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9.俺は
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しおりを挟む─ 李一 ─
冬季くんからの連絡が無い。
メッセージの返事がこない。休憩の度に増えていくそれに既読すら付かない。仕事終わりの連絡にも応じない。
少し遅めのお昼寝をしているだけなら心配はいらないのだが、何だか胸騒ぎがする。
このところの冬季くんに、お昼寝の習慣は見られなかった。ただ、俺が午後の診療に出掛けてから冬季くんは掃除を開始するらしいので、疲れて眠ってしまうことがあってもおかしくはない、……と自分に言い聞かせる。
約半月ほど前から、俺は幸せな気持ちでいっぱいなのだ。
冬季くんを新妻に見立てたおふざけでなく、最近の俺たちの間にはまさに熱々の新婚さんのような空気が漂っている。
俺は、人肌を恋しがっていた冬季くんの可愛らしい我儘を呑み、華奢な体を抱きしめて眠った。
はじめは緊張した。欲望が暴れ出すのではないかという危惧もあった。
しかし、腕の中に収まった冬季くんの安眠効果がそれを上回った。思いがけず安眠でき、調子に乗った俺は、ところ構わず冬季くんへ我儘を言い出した。
救いようが無い。
「調子に乗るなジジイ」と冬季くんが拒んでくれると一発で目が覚めるのだが、少々照れたように大福ほっぺを赤く染めるのだから期待してしまうだろう。
おかげで俺はどんどん調子に乗っている。
いつ告白しようか。
どんな風に言えば、冬季くんを怖がらせることなく俺の気持ちを受け取ってもらえるのか。
冬季くんは……人生初の俺の告白に頷いてくれるだろうか。
そんなことばかり考えている俺に、わずかに湧いた胸騒ぎなど取るに足らない。三十手前の独身男が、十も離れた年下の男の子に恋をしているのだ。
〝歳の離れた友人〟、そして〝同性〟に恋をしてしまった背徳感も手伝い、俺はかなり浮き足立っている。
一秒でも早く帰宅し、ベッドですやすや眠る新妻を「夜眠れないから」という取って付けたような理由で揺り起こさなくては。
そして寝ぼけ眼で「おかえり」を言ってもらう。それだけで俺は安心する。
そう、だから少しくらい連絡がなくたって不安に陥ることはない。
──と、のんきに思っていたのだ。
帰宅するまでは……。
「…………居ない」
玄関を開けてすぐに違和感に気付いた。左端の定位置にあるはずの冬季くんの靴が、無かったのだ。
また、俺との約束を破っている。
あれだけ一人でウロウロしないでと言ってあるのに、また。
「俺に連絡も返さないで……」
カッと頭に血が上った。
運転の合間に返事がきているかもとスマホを取り出すも、通知は一つとしてきていない。
お昼寝の可能性を捨てきれない俺は、念のため三つの部屋を調べていくことにした。発着履歴から〝冬季くん〟をタップし、スマホを右耳にあてがう。
これで何度目か知れない聞き飽きた発信音にイライラして、間もなくだった。
「……え、……?」
部屋のどこかで着信音が鳴っている。
俺の発信のタイミングと同じだった。ということは、冬季くんは出掛けてなどいない。
……なんだ。やはりお昼寝していただけか。
着信音はベッドルームから聞こえてくる。近付くごとに音が大きくなっているから、間違いなく冬季くんはそこにいる。
冬季くんは俺を裏切ってなどいなかった。
「良かった……」
寝坊助さんを揺り起こそうと、俺はベッドルームの扉を開けた。
真っ暗だ。数秒は何も見えない状態だが、手探りで灯りを付けた。するとまた、激しい違和感に見舞われる。
結構な大音量で鳴り響いているスマホは、なぜかベッド脇のサイドーテーブルではなく窓際にあった。
「なんであんなところに……」
俺と冬季くんが揃って楽しんでいるバスボールの中身……小さな動物たちが並んでいるすぐそばで、着信音は鳴り続けている。
そして、人が寝ているとは思えない膨らみの無いベッドを見やった。
安堵した気持ちが、今度は一瞬にして凍り付いた。
「……う、嘘でしょ……」
一張羅が無い。靴も無い。大切な思い出の品も無い。
俺はもう一度、無駄だと分かっていながら部屋をくまなく見て回った。浴槽の中や便器の中までだ。
冷静でない時、人は本当にどんな行動をするか分からないものだと痛感した。
「冬季くんが、……居ない……」
スマホを置いて出掛けている。リビングで愕然と立ち尽くし、いつまでも持っていたスマホをごとりと床に落とした。
俺との連絡手段はあれだけだ。
冬季くんが……それを承知で置いて行ったのだとしたら……。
「いやうそでしょ、……どういうこと? なんでいきなり……っ? どうして……っ!」
突然にも程がある。
なぜ、今なのだ。
俺たちは少しだけ、ほんの少しだけ、同じ気持ちを擦り合わせられていたのではないの……?
つい五時間前の冬季くんに、出て行く素振りは一切無かった。あまりにも普段通りで、気が付かなかった。
まさか〝今日〟出て行こうと決めていたなんて、知る由もなかった。
体中の血が下へ下へと向かって行っている気がする。頭が働かない。
どうして何も言わずに出て行ってしまったんだ。
俺の我儘が気持ち悪かったのなら、そう言ってくれれば良かったのに。
「いや……冬季くんはそういうことが言えない子なんだよ。俺が気付いてあげなきゃいけなかったんだ……」
何か不満は無いか。何か不都合は無いか。
俺は毎日のように冬季くんへそう尋ねていた。けれど冬季くんは、一度だって何かを欲しがったことは無い。
冬季くんが言った我儘はたった一つ。
〝僕が眠るまで、手を繋いでいてほしい〟
これだけだ。
「と、とにかく探しに……!」
もう遅いのかもしれない。
この室内の寂しさからして、かなり前に冬季くんは出て行ってしまっている。
しかしここでボーッと腑抜けていても、冬季くんを捕まえられない。
「……あ、っ!」
スマホを拾い上げ駆けようとしたその時、視界の端でひらりと何かが舞い落ちた気がした。
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