僕らのプライオリティ

須藤慎弥

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8.晴れてゆく。

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 僕はりっくんを既婚者だと思い込んでいた。さらには子どもまでいるんじゃないかという疑惑を、話の流れで本人にぶつけてみたらただの誤解だってことが判明して、顔から火が出そうだった。

 どっちも違うんだって。僕の誤解だったんだって。

 これだったら辻褄が合う! と自信満々に憶測を立てて、絶対そうだと思い込んでたなんて恥ずかし過ぎる。

 りっくん、めちゃくちゃ驚いてたもんな。

 『いつ結婚しましたっけ?』と言い出した時は、もうバレバレなのにまだ誤魔化す気!? と僕の方がビックリしちゃったけど、蓋を開けてみれば……そういう事で。


「──本当に、日中は自由に過ごしていただいて構わないんですけど、そのかわり報告は欲しいですよね。どこで何をしていたか、気になるじゃないですか。尋ねるのは当然だと思いませんか?」
「う、うん……」
「不安を与えたくないので、俺も言動には気を付けます。だから俺にも不安を与えないでほしい、と思うのは贅沢なんでしょうか」
「ううん、そんなことない……と思う」


 答えると、りっくんは僕の頭上で「ふふっ」と嬉しげに笑った。僕を抱きしめてくれてる腕に、きゅっと力を込められもした。

 なんで毎晩こんな話を僕にするんだろう。というのは、愚問ってやつだ。

 とんでもない誤解をしていた僕に、りっくんはひたすら自身の恋愛観を語って〝そうじゃない〟ことを遠回しにアピールしてるんだと思う。

 だけど……。

 うーん……慣れない。

 破けた心臓は朝起きたら治ってると言っても、それは僕が目覚めた時にりっくんが居ないからで……これじゃ何日保つかなって感じだ。

 りっくんに抱きしめられて眠ること、今日で三日目。

 手を繋いでた三日間もドキドキしてたけど、この三日はハラハラも加わって僕は一向に眠れない。逆にりっくんはこうしてる方がよく眠れるみたいで、すでに話し声がとろんとしている。

 今日も相変わらずりっくんの恋愛観を聞かされてる僕は、ただただ〝好き〟の気持ちが募ってくばかり。

 こんな人が彼氏だったらいいなって理想が、目の前にいる。

 ますます、好きになる。

 りっくんはノンケだから僕の想いが叶うことはないんだけど、〝今だけ〟と自分に言い聞かせて堪能してるんだ。

 〝愛されてる気分〟を。


「…………」
「……りっくん?」


 ……あ、寝ちゃった。

 問いかけに反応もしなければ、僕を抱いてる腕がズシッと重くなる。

 規則正しい寝息も聞こえ始めて、僕はこっそり、寝ているりっくんにぎゅっと抱きついて甘えた。

 りっくんはいつもあったかい。背が高いだけあって体つきも男らしくガッシリしてるし、抱きしめられてると潰されそうになっちゃうんだけど。

 その苦しいくらいの重さがいい。

 それに、りっくんの匂い……好きなんだよね。

 帰ってくると微かに香る、病院みたいな匂いも好き。気付いてしまうとドキドキの材料にしかならない。


「りっくん……お疲れさま」


 呟いても、やっぱり反応が無い。熟睡してるんだ。

 今日も患者さんいっぱいだったって言ってたもんな。

 それこそ、さっきご飯を食べながら話したっけ。患者さんがたくさんの時は、いつがりっくんの休憩時間なの? と聞いてみると、……。


『休憩時間? んー……麻酔を打った時、印象している間、衛生士さんにスケーリングを任せている時、あとはキャンセルが出た時くらいですかね。多くても十分くらいでしょうか。まぁでも、それは俺だけじゃないんです。スタッフさんの方がもっと大変です。治療の準備、片付け、滅菌作業、院内の掃除までしてくださっていますから』


 ──だって。僕には分からない専門用語を解説しながら、りっくんはそう教えてくれた。

 興味深かった。

 歯医者さんには患者として行く機会しかない僕にしてみれば、その内情なんて未知の世界で。助手さんと衛生士さんの違いも知らなかった。

 一度でいいから、りっくんが仕事をしている姿を見てみたい。

 歯医者さんの先生って、あのキーンって音と同じくらい怖い人ばかりだと思ってたけど、りっくんはそのイメージとはかけ離れてるんだもん。

 りっくんがいる歯医者さんなら、行ってみたい。

 〝離れがたい〟僕が、そんなこと……とても言えないけど。









 翌朝。

 寝坊助な僕は、出勤前のりっくんからめずらしく揺り起こされた。


「冬季くん、冬季くん」
「ん、……っ」
「起こしてしまってすみません」
「ううん、……どうしたの?」


 優しい声と、僕の髪を撫でるあったかい手のひらですぐにそれは夢じゃないと分かった。

 上体を起こすと、「おはようございます」と満点の笑顔で微笑まれた僕は、最高の目覚めだと感動を覚えながら「おはよ」と俯き加減で返す。


「今日はお昼からお休みの日なんですけど、冬季くんさえ良ければ買い物に出掛けませんか?」
「えっ、買い物? いいけど、何買うの?」
「冬季くんのお洋服です。ほら、毎月新作が出るって言ってたじゃないですか。新作をゲットしに行きましょう」
「ん!? い、いや、洋服はもういいよ! 買ってもらった服、まだ着てないのあるくらいなんだよっ? 申し訳ないって!」


 起きたばかりの僕に何を言い出すかと思えば……。

 出掛けるのは大賛成だけど、ほんとに洋服はもう要らない。何から何まで身の回りの物を揃えてもらって、それだけでも感謝してるのに。

 先月買ってもらった洋服は、さすがにずっと紙袋にしまっとくわけにはいかないから、タグ付きのままだけどハンガーにかけて直してある。

 僕はまだ、クタクタになった一張羅を着てるくらいだ。

 次から次に新しい物を与えてくれなくていい……と、僕は遠慮しただけ、なんだけど。

 その気持ちを素直に受け取ってくれないのがりっくんだ。

 僕が拒否すると、あからさまに肩を落としてしまった。


「……迷惑、ですか」
「あっ、いや……迷惑とかじゃなくて……!」
「迷惑でないならいいんです! 俺が冬季くんに買ってあげたくて勝手に誘っているだけなので、気にしないでください。あとは日用品のお買い物もあります。どうしても気になるというなら、お洋服はついでってことにしておきましょう」
「……りっくん……」


 僕が遠慮しているだけだと分かるや、りっくんは背中を丸めてくしゃっと頭を撫でてきた。

 くぅ……これを無自覚でやっちゃうんだからなぁ……。僕の言い分なんか通らないって。

 優しさの中に、頑として引かない強引さがあった。

 そんな意外性までも垣間見せるりっくんを前に、一晩で治ったはずの僕の心臓がぎゅっとまた縮んだ気がする。

 胸がいっぱいで苦しくて、撫でてくれたボサボサ頭に残る手のひらの感触が心に染みた。


 ──好き。りっくん、好きだよ……。


 声が掠れてうまく喋れなくなった僕を見て、出掛ける間際「もう少し寝ていてください」と間髪入れずに甘やかしたりっくん。

 せっかく起こしてくれたのに、僕は今日も「行ってらっしゃい」を言えなかった。




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