは俺が待ち合わせ場所に来ることは予測してなかっただろうから、一番近い存在の恭也をおびき出して葉璃から遠ざけようとしたんだ。この時間稼ぎは、葉璃を確実に陥れるための、……アイの罠だったんだよ」
聖南は取り乱さなかった。
必死で、感情を抑えていた。
淡々と恭也に語る間も、葉璃の安否が気になってしょうがなかった。しかし一度感情が堰を切ると、恐らく自身では歯止めが効かなくなると分かっていた。
前回もそうだったからだ。
何もかもどうでもよくなり、葉璃を傷付けた人間を一人残らず殺める事に迷いが無くなる。
誰の制止の声も届かず、自身の立場を含む後先など考えられなくなる。
「そんな……っ」
「……シャワールームから出て来ねぇんだと」
「葉璃がっ!?」
音響式信号機から、メロディーが鳴り始めた。
絶句する恭也と聖南が、同時に走り出す。
ドームの周辺には設営スタッフが幾人も行き交っていたが、物々しい様子で駆けてくる聖南の姿を見るやササッと端に避けてくれ、関係者入り口への道が拓けた。
その入り口には警備員が一名常駐していたけれど、聖南はそこでも顔パスであった。
だがそこで、思わぬ人物から名を叫ばれる。
「……っ、セナさん!!」
それは、金切り声に近かった。必死さが如実に表れたその声に、聖南と恭也は急いで振り向く。
「あ、あれは……」
「……ミナミ?」
ですね、と頷く恭也と、眉を顰めた聖南のもとへ駆けて来たのは、Lilyのリーダーであり葉璃の唯一の理解者だと聞いているミナミだった。
彼女も聖南達と共に何分も駆けていたかのように、激しく呼吸が乱れている。
「セナさん! ごめ、っ……ごめんなさい! あの、っ……私……!」
何の謝罪だ。──聖南は眉を顰め丸ノブに手を掛けたまま、数回瞬きしてミナミを見下ろした。
明らかに何事か急用がありそうだが、今はじっくり話を聞いてやれる状況ではない。
「なんだ、用があんならあとにしてくれる? 今マジで急いでて……」
「ハルのとこに行くんですよねっ? シャワールーム!」
そうだけど……と頷きかけて、ピンときた。
聖南はミナミの腕を掴み、警備員がジッと監視していたそこから中へと引き込んだ。
そのまま薄暗い通路端へ寄り、辺りにスタッフが居ないかを確認すると、壁際にミナミを追い詰めた。
「……何? 何やった?」
「私っ、……私は実行しませんでした! いや、出来なかった! でもあの子達が……っ」
「なっ……、おい! 誰が、何をやったって!?」
ミナミの口から謝罪混じりに発せられたのは、到底信じがたいそれだった。
まさかとは思っていた。
葉璃に実害が及んでいる今、アイの協力者が間違いなくドーム内に居るというのは信憑性のある憶測。
けれど、仮にも同業者だ。〝そこまで落ちぶれていないだろう〟と最後まで彼女らを信じようとしていた聖南は、何度目か分からないお人好しの烙印を自らに押した。
表ではまず見せる事のない聖南の剣幕に、ミナミが瞳を見開いて震えている。
「──っっ! り、リカ達が……っ、リカ達がハルのドリンクに精神安定剤を入れ……っ」
「せ、精神、安定剤?」
「精神安定剤っ? なんでそんなものを……!」
「睡眠薬の効果があるものらしいんです! それを使って、……明日の本番にハルを出演させない、ように……っ! それが……っ」
「アイか? それはアイの差し金なんだなっ?」
「……はい、っ」
「意味分かんねぇ!」
簡易的に、だが確実な証言を耳にしてしまうと、抑えていた感情が一気に溢れ出てきた。
チッと舌打ちをし、聖南は踵を返す。
恐恐と頭を下げて挨拶をする全スタッフを無視し、シャワールームへと急いだ。幾度のツアーや特番でその場所へのルートはしっかり脳内に入っていた。
恭也と、涙目のミナミもついて来ている。
「──っ、葉璃は!?」
「葉璃!!」
「ハル……!!」
目的の場所に到着すると、まさにルイが踏み込む寸前だった。
「セナさん! 今から俺が満を持して突撃しようとしてたところで……っ」
「いい、俺が行く!」
聖南はルイを押し退け、ガチャッとノブを回し開けた。
質素なシャワールーム内には、流水音が響いている。
お飾りのような防水加工のシャワーカーテンを引いて脱衣所を覗くと、聖南が葉璃に持たせた着替え入りの紙袋が置いてあった。
──葉璃っ……!
そこに葉璃の姿は居ない。しかし止まらぬ流水音が三つ並んだ個室のどれかから聞こえているという事は、その個室内に葉璃は……居る──。
自身の呼吸が浅くなっているのを自覚しながら、悩む間もなく聖南は真ん中の扉を開けた。
するとそこには、……。
「……葉璃っ!!」
「………………」
くの字になって倒れている全裸の葉璃を見つけるや、バシャッと水を蹴り、急いでシャワーのコックを捻った。葉璃にあたり続ける冷水を止めるためだ。
それが温水でない事は、扉を開けた際に湿気を帯びた生ぬるい温度を感じなかったのですぐに分かった。
「葉璃……っ」
自らが濡れてしまう事さえ厭わず、聖南は葉璃のそばで喉を枯らし、しゃがんだ。
寝ているだけのように見えるが、ぎゅうっと何かに押しつぶされたような痛みが聖南の胸にじわじわと広がっていく。
倒れている人間を、突然抱き起こしてはならない。揺さぶってもいけない。
浅薄だがそんな知識から、聖南はそっと葉璃の腕に触れてみたのだが……。
「こ、こんな冷たく……! うわ……っ、ケガしてんじゃん……!」
ありえないほど、葉璃の体が氷のように冷たくなっていた。
ジッとなどしていられず、知識など知った事かとびしょ濡れの葉璃を抱き起こした聖南は、額から流血しているのを目にしてしまいさらに胸が締め付けられた。
抱き上げても、名前を呼んでも、葉璃は目を覚まさない。
頬に触れ、抱き締めても、冷え切った体はなかなか温まらない。
──葉璃がいったい何したっていうんだ。……葉璃が、何を……っ!
冷たくなった体を抱いた聖南の目には、薄っすらと涙が滲んでいた。
葉璃がいったい何をしたのか。
人のためにしか感情を荒らげない葉璃が、なぜここまでの仕打ちを受けなければならないのか。
「葉璃……っ!」
薄紫色に変色した唇。寒そうに握り込まれた手のひら。額には何かにぶつけたと思われる腫れと流血。キンキンに冷えて固くなった、震える体……。
聖南にとって命よりも大切な葉璃の悲惨な姿に、締め付けられた心から次々と雫が溢れ出す。
ごめん、ごめんな、と心中で何度繰り返しても足りない詫びは、声には出せなかった。
一度ならず二度までも葉璃を危険に晒した己が情けなくて情けなくて、しょうがなかった。
葉璃は、力いっぱい抱き締めていても一向に目を覚ます気配がなく、さらに聖南の高い体温でも瞬時に癒やす事は不可能だった。
パシャッと水を弾き立ち上がった聖南は、沈痛な面持ちで「おい!」と扉に向かって叫んだ。
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