僕らのプライオリティ

須藤慎弥

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10.君のプライオリティ

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 李一は思い出した。

 そっぽを向いてしまった彼が言った唯一の我儘は、〝手を握って眠ること〟。

 抱き合って眠るようになり、就寝時関係なく抱擁を求めたりと行動がエスカレートしていったのは、冬季ではなく李一の方だった。

 欲の無い冬季が李一に求めているものは、やはりお金では買えない目に見えぬ愛情なのだ。


「ふ、冬季くん……」
「…………」


 車内が温まっても一向に李一のコートを脱ごうとしない冬季が、何を思ってそんな〝我儘〟を言ったのか── その意味を分かりかねるほど、李一は幼くない。

 告白したばかりの李一が躊躇してしまうことを、冬季は欲している。チラと覗き見た頬が色付いていたことからも、おそらく李一の予想は当たっている。

 まったくもって期待していなかった返事を、冬季は言いたがっている……。


「で、では……肘置きが邪魔ですが、……」
「……うん」


 思いきって李一がそう声を掛けると、節目がちの冬季がおずおずと振り返ってきた。

 顔を覗き込むような無粋な真似はせず、李一はそっと腕を伸ばし、冬季の両肩に手のひらを乗せる。わずかに体を寄せてくれたのが分かると、自らも上体を前に傾け、アームレストに阻まれながらも出来る限り密着するように冬季を抱きしめた。

 山風に晒されパサついた髪が、李一の頬にかかる。左肩に顔を埋めた冬季の体温と感触に、柔な心が張り裂けそうだった。

 小枝や落ち葉が無造作に散らばった橋の上で、膝を抱えた冬季が倒れているのを見た時、李一は顔面蒼白になり数秒はその場に立ち尽くした。

 間に合わなかったという絶望感で、膝から崩れ落ちそうになった。

 生きていてくれさえすればいいと、冬季が目覚めたあの時は確かにそう思ったのだ。

 だが少しずつ互いの認識をすり合わせていくうちに、どんどんと欲深くなっていった。

 人間とは不思議なもので、わずかでも望みがありそうだと察するなり、抑圧すべき感情を曝け出したいという欲求が生まれてしまう。

 そのうえ、黙って想いの丈を聞いてもらえるだけありがたいといった殊勝な気持ちまでも無くなった。

 冬季が我儘を言ってくれた。李一を拒絶するどころか、抱きしめてもいいなどと甘やかし頬を染めていた。


「冬季くん……」


 想いが入っている分、冬季を抱く腕にも熱がこもる。

 数時間前は、再びこんな風に抱きしめられるとは思いもしなかった。

 居なくなった冬季の居場所に確証などなかったが、二人を引き合わせたあの場所しか李一は思い付かなかった。

 頭の中は最悪の事態で埋め尽くされていたにも拘らず、今こうして、彼のぬくもりを肌で感じている。

 いくつもの疑問を脇に置いておけるほど、心が満たされていく。

 李一は、それ以上を望んでいなかった。

 抱きしめさせてくれたのだから、決定的な言葉など要らないとさえ思っていた。


「……りっくん」


 胸に顔を埋めた冬季が、李一の背中に腕を回す。そのままぎゅっとしがみつくように抱かれ、年甲斐もなく心臓が高鳴った。

 こんなに強く抱きしめ返してくれたのは初めてで、李一は幸せのあまりうっとりと目を閉じる。

 ところが直後、思わずカッと目を見開くような台詞を耳にしてしまう。


「僕も、りっくんのことが……好きです」
「…………っ!!」


 李一の体が、決定的な単語を聞いてビクッと跳ねた。

 冬季はそれに気が付いているはずなのだが、待ったなしで「あのね」と続けた。


「りっくんがいいって言ってくれるなら、お家に帰りたいです」
「か、か、帰りましょう!!」


 今すぐ、直ちに。目を血走らせそう言うと、李一は優しく冬季の肩に手を置いて体を引き離そうとした。

 二度と帰らぬつもりで手紙をしたためたであろう冬季が、「帰りたい」と言ったのだ。

 可愛らしい告白を受けた李一は、ドキドキと胸を高鳴らせながら、一秒でも早く帰途につくための順路を脳内に思い描いた。


「あっ待って、まだこのままで……!」


 しかし冬季は、李一の胸に顔を押さえつけたまま離れようとしない。

 しがみつかれて悪い気はしないが、どうやら先ほど以上に冬季の頬が色付いている気配に、李一はソワソワしてしまった。


「ど、どうしてですか! 冬季くんの顔が見たいです!」
「だめっ! 今ほっぺた熱くて……! さっきりっくんもずっと顔隠してたじゃん、それと一緒! 僕も隠してたいの!」
「それを言われると……!」


 痛いところを突かれた李一は、渋々と諦めて冬季を抱きしめておくことにした。

 告白が照れくさいという気持ちはよく分かる。生まれて初めて誰かに好意を伝えた李一も、先刻は顔のみならず全身が燃えてしまいそうなほど熱くなった。

 〝いかにも都合のいいことを言っている〟と理性に笑われながら、それでも李一は、優しい冬季に大人げなく縋っていた。

 今くらいは年上らしくいようと、冬季の熱が落ち着くまでしみじみと抱擁を堪能する。

 車外を吹き荒ぶ真冬の風とは対称的に、二人を包み込んでいるのは甘さを含んだとろけるように熱い想いだった。


「── ママのこととか、りっくんのお父さんのこととか、僕たちには関係ないよ。りっくんは何にも気にしなくていいし、僕も気にしない」


 少しの間ひっしと抱き合っていたが、突如として冬季が李一を見上げた。

 不意打ちで目が合った李一の瞳に、未だ照れを滲ませた表情の冬季が映る。時間が経てば元に戻るのかどうかも怪しいほど、大福のように真っ白でやわらかな頬は赤くなっていた。


「……冬季くん……」
「りっくんがいっぱい愛情注いでくれるって言ってたし、たくさん甘えちゃおーって思ってたとこなんだけど。……ほんとにいいの?」
「はい。それはもう……君が望む以上に甘やかしますよ」
「えへへっ……」


 ふわりと微笑んだ冬季につられ、即答した李一も目元を細めニッコリと笑った。

 しかしながら、李一のその笑顔に弱い冬季は目を見開いて固まり、半ばぶつかるようにしてカッターシャツの胸に飛び込んだ。

 それからまたしばらく、冬季はまるで磁石のように李一にくっついたまま離れなかった。






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