僕らのプライオリティ

須藤慎弥

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エピローグ𓂃꙳⋆

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 静かな住宅街の真ん中にこじんまりと建つ〝成宮歯科クリニック〟は、一般歯科と小児歯科、訪問診療を扱う極々普通の歯科医院である。

 開院から三年が経ち、明確かつ分かりやすいモットーにした治療方針と、スタッフを含めた院内の明るい雰囲気、そして院長がとびきりの色男だという噂がたちまち広がり、予約名簿は隙間無く毎日埋まっている。

 李一の口聞きで、彼が院長を務める歯科医院の歯科助手になった冬季が、そこで勤め始めて二週間。

 歯科治療で使う道具や器具、何より重要な治療過程を一から覚えなくてはならず、メモ帳片手に李一から懇切丁寧に教わるも冬季にはまだまだ分からないことだらけだ。

 冬季が働くにあたり、スタッフにはどう説明するのだろうという疑問は見学の初日に解消された。

 出勤してきたスタッフ全員を集め、李一は冬季のことをこう紹介したのだ。


〝この子は上山冬季くん。男の子ですが、歯科助手として雇いたいと考えています。ちなみに、俺の大事な人なので、みなさん優しくしてあげてください。〟


 それに対し、『えっ』と戸惑ったのはスタッフだけではない。そこまで明け透けに言わなくても、とさすがの冬季もかなり気まずかったが、そこはやはり女性の多い職場。

 イケメンと名高い我が院長先生が、どこの馬とも知れぬ女性に遊ばれるくらいなら、〝可愛い男の子〟が相手の方が萌えを摂取出来ていい── ベテランのママさん衛生士から若い受付の女性まで皆、冬季の存在を受け入れたスピードは尋常でなかった。

 彼女たちは、李一が冬季に骨抜きにされていることを即座に見抜いたのだ。

 冬季は何とも言えない気恥ずかしさでいっぱいだったが、自分よりも年上の女性たちから世話を焼かれ、一つとして否定的な言動をされない事に感動を覚えたおかげで、スタッフ間に馴染むのは早かった。

 尚且つ、助手はシフト制なので、不測の事態でも無い限り冬季は午前か午後どちらかの勤務だ。コミュニケーション能力の他に体力の方も心配だった冬季には、無理なく働ける職場に思えた。

 二週間働いてみての冬季の感想は、李一から助言されていた通り〝器具の名称や治療内容も含め、とにかく歯科は覚えることが多い〟だ。

 帰宅後もきちんと復習していないと、些細な手伝いさえも出来ない。李一やスタッフの足手まといにはなりたくない一心で、冬季なりに頑張っているがなかなか思うように動けないのが現状だ。

 ただ冬季は、李一の働く姿を毎日見ていられて幸せだった。

 カッターシャツの上に白衣を羽織り、マスクとゴム手袋を装着した〝李一先生〟が、デンタルミラーで患者の口腔内を真剣な眼差しで診ている。

 それを少し離れた滅菌室から覗いているだけで、ときめいてしょうがない。

 時には患者と楽しげに談笑し、時には神妙にスタッフに指示を出しているあの歯科医師が、まさか自分の恋人だなんてまだ信じられないと、冬季は仕事を覚える傍ら李一を見つめては恋のため息を吐いている。

 李一を悩ませていた事柄が解決した今、冬季はどうにかして理想の恋人である彼の役に立とうと、目下奮闘中なのであった。


『── 今日の午後三時に予約を入れておるんだが。冬季はいるのか』


 大きく変わった事と言えば、あれほど嘲笑し続けてきた李一の歯科医院へ、彼の父がやや緊張の面持ちで通院し始めた事だろう。

 あの日の言葉はどうやら本音だったようで、見下している歯科医師になど絶対に診せたくないという意固地な発言と暴言の数々を、父はなんと李一本人に謝罪したのである。

 さらに父が通院するきっかけとなったのが、冬季の存在だ。

 冬季を歯科助手として雇うと聞くや、父は一度目の来院で一ヶ月先までの治療予約を入れた。この時点で、父が冬季を大層気に入っていることが窺える。


「冬季くんならいますよ。あなたがそう言ったんじゃないですか」
『冬季は午前中のみの勤務が多いんだろう。本当に居るんだろうな』
「いますって……」


 昼休みを見計い確認の電話を寄越された李一は、院長室にやって来たパンツスタイルの白衣が眩しい冬季を手招きし、苦笑を浮かべた。

 まだ李一の補助には付けない冬季を、どうにか一目でも見て帰りたいのだろう。

 口角をヒクつかせた李一に、冬季が笑いながら「ちょっと変わって」と手のひらを差し出した。


「あ、りっくんのお父さん? こんにちは!」
『おっ、こ、こんにちは』
「今日の三時ですよね? 僕ちゃんといますよー!」
『それならいい』
「あと、あんまり早く来てもダメですよ! お父さん先週、予約の時間より一時間も早く来たでしょ? おかげで衛生士さん達のお昼休みが少なくなっちゃったんですから!」
『す、すまん……』


 冬季は、李一にも聞こえるようスピーカー機能を使って話をしていたが、以前の父と同一人物とは思えぬほどの気迫の無さに、毎度李一は驚くばかりだ。



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