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33♡悪意と嫉妬
33♡10
しおりを挟む昨日とんでもない事実を知った俺は、帰宅後すぐに暴言は掻い摘んで聖南にその事を話した。
それを聞いた聖南は難しい顔で「へぇ……」と呟いたきり、微動だにしないで何かを考え込んでいて……やっと口を開いたかと思ったら、「ま、明日全部分かる」とほくそ笑んだ。
ミナミさんが俺にリカさん達の悪行を明かした事が、聖南には〝救い〟だと思ったらしいんだけど……俺にはその意味がよく分からなかった。
「──明日の生放送が私達Lilyの仕事納めよ。アイが離脱した後も、制限はあったけどたくさんの媒体で活動を続けられたのはファンの存在あってこそなの。内輪揉めは一旦忘れて、全力を出しきりましょう」
「はーい」
「はーい」
「オッケー、リーダー」
「キャハハッ……!」
……昨日の今日だから、当然リカさん達には何の変化も無い。
リハーサル前、ステージの袖でリーダーのミナミさんが熱く号令をかけたのに、リカさん達はバカにするように笑っててすごく不快だった。
ただリハーサル中は、みんな〝Lily〟としての役割を果たしていた。
圧巻のシンクロダンス、一小節ごとにめまぐるしく変わるフォーメーション、軽装でのリハーサルでも彼女達のキャッチコピーは活きていた。
……途中、袖から見守っていたルイさんが騒いでたのはどうしようかと思ったけど。
「あかん……! 林さんどないしょ! ほんまにヒナタちゃんや……!」
「ルイさん、騒ぐと怪しまれますよ」
冷静な林さんが、ルイさんのそばに居てくれて良かった。放っといたら、俺だと分かってても握手を求めてきそうな勢いだったんだもん。
ごめんね、とルイさんに心の中で謝りつつ、Lilyのリハーサルは一時間ほどで終了した。
俺は、またしても汗だくだ。
ETOILEのリハーサル後、とりあえず体を拭いて気持ちよくこちらのリハーサルに臨んだのに、ヒナタ用のレッスン着が汗でびっしょり。
どうしよう、……シャワー浴びたい……。
直接対決がどうなったのか気になるけど、こんなに体がベタベタしたまま私服に着替えるなんて無理だ。
ここにシャワー室があったのは確認済みだから、メイクを落としてもらったら急いでシャワーを浴びて合流しよう。
みんなと一緒にステージ袖へと捌けた俺は、スタッフさんから名前のシールが貼られたスポーツドリンクを受け取った。
これはリハ前、メンバー全員に二本ずつ配られていて、休憩中にがぶ飲みしたうちの一本だ。
半分くらい減ったそれを持って、口を付けずに楽屋へ戻ろうとすると、ふと振り返ってきたリカさんにこう言われた。
「ヒナタ~、スタッフさんが水分補給しろってよー」
「……っ!」
昨日みたいに、リカさんからいきなり話しかけられると悪い意味でドキッとする。
俺と恭也の時は、わざわざスタッフさんから水分補給を促されたりしなかったけど、女の子のグループだし気を使われてるのかもしれない。
現に楽屋へと戻る道中、メンバー全員がそれぞれの名前のシールが貼られてるペットボトルに口を付けている。前回も前々回も、思い返せばそうだった。
俺も飲んだ方がいいよね。
ちょうど喉渇いてたし、拒否する理由も無い。
「……ぷは……っ」
「あはは、いい飲みっぷりね」
ステージ暑かったもんね、とミナミさんに笑われた俺は、半分くらい残ってたスポーツドリンクを一気飲みして、ぎこちない笑みを返した。
通路ではスタッフさん達がウロウロしてるから、俺は声が出せない。だからせめて、〝半年間ずっと味方で居てくれてありがとうございました〟の気持ちを込めて、ミナミさんにだけは拙い笑顔を見せられる。
「……ん、……?」
「どうしたの?」
思わず首を擦って一声上げた俺に、ミナミさんが反応した。
「ヒナタ、大丈夫?」
「………………」
楽屋に入り、パーテーションの裏に回った俺は、パイプ椅子に腰掛けてまた喉元を触った。
うーん……なんだろう。この、喉に何かが引っかかってる感じ。
唾液を溜めて飲み込んでみても、違和感はあんまり変わらない。
「……ホントにどうしたの? 大丈夫?」
「あ、いえ、大丈夫です。あの……俺、汗流したいんですけど、誰かシャワー使う予定あります? 私服に着替える前なんで、たぶん女性用のシャワー室使わなきゃですよね……俺」
「オッケー、シャワー室使うか聞いてきてあげる」
「お、お願いします」
すみません、と頭を下げてミナミさんの背中を見送ると、今度は別の違和感が襲ってきた。
入れ違いにパーテーションをズラして入って来たメイクさんに、ヒナタからハルの顔へ戻してもらってる最中。
「…………」
急激な眠気に見舞われてガクンと頭を垂れてしまい、メイクさんから「大丈夫!?」と心配されてしまった。
「う、あっ……すみませんっ! なんだろ、一瞬夢の世界に行ってました。すみません」
「あぁ、そっか。ハルくん、Lilyの前にETOILEのリハがあったんだっけ」
「そ、そうです。あっ! でも大丈夫ですよ! 一瞬だけだったんで!」
「空調効き過ぎよね、ここ。みんなみたいに動いてない私でも汗かいちゃったもん」
「……あ、はは……っ」
やっぱり暑いって感じてたの、俺だけじゃなかったんだ。
それなら話は分かる。この喉の違和感は、ちょっとだけ脱水症状が出ちゃってるんだ。
眠気もそう。夏に熱中症になりかけた時も、聖南が車に運んでくれた後すぐに寝ちゃったもんな、俺。
「ハル、シャワー室誰も使わないって。パパッと浴びてきちゃいな」
「ありがとうございます、ミナミさん!」
「私達はこれから事務所に集合する事になってて、ハルとはここでバイバイなんだけど……」
「あぁ、俺なら大丈夫ですっ」
ミナミさんは、リーダーとしての器量を持ち合わせた優しくて面倒見のいいお姉さんだ。
通路に出て、俺がシャワーを浴びたがってる事をルイさんと林さんに伝えてくれたらしい。
そのうえ、帽子を目深に被った俺を女性しか立ち入れない場所へ連れてってくれて、しかも俺が入ってる時に誰も入室出来ないよう〝清掃中〟の札まで表にかけといてくれると言う。
「──じゃあまた、……明日ね」
「はいっ。お疲れ様でした!」
「ハル、……」
「はい?」
「……ううん。なんでもない。……お疲れ様」
何かを言いかけたミナミさんは、俺の顔を少しだけ凝視した後、静かにシャワー室の扉を閉めた。
「あっ、こうしちゃいられない!」
急がなきゃいけない俺は、何も考えずに三つ並んだうちの真ん中の個室に入った。
お世辞にもピカピカとは言えないシャワー室だけど、シャンプーとかもちゃんと置いてあって、何よりすぐに汗を流せるのがありがたい。
「あ、あれ、……なんだろ、……目が霞む……」
シャワーのコックを捻り、温かいお湯にあたりながら備え付けのボトルを手に取ったその時だ。
二つ並んでたそれがシャンプーなのかリンスなのか確かめようにも、書いてある文字が読めなかった。
湯気でくもってるとかでもない。
ほんとに見えないんだ。というか、違う。
これ……眠いんだ。ものすごく眠い。
瞼が重くて、何回まばたきしても目が完全に開かない。
「やば、なにこれ……」
呟いた次の瞬間、ぐるん、と世界が回った。
手にしたボトルが床に落ち、それを拾うため屈もうとすると立ちくらみのように壁によろけた。
やばい……。気分、悪い……。
よろけて壁に背中をついたまま、しばらくシャワーにあたってると今度は気持ち悪くなってきた。
素人判断だけど、たっぷり体を動かした後のレッスン終わりにこういう事が何度かあった。いやでも、こんなにひどいめまいみたいなものは経験した事ない。
いや、いや、……どうだったかな。
ちょっと思い出せない。
何かを考えようとすると、勝手に瞼が閉じていく。
お湯にあたりっぱなしがダメなんだと、薄らぎそうな意識のなか、俺は腕を伸ばしてコックを捻ろうとした。
懐かしい市民プールのシャワースペースを独立させただけのような、身動きを取るので精一杯な狭い個室。
簡単に届くと思ったそれに伸ばした手は、なぜか届かなかった。
あげく、……。
──ゴンッ。
「……痛っ……!」
腕を伸ばしたせいで、重心が前に傾いた。
激しい眠気と脱力感で朦朧としていた俺は、コックか何かでおでこをぶつけ、そのままパシャンっと床に倒れ込む。
横になると、もうダメだった。
重たい瞼は自分の意思では開けられなかった。
滴るシャワーの流水音と、それが体を打つ感覚がお風呂に入ってるみたいな心地よさで、俺はそのまま……意識を手放した。
それが次第に冷水へと変わっていった事にも気付けないほど、深い深い眠りについてしまったんだ。
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