狂愛サイリューム

須藤慎弥

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22❥焦燥

22❥6

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… … …



「……遅い。 あれから何も連絡が無い」


 七時間は経ってんぞ、と冷水を飲んでぼやく聖南の前には、温かな一品料理がずらりと並んでいる。

 そのどれにも口を付けず、ヤケ酒のように水を流し込んでみるも当然酔っ払いは出来ない。

 あれから聖南は、独りになった事だしと事務所内でCROWNとETOILEの新曲の仮録りを行い、来月頭のレコーディング用に音源データを仕上げた。

 夕方近くまでを予定していたオーディションが無くなり、揃ってドラマ撮影に向かったアキラとケイタから聖南に連絡が入ったのは、ほぼ同時刻だった。

 芸能人もよく訪れる個室居酒屋で二十時に待ち合わせ、半年に一回ほどしかない三人での貴重な夕飯なのだがまったく身が入らない。

 葉璃からの連絡がいつ何時きてもいいようにスマホは肌見放さず持っていたが、着信はおろかメッセージさえ届かない現状に苛立ち始めていた。

 聖南の隣に腰掛けるアキラと、対面でウーロンハイを遠慮なくグイグイ進めているケイタは最終オーディションの異様な幕切れに気を揉み、特に相談もナシにこの場を望んだ。

 何となくそれを察した聖南もまた、独りで葉璃を待つ事は避けたかったので二つ返事であった。


「ハルとルイなら大丈夫だって」
「そうそう。 よく分かんないけど、ハル君があれだけ取り乱すほどの事があったんでしょ?」
「不安でしょうがねぇんだよ。 行くなって本気で思ってるわけじゃねぇんだけど、今も〝なんで行かせたんだろ〟とは思ってる」
「セナ、往生際が悪いぞ」
「………………」


 社長とルイの手前、二人にでさえ事情は明かせない。

 だが察しのいい彼らの事だ。

 今日の顛末は詳しくは話せないと漏らした聖南に、「じゃあ話すな」と気持ちいいほどあっさり引いてくれた。

 あの身なりで遅刻してやって来たルイに、その事情を知る葉璃が心配してついて行った、……それだけを苦々しく語った聖南に、二人はもはやすべてを悟った顔である。

 そして聖南の嫉妬は今に始まった事ではない。

 まさかの事態など少しも案ずる必要は無い、と二人が何度言おうが無駄で、聖南は水を大量に飲んではトイレに立つを三回は繰り返している。


「ていうか、レイチェルのレコーディングって終わったんじゃなかった? またスタジオ押さえるって話聞いちゃったんだけど」


 聖南の気を逸らそうと、ケイタはマグロの刺し身を摘んで問い掛けた。

 珍しくいつもよりアルコールが進んでいるアキラは初耳で、へぇ、と目を瞠り首を傾げる。


「マジで? なんで? リテイク?」
「……あぁ、その話か」


 常に脇に置いておきたい件だが、聖南は二人にならと掻い摘んで説明した。

 マスタリング後の撮り直しをレイチェルが希望している事と、未だ聖南には理解し難い大サビの指摘部位について。

 飲食の手を止め、黙って話を聞いていたアキラとケイタもまた理解に苦しんでいる。


「ブレスねぇ……」
「うわぁ、それマジ!? ブレスのタイミングって何! 俺そんなの気にした事なかった!」
「俺だって気にした事ねぇよ。 オールデジタル音源ならまだしも」
「レイチェルってさ、向こうで音楽学校通ってたんだよね?」
「あ、それは知ってる。 やっぱ専門的なこと学んでると、俺らには分かんねぇ細かい違いが気になんのかな。 セナはどう思ったんだ?」


 アキラに問われた聖南の無表情が、次第に崩れていく。

 あまり思い出したくない屈辱感が脳裏と胸元によぎり、冷水がさらに進む。


「俺は全然気にならなかった。 レイチェルが指摘したとこの違和感が俺にはまったく分かんなくて、葉璃にも聴かせてみたけど首傾げてた」
「そうなんだ」
「ハルは何て言ってた?」
「……〝ちまちまギュッの作業終わったのに大変でしょうけど、なるべくレイチェルさんの希望を聞いてあげて〟って」
「ちまちまギュッ?」
「ちまちまギュッ?」
「多分ミックスのこと言ってんだと思う」
「なるほど。 ……ちまちまギュッ、か」
「あぁ……! そういう事ね! ハル君可愛いなぁ」


 苦い顔で聖南を見ていた二人が、葉璃の話題で一様に破顔する。

 屈辱と羞恥を感じてしまった事は伏せたものの、CROWNの柱である聖南が納得した音源に異論を唱えたレイチェルに、アキラは少々の疑問を持った。


「工程知らねぇからってリテイク希望するなんて、なかなかだな。 だってバラードなんだろ? ブレスありきみたいなとこあんじゃん」
「俺もそう言ったんだ。 マジでタイミングがズレてるようには聴こえねぇし。 でもブレス削るだけで納得するような言い方じゃなかった」


 レイチェルの話題になると、ようやく聖南が箸を取った。

 食べなければやってられないと、刺し身にワサビをてんこ盛り乗せ、溜め息を吐いてから口に運ぶ。

 少しばかりワサビを盛り過ぎた。 鼻の奥がツンとし、目頭を押さえて温かい緑茶を流し込む。

 この感覚と独特の辛味が好きなのだが、度が過ぎる聖南はいつも葉璃に心配される。

 自身の大食いは棚に上げて、だ。


「ねぇセナ。 それってさ、ただセナとの時間欲しかっただけだったりして? 俺らのラジオにあんな未練たらたらなメッセージ送ってきてたんだよ? 恋人居るからって諦めるような人じゃなさそうだよね」
「……俺もそれ濃厚だと思う」
「………………」


 体良く撮り直しをダシに使われているだけ、……アキラとケイタの言葉に聖南は沈黙した。

 その可能性を、考えていないわけではなかった。

 ただ明らかに聖南よりも専門的な学歴と知識がある彼女の意見に、頑として反発する方が恥ずかしい。

 納得がいかないならやり直せばいい。

 彼女は運良く社長の姪だ。 誰よりも我儘が通る巨大なコネクションを持っている。

 それに聖南は従うだけだ。

 たとえそこにアーティストらしからぬ下心があったとしても、聖南の知った事ではない。

 社長と事務所の顔を潰さぬよう、仕事に従事するだけだ。

 今はそんな事よりも、何時間も連絡を寄越してこない恋人の方が数百倍気掛かりである。

 何度となくスマホを取り出しては葉璃の名前を待ち焦がれている聖南のポケットが、たった今短く振動した。


「…………っ!」
「セナ、どした?」
「ハルか?」
「いや、……」


 やっときた!とスマホを取り出した聖南の表情が、一気に陰った。

 安堵しかけたアキラとケイタだったが、聖南が重々しく呟いた名前に、傾けたグラスをそのままに固まる。


「……レイチェルだ」




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