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9.僕は
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りっくんの実家に向かう車の中で、僕はお父さんといくつか〝話〟をした。
僕の右隣で腕を組んだお父さんから、『突然の事で驚かせてしまったな』とつっけんどんに言われたんだけど、僕には「いきなり連れ出してごめん」に聞こえた。
あれはたぶん、遠回しの謝罪だったんじゃないかな。
それと、お父さんを見て萎縮していない僕が相当意外でもあったらしい。感情の読めない表情で、『物怖じしないのだな』とも言われた。
僕だって意外だった。
コミュ障で知らない人には警戒心を剥き出しにする傾向にあるのに、お父さんの顔が何となくでもりっくんに似てるってだけでスラスラ喋れた。
場所を移してまでどんな話をされるんだろうという不安から、緊張はしていた。でも声だけじゃなく見た目まで頑固そうなお父さんを、僕は不思議と〝怖い〟とは思わなかったんだ。
『──なぜあいつと同居していたのか、聞いても?』
『えっ?』
調べを尽くしても、僕とりっくんがどうして一緒に暮らしていたのかまでは分からなかったみたいだ。
前を向いたままのお父さんの横顔を窺って、やっぱりりっくんに似てるなと思いながら経緯を話すべきかを少しだけ考えた。
僕が勝手に話してもいいのかってことも。
もしりっくんがお父さんから同じ質問をされたとしたら……きっと話したがらない。
僕らが出会ったのは死ぬ間際。僕も、りっくんも、ほんの少し時間がズレてたりしてお互いがそこに居なかったら……生きていなかった。
でもそんなことをお父さんの耳に入れたら、りっくんがまたネチネチと嫌味を言われて傷付いてしまうあげく、ストレスでアル中生活に戻っちゃうのは目に見えてる。
それなら、事情を聞き出される前に僕からうまく話しておけば、りっくんが根掘り葉掘り追及を受けなくて済むかもしれない。
どうせ色々と調べられてるんだろうから、僕自身についてを語るのは今さらだ。
『……この通り僕は何の取り柄も無い人間です。働いても長続きしない、だから住むところも決まらない、陰キャでメンヘラで、すぐに自傷行為をするようなどうしようもない人間で……。付き合ってた人に「死ね」って言われてもう……生きてるのがイヤになって。自殺しようとしたんです。そのとき、りっくんと出会いました。りっくんは……見ず知らずの赤の他人である僕を、何の見返りもなく助けてくれたんです。命もそうですし、生活の面でも。僕がひとり立ちできるようにサポートするって、りっくんは言ってくれてました』
『〝りっくん〟とは李一のことか』
『あっ、すみません……っ! そうです、李一……さんのことです』
話すことに夢中で、うっかりあだ名で呼んでしまっていた。
慌てて訂正した僕だけど、いかにも厳格そうなお父さんの口から「りっくん」って単語が発せられると、つい吹き出してしまいそうになる。
場をわきまえて笑いを堪えた僕も、咄嗟に「李一さん」なんて言って勝手に照れくささを覚えた。
話の内容には一切触れずにそこに引っかかるとは思いもしなくて、微妙な空気のなか肩を竦める。
今のが答えになってるのかどうかも分からなかったけど、難しい顔で『ふむ』と言ったきりお父さんが沈黙したから、僕も窓の外を眺めるフリをして黙りこくった。
どういう関係だとか、そこまで突っ込まれなくて良かったと思うしかない。
ただりっくんは人助けで僕を住まわせてくれていた── それさえ分かってくれればいい。
『君は、高校を出てずっとその調子でフラフラしておったのか』
それ以上話しかけてくることはないだろうと油断していたその数分後、またもお父さんが口を開いた。
『……はい』
『生い立ちからしてヤケを起こしても致し方ないとは思うが、自傷行為だの自殺未遂だのとは物騒だな。李一はそんな君を放っておけなかったということか』
『そう、だと思います……。僕が宿無し一文無しだと知って、りっく……いや李一さんはとても親身に、僕の話を聞いてくれました』
『あの李一がなぁ……』
お父さんは顎に手をあてて、何かを考え込んでいる。
〝あの李一が〟って、お父さんはりっくんを少しも可愛がってあげてないんだから、知ってるはずないよ。
りっくんがどれだけ寂しかったか。
心ないお父さんの言葉にどれだけ傷付いてきたか。
歯医者さんだってことを隠しておきたがるくらい強い劣等感を植え付けておいて、〝知らなかった〟は通らないよ。
りっくんは優しい人だ。
ほんとに、ほんとに、優しい人なんだよ。
少しだけ心配性かもしれない。好きな人への愛情のかけ方がへたくそかもしれない。
でもすごく……とっても優しい顔で笑うんだよ。
そんなりっくんをお父さんが知らないのは当然でしょ。
『……君は七歳で施設に入っているようだが、自身の両親のその後についてを知っているのか』
少し黙っては、思い出したように口を開くお父さん。移動中の車内で話が尽きてしまいそうだ。
そう問われた僕の心は、ざわついていた。
その事については、あんまり考えたくなかった。パパとママがまさか……僕の知らないうちに死んじゃってるなんて。
昨日りっくんから聞かされた時、バシャンと頭から冷水を被ったような衝撃を受けたんだ。
信じがたいというか、実感が無さすぎて雲を掴むような話だけど、それが真実なら受け止めるしかなくて。
悲しくないと言ったらウソになる。
だから僕は、深く考えるのをやめた。
『……亡くなったと聞きました』
『誰からだ』
『……李一さんに』
『何、李一は君の母親についてを知っているのか』
お父さんからの鋭い視線を感じながら、俯いて答えた。するとお父さんは少しだけ驚いたような声を上げて、『どうなんだ』と答えを急かしてくる。
『い、いえ、僕のママと李一さんのお母さんが同一人物だということは知らないと思います』
『ではなぜ君は知っている』
『写真を見たんです。……ママが写ってたので、それで……気付きました』
『それを李一に話さなかったのはなぜだ?』
な、なぜって……。
まるで、話しておくのが筋だって言い方にカチンときた。
りっくんがショックを受けるのが分かってて、話せるわけないじゃん。
こんなことなら、僕は自分の生い立ちを話したりしなかった。ちょっと考えられないような偶然の一致に気付いたのも、たまたまだった。
僕も出来れば、知りたくなかった。
お父さんのものさしはおかしいと、カチンときた感情そのまま僕はお父さんを見上げた。
『僕が李一さんに話さなかったのは、李一さんが……傷付くと思ったからです。李一さんはお母さんを少しも知らないし、覚えてもいないって言ってました。でも僕は知ってます。少しの間でしたけど、一緒に住んでましたし……。僕の生い立ちを話してしまったあとにそれが分かったんで、とてもじゃないけど言えませんでした。言えるわけ……ないです』
『虐待をするような母である、と?』
『……そうです』
分かってるなら聞かないでよ。
その単語も言わないで。
僕は、自分が過去にそれをされていた可哀想な子だと思われるのが、すごくイヤだ。恥ずかしいと思う。
お父さんから視線を外し、膝に置いた手のひらを丸めて拳を握った。爪が食い込むほど強く握って、下唇を噛み締める。
『私もな、まさかと思ったのだ。だが君の左手の甲にあるそれは……根性焼きの痕だな?』
『…………』
そう指摘されてすぐに、右手で左手を覆ったんだけど遅かった。
僕のことなんて大して見てないと思ったのに、お父さんの視線は僕が咄嗟に庇った右手に注がれている。
そして、──。
『これで繋がった』
このよく分からない呟きを最後に、お父さんは口を噤んだ。
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