僕らのプライオリティ

須藤慎弥

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9.僕は

・・・7

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『上山冬季さん?』
『…………っ』


 背後からいきなり、しかもフルネームで名前を呼ばれた僕は慌てて振り返った。

 そこには、ちょっと痛々しいくらい若作りした格好の中年の男性が立っていて、思わず首を傾げる。

 見覚えの無い人だった。

 どう見てもその格好を強いられてるとしか思えない男性を、頭の先からつま先まで不躾に眺めた。

 誰なの、この人。……と、僕は相当怪しんでる顔をしていたと思う。


『突然すみません。わたくしこういう者です』
『…………』


 頷きもしないでジロジロと見てるだけの僕に、男性は苦笑いを浮かべて名刺を差し出してきた。

 知らない人からは何も受け取っちゃダメだから、差し出された名刺を目だけで確認する。

 そこには〝朝日探偵事務所〟とあって、それを見た瞬間僕はピンときた。同時に、心臓がドクンドクンと大きく脈打つ。


『成宮李一様はご存知ですよね?』


 答え合わせはすぐだった。おかげで動揺して逃げ出すタイミングを失った。

 好きな人の名前を唐突に言われたことで、足が竦んだのもあった。

 まさかそんなはずは……なんて、昨夜の通話を盗み聞きしてしまった僕が都合良く思えるわけもなくて。

 頷くのを渋った。

 名刺に視線は落ちたまま、本当に探し当てられてしまったという焦りでいっぱいだった。


『李一様のお父様が、あなたを探していらっしゃいます。一緒に来ていただけますか?』
『え、……いや……』


 僕が名刺を受け取る気が無いのを察した男性は、深緑色のパーカーの前ポケットにそれを雑にしまった。

 一緒に来ていただけますか、って……そんなの頷けるはずないじゃん。

 そもそもどうして、僕は探されてるの。

 りっくんのお母さんが〝ママ〟だったってだけで、僕はりっくんとも、りっくんのお父さんとも関係ないはずでしょ?

 それとも、僕が何かを企んでりっくんに近付いたんじゃないかって疑われてる?

 こんな偶然あるわけない、信じたくない、りっくんを傷付けたくない──その一心でりっくんから離れようとしてる僕が?


『一緒に来ていただけますよね?』


 若作りした男性は、ただ視線を泳がせてる僕に少し苛立ち始めた。スニーカーのつま先をトントンと動かして、僕が頷くのを待っている。

 そうやって急かされると、もっと心がザワザワして冷静な判断が出来なくなる。


『あ、いや……っ! ど、どうして……僕のことを探してるんですか』
『お話があるそうです』
『でも、あの、……急にそんなこと言われても……!』


 〝お話〟って何っ?

 怖すぎる。いったい何を聞かされるの。どんな話をするっていうの。

 その内容が知りたくて聞いてるのに、一重の冷たい目で僕を見てくる男性は教えてくれる雰囲気じゃない。

 僕は、りっくんのお父さんと話すことなんて何も無い。

 絶対……行かない。行きたくない。

 男性に負けじと、僕も視線で対抗する。じわじわと後退しながら、今だと思った瞬間に走り出せば逃げ切れる。

 走るのは得意じゃない。

 でも訳も分からずりっくんのお父さんのもとへ行くくらいなら、さっさと立ち去った方がいい── 無我夢中で走れば、男性一人くらい僕の足でも撒けると思った。

 後ろに人影が迫っていた事にも気付かずに……。


『何をモタモタしている。少年一人連れ来るだけだろう。何分待たせるつもりだ』
『────っ!』


 背後からの声に驚いて、またも慌てて振り返る。

 聞き覚えがあるどころか、つい昨日聞いたばかりの頑固そうな声にハッと息を呑んだ僕は、いつの間にか挟み撃ちされていた。

 ── りっくんの、お父さん……!

 一目見てすぐ、その人が誰だか教えられなくても分かった。

 知ってる声だった事と、もう一つ。

 僕を見下ろす視線や、冷めきった表情は似ても似つかないけど、お父さんの顔の造りがりっくんによく似ていたからだ。


『……君が上山冬季か』
『は、はい……』
『話がある。時間はそう取らせない。一緒に来てくれないか』
『は、話って……』
『来れば分かる』
『…………』


 だから、その話って何なの。

 どうして僕を探してたの。

 ここじゃ出来ないくらいの話って、ほんとに僕が聞くべきことなの?

 僕はもう、何にも知りたくないのに。

 りっくんにも、これ以上何も話さないでほしい。

 僕がりっくんから離れようとした意味が無くなっちゃうじゃん。

 そんなの関係ないって言われたらそれまでだけど、だったらお父さんも、そもそも僕を探す必要無かったでしょ。

 りっくんが言ってた通り、パパの連れ子である僕は何にも関係ないんだから。


『私の顔に何かついているか』
『えっ……』


 ……しまった。お父さんがりっくんに似てるからって、つい見つめ過ぎた。

 背も高いし、眼力と威圧感がものすごいお父さんにギロッと見下ろされると、若作りした探偵のおじさんみたいにみんな萎縮するのかもしれない。

 けど僕は、あんまり怖いと感じなかった。

 この人がりっくんを悲しませ続けてきたんだってムカつきはしても、怯むなんてとんでもない。

 年齢を重ねて渋くなったりっくんを見てるみたいで、よく分からない気持ちになっていた。


『私が本当に李一の父親か、疑っているのか?』
『いえっ、それは……疑っていません。似てるから……』
『似ている? 私と李一が?』
『……はい』


 そっくりってわけじゃないけど、確実に親子だって分かるほどには似てる。鼻筋と口元が特に。

 そこまで言う必要は無いかと頷くだけにとどめた僕の横に、黒塗りの車がゆっくり停車した。普通の車より長いそれの後部座席が、勝手に開かれる。

 逃がす気は無い、ってことみたいだ。


『それでは信用して来てもらえるか? そう心配することはない。就業後に李一も来る。二人揃ってでないと話が出来ないのでな』
『えっ!?』
『なんだ。君は李一と同居しているんだろう? そんなに驚くことか?』


 そんなのダメだよ。

 僕がどんな気持ちでりっくんと〝バイバイ〟したと思ってるの。

 思いをいっぱい詰め込んだ手紙まで書いたのに、そのすぐあとに鉢合わせたんじゃ気まずくてかなわない。

 しかもお父さんは、〝二人揃ってでないと〟って言ったよね。ってことは確実に、お母さんが〝ママ〟だってりっくんにバラすつもりなんだ。


『ど、どこに向かうのか分かりませんけど、行きます。行って、お話を聞いて、僕は帰ります。僕だけすぐに帰らせてくれるなら、行きます』


 頑固そうなお父さんに楯突くようで緊張したけど、これだけは僕も譲れない。

 お父さんの様子からして、乱暴なことをしたいわけでも、無理難題をふっかけて僕を困らせたいわけでもなさそうなのは何となく伝わってきた。

 僕はやっぱり、りっくんに真実を知られてしまうのが怖いんだ。

 一緒になんて、とても……ムリ。


『……分からんな。どういう意味だ?』
『深く考えないでくださいっ。い、い、行くなら早く行きましょう! 日が暮れてしまいます! あ、でもいったいどこに行くんですか……?』
『私の家……成宮の本宅だ』
『えっ!?』


 それって、りっくんの実家ってこと!?

 目を丸くした僕に、お父さんは『乗れ』と一言だけ言って先に車に乗り込んでしまった。

 僕も渋々、後に続く。





 その時が逃げるタイミングだったはずの僕がなぜ、大人しく言うことを聞いたのか──。

 それは、りっくんが「帰りたくない」と言っていた家がどんなものなのか見てみたいという、少しの好奇心からだった。







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