僕らのプライオリティ

須藤慎弥

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8.晴れてゆく。

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 お父さんとの通話でいつも生気を吸い取られると話してたりっくんに、今問いかけることではなかったんだけど。

 口が勝手に動いた。聞かずにはいられなかった。


「そう、なんだ……」


 体中の水分が冷や汗で出て行ったかのように、声は掠れていた。

 まだ横になる気配の無いりっくんが、僕の問いに苦笑付きで答えてくれる。


「俺の母の話はしましたよね」
「う、うん……」
「父と別れたあとすぐ、母には交際していた男性が居たようで、父は……その男性の連れ子の行方を探しているようなんです。なぜかは分かりませんが」
「えっ!?」
「えっ?」


 ホントに探してるの……っ?

 なんで……? なんで僕、りっくんのお父さんに探されてるの……っ?

 そんなことしたら、僕の〝ママ〟とりっくんの〝お母さん〟が同一人物だってことがりっくんにバレちゃうよ!

 僕がこの町にいるってことが知られてるなら、それももう……時間の問題じゃん!

 上体を起こして驚愕した僕の背中を、何も知らないりっくんが優しくさすってくれる。

 それでも、全然落ち着かない。

 頭の中がゴチャゴチャで、掠れた声のまま「なんで……?」と呟いて布団をくしゃっと握った。


「な、なんで……探してるの……?」
「それが本当に分からないんです。俺が詳しい話を聞こうとしないだけなんですけどね。だって俺には関係ないじゃないですか。母の子どもだというなら俺と異父兄弟になるので少しは関係するのかもしれませんが、お相手の男性の連れ子と言われましても……」
「…………っ」


 そうだよね、……りっくんの言う通りだ。

 僕もそう思ったから、わざわざりっくんに話さなかったんだ。

 こんな偶然あるのって、僕だってまだ信じられない気持ちでいっぱいなんだよ。

 りっくんは何にも間違ってない。僕とは血が繋がってないんだから、気にする必要もない。

 りっくんは知らなくていいんだ。

 何にも、知らなくて……。


「母が亡くなったから、なのでしょうか……」
「…………っ!?」


 な、に……? 今りっくん、なんて言ったの?

 〝母が亡くなった〟……?

 嘘でしょ、そんな……そんなのって……。

 ……いや、僕の聞き間違いだ。きっとそうだ。

 ママ、まだ若かったでしょ。

 亡くなるなんてあり得ない。


「誰が、亡くなったって……?」


 聞き間違いであってほしい。

 その一心だったからか、僕は無意識にりっくんの腕をぎゅっと掴んでいた。

 だって……僕にとっての〝ママ〟はりっくんにとっても〝お母さん〟ってことでしょ?

 もしホントにママが亡くなってるとしたら、どうしてそんなに冷静でいられるの?

 やけに落ち着いてるもん。

 違うんだ。亡くなったのは、ママじゃない。

 けれどそんな願い虚しく、僕から腕を掴まれたりっくんは表情一つ変えずに僕を見つめて、さらに驚くべきことを言った。


「母と、その男性も、です」
「えっ!? そっ……そんな……!!」


 そ、その男性ってまさか……!

 パパ……?

 パパも死んじゃったの?

 いつ……? いつ、そんなことに……。

 嘘だ。嘘だ。……嘘だ!

 二人とも死んじゃったなんて嘘だ!!


「……冬季くん?」


 唇が震えた。

 まばたきを忘れて、窓際の動物園を見た。だんだんとそれが歪んでくのに、そう時間はかからなかった。

 りっくんの僕を呼ぶ声が遠くに聞こえる。

 信じたくなかった真実を立て続けに聞いてしまった僕の心が、ぐしゃっと何かに押しつぶされたような感覚があった。

 ママも、パパも、もうこの世にはいない……そんなことを急に言われたって、信じられない。

 でも、りっくんは嘘なんか吐かない。

 どれだけ〝お母さん〟に捨てられた恨みを持ってたとしても、死んだことにするわけない。

 だから……本当なんだ。

 二人が亡くなってしまった、のは、……っ!


「冬季くんっ!? どうしたんですか!」
「……っ、ごめ、……っ」


 一粒こぼれると、次から次にとめどなく溢れてくる涙。

 ギョッとしたりっくんの顔すら歪んで見える。突然泣き出した僕の頬を大慌てで拭う姿は、さっきとは打って変わって表情豊かだった。

 涙なんか流す理由ないのに、どうしてか止まらなかった。


「そんなに感情移入してくださるなんて……」


 悲しいのかどうか分からない薄情な涙を流す僕を、りっくんがそっと抱きしめてくれる。


「君って人は……なんて優しい子なんですか……」
「……っ、……っ」


 違うんだ、りっくん。そうじゃない。

 ごめんね。……違う。

 僕は……二人が死んじゃってたなんて思いもしなかったんだ。

 感情移入じゃない。

 僕は、〝男の連れ子〟。当事者なんだ、僕は……。

 ママとパパは、いい親じゃなかった。

 三人での楽しい思い出が一つも無いなんて、家族とは言えないのかもしれない。

 だけど、二人は……二人は……。

 僕にとって唯一の〝家族〟だったんだ……。









 その夜は、泣き疲れて眠ってしまっていた。

 起きたらお昼すぎ。

 りっくんはすでに昼食を済ませていて、午後の仕事に向かうところだった。


「冬季くん」
「……うん?」
「抱きしめてもいいですか」
「……うん」


 玄関まで見送りに行った僕を、靴を履いて振り返ってきたりっくんが淡く微笑んでお伺いを立ててくる。

 僕は頷いた。

 迷いはしなかったけど、躊躇いはしながら。

 するとすぐに、ふわっと抱きしめられた。

 あったかい腕に抱かれて目を閉じた僕は、この時すでに意を決していた。

 病院の匂いと、りっくんの車の匂い。それとシャツからは僕が洗濯したりっくん家の柔軟剤の匂い。それから、……初めて会った時と同じぬくい体温を堪能した。

 よしよし、と髪を撫でて甘やかしてくるりっくんは、昨日の僕の涙のワケを知らない。「感情移入してくれた」と大きな誤解をしているあげく、必要以上に僕をおだてた。

 それに対して僕は、否定も肯定もしていない。

 勘付かれたら困るから。

 今日がその日だって、りっくんに気付かれたら困るから。


「では冬季くん、行ってきます」
「……行ってらっしゃい、りっくん」


 手を振ると、りっくんが照れたようにはにかんだ笑みを浮かべた。

 背中を向けられた瞬間、とてつもない寂しさが込み上げてくる。

 りっくんが玄関の扉を開けようとした瞬間、僕は心のままに叫んでしまっていた。


「りっくん!!」
「はい?」
「あ、……ううん。ごめん、引き止めて。……行ってらっしゃい」
「ふふっ、二度も聞けるなんて幸せです。また五時間後に。合間に連絡入れますね」
「…………」


 パタン、と玄関の扉が閉じられる。その途端、一気に部屋が薄暗くなったように感じた。

 僕はしばらく玄関で立ち竦み、抱きしめられた感触を思い出して余韻に浸る。

 それから……。

 僕のために買ってくれたスマホをベッドルームの動物園のそばに置いて、すぐさま一張羅に袖を通す。

 何も言わずに出て行くと、心配性なりっくんは僕を探し回るんじゃないかと、お世辞にも上手とは言えない字で手紙を書いてリビングに置いた。


「バイバイ、りっくん」


 外から鍵を締めて、ドアポストに入れてしまうと、もう後戻りは出来ないことを痛感して涙が出そうになった。

 でも、りっくんのお父さんが僕を探していると分かった以上、もうここには居られない。

 僕がいたら、りっくんが傷付いてしまう。

 僕のせいで、りっくんが傷付いてしまう。

 そんなの……死んでも耐えられない。


「わぁ……今日はいい天気だなぁ」


 マンションのエントランスを抜け空を見上げた僕は、晴れ渡った澄んだ青空に心を奪われた。

 この景観も見納めだと思うと、胸がズキズキ痛んでしょうがない。

 僕はまた、心に傷を増やして、宿無し無一文に戻ってしまった。


「……ま、生きてたら何とかなるか」

 
 常に隣り合わせだった〝死にたい願望〟が無くなってしまった今、僕は本当の意味でひとりぼっちになっても空を見上げていられた。

 そういう風に僕の心を変えてくれたりっくんには、感謝しかない。


「ありがとう、りっくん……」


 僕は最後に、空からマンションに視線を移した。

 その時だった。


「──上山冬季さん?」






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