僕らのプライオリティ

須藤慎弥

文字の大きさ
上 下
92 / 126
10.君のプライオリティ

・・・6

しおりを挟む

◇   ◇   ◇



 積もる話は、また夜にということになった。

 それは李一ではなく、冬季が言い出したこと。さらに冬季は、約四時間後には出勤しなければならない李一を気遣い、少しだけ離れて眠るようにとも提案した。

 隣に李一がいるというだけで、ドキドキして眠れない。手を繋ぐことはもちろん、抱き合って眠るなどとんでもない。

 それほど清いつもりは無かったけれど、心の準備をさせてくれないまま好きに抱きしめてくる李一のおかげで、冬季の体が少々おかしくなっていた。

 李一はやや不満そうだったが、冬季が〝お願い〟すると「分かりました」とすんなり納得してくれた。

 頭を撫で、頬を撫で、最後に耳たぶをふにふにといじられ眠れなくなった冬季をよそに、横になるやすぐに寝息を立て始めた李一は相当に疲れていたようだ。

 そうは言いつつ、わずかな睡眠時間で冬季の知らぬ間に仕事に行った李一からは、相変わらずマメにメッセージがくる。

 寝ぼけ眼の冬季を見透かしたようなものから、勝手に家から出ないことを彼氏として命ずるもの、冬季を不安にさせないための帰宅時間を知らせるものまで、合間合間に何件もだ。

 窓際の動物園に置き去りにしていたスマホを片手に、ソワソワと落ち着かない冬季は掃除を隅々まで行った。

 昼休みに一度帰って来た李一が驚くほどピカピカにしたはいいが、午後からは暇を持て余してしまった。

 だからなのか、ここに住まわしてもらうまで毎日どのような時間を過ごしていたかを反芻した。

 冬季は、少しでも空いた時間があると不安に陥り、カッターもしくは睡眠薬を手にしていた。そして、まるでラムネ菓子を食べるように睡眠薬を過剰服用し、躊躇いなく手首を切った。

 たらたらと滴り落ちる血液を見て生きていることを実感すると、今度は悲しくなって〝どうして何もかもうまくいかないのだろう〟と嘆いた。

 壁に背を預け、痛いのか悲しいのか寂しいのか自身でも分からない感情を自覚する前に、夢に堕ちた。

 まったくもって不健全だった。

 それが良くないこと、当たり前でないことだったと、今なら分かる。


「おかえり、りっくん」
「ただいま帰りました」


 メッセージ通りの時間に必ず帰ってくる李一に、冬季は照れと安堵を滲ませ〝恋人〟として彼のコートを受け取った。

 ふわりと微笑まれると、心臓からよくない鼓動音がするので出来れば控えてほしいが、この笑顔が曇ってしまうことだけは言いたくない。

 自傷行為の衝動を一切起こさせない李一に、冬季は言葉では言い足りないほど感謝しているのだ。

 こっそり探したが何故かどこにも見当たらないあの手紙では、とても伝えきれない思いがまだたくさん冬季の心の中にある。

 帰宅して早々ぎゅっと抱きしめられるや、即座に硬直していては何も伝えられないままだが。


「あの……冬季くん。今日は手を繋いで寝ませんか?」
「えっ」


 控えめにそんなことを言われ、李一の背中に伸ばしかけた冬季の腕が宙で止まった。


「本当は抱きしめて眠りたいところなんですが、まずは手を繋ぐことから。……どうでしょう?」
「あ、……うん。……お願いします」
「良かったです。拒否されたらどうしようかと思いました」


 照れ笑いする二人の間には、初々しく熱い空気が充満していた。

 依存と好意を履き違えた冬季の恋愛遍歴では、この雰囲気に慣れるのは容易くない。だが少なくとも、女性と交際していた李一はこういう経験があるはずなのだ。

 共に食事をし、まどろみの時間を過ごせば、考えたくはないが大人の付き合いであれば当然性行為にまで至るだろう。

 李一ほどの男が童貞とは考えにくい。

 しっかりとブラッシングまで終え、家中どこへ行くにも冬季の手を引いて歩く李一の想いを疑っているわけではない。

 しかし一度生まれた不安は、病みやすい冬季の心を渦巻いていた。


「あの……りっくん……」
「はい?」


 仲良く恋人繋ぎをして横になった途端、抱え込んでいてはいけない重要なことを確認すべく、冬季は勇気を出した。

 話す前から手汗が噴き出していそうで、しかも話しかけたことで冬季の方を向いた李一の気配に、心臓がドクンと大きな音を立てた。


「えっと、……確認なんだけど、りっくんは僕が僕だって分かってるよね……?」
「……どういう事でしょうか。君は冬季くんではないんですか? よく似た別人……?」
「違うよ、そうじゃなくて……っ」


 予想だにしていなかった天然発言に、直接的な表現を憚られていた冬季は困ってしまった。

 口に出すことで自身にもダメージがありそうだったので、とても薄いオブラートに包んでみたのだが、それが無駄だと分かり内心では非常に焦った。

 やはりズバッと聞くべきかと唇を噛んだ冬季に、李一は彼らしからぬ意地悪を仕掛けてくる。


「ふふっ、冗談ですよ。君が言いたいことくらい分かります」
「ほんとに?」
「はい。俺と同じものがついていると言いたいんですよね?」
「うっ、まぁ……そう、なんだけど」
「それがどうかしたんですか?」


 李一の方がダイレクトだった。

 まさかこの期に及んで女性と間違えているのではないか、いざ事に及ぼうとした際「やはり男の子はちょっと……」と苦笑交じりに言われやしないか、冬季はそれが不安でたまらなかった。

 何ともあっけらかんと返した李一は、何が可笑しいのかクスクスと笑いながら、冬季の手のひらを強く握った。

 その反応に戸惑いを覚えつつ、それならば話が早いと冷静に答えた。


「だってりっくんは女の人が好きなんでしょ? 男と付き合うなんて考えたこともないんじゃない?」
「それはもちろん、否定はしませんが」
「えっ? じゃ、じゃあ、考え直した方がよくない? 僕だよ、僕。別に無理に付き合わなくても、そばにいる方法はいくらでもありそうじゃ……」
「俺が〝彼氏〟では不服ですか」
「えっ? わわわ……っ」


 紛れもない本心を語った冬季は、次の瞬間やや怒った表情をした李一から押し倒されていた。

 見上げたすぐそこに、李一の顔がある。

 表情と同様の強い瞳に見つめられ、冬季の心拍数は急上昇した。


「りっくん……っ?」
「…………」


 恋人繋ぎで絡み合っていた二人の手はあっさりと解かれ、李一の腕は今、冬季の顔の両側にある。

 自分の存在こそが〝地雷〟だと思っていた冬季は、その時初めて誰か ─ 李一 ─ の地雷を踏んだのだと悟った。

 想いを通わせたとしても、様々な理由でどうしても肉体関係にまで至れないカップルが稀に在る。

 もしも李一がそうだとしても、冬季はそれを受け入れるつもりでいた。

 何しろ李一は、安心させてくれる。甘えさせてくれる。構ってくれる。行動を制限し束縛してくれる。

 これ以上を望むのは〝高望み〟であるとさえ思ったのだ。

 心音でかき消されそうなほどの掠れた声で、落ち着かない冬季はもう一度李一の名を呼んだ。


「り、りっくん……?」
「あのですね、言わせてもらいますけど。俺は、君の元カレにも、元々カレにも、とにかく冬季くんと付き合ってきた男性全員に嫉妬しています。そのうちの何人が冬季くんの裸を見たのか、気になって気になって仕方ありません。俺が平然と君の隣で寝ていたと思っているんですか? 性欲を理性で抑えるのは大変なんですよ? 同じ男なら、冬季くんもこの気持ち……分かってくださいますよね?」
「う、うう……っ?」


 ゆっくりと穏やかな口調で、李一が怒っている。

 怒らせておいて何だが、徐々に顔が熱くなってきた冬季は途中からほとんど聞いていなかった。

 李一は、抑えるのが大変なほど冬季に欲情している── そう捉えて相違ない。

 冬季にとってそれは、告白と同等に嬉しい怒りだった。




しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

寮生活のイジメ【社会人版】

ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説 【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】 全四話 毎週日曜日の正午に一話ずつ公開

【完結】運命さんこんにちは、さようなら

ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。 とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。 ========== 完結しました。ありがとうございました。

処理中です...