僕らのプライオリティ

須藤慎弥

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8.晴れてゆく。

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 左手がぬくい。それに、左側全体からとてつもないα波が押し寄せてくるがとても眠れない。

 やわらかな匂い、初めての感触、穏やかで聞き心地の良い寝息……。

 あぁ、頭がクラクラする。

 眠気よ来い、何をグズグズしているんだ。

 昨日までは冬季くんと一定の距離を保って寝ていた。それが何だと言うんだ。関係ないだろ。

 今日はほんの少し、冬季くんが近くにいるだけ。

 だんだんと俺のスペースに侵入し、なんだか寄り添ってきているような気がする。あげく寝入ってからも繋いだ手を離そうとしないが、そんなものは眠気がこないことと何ら関係……無い。

 ……いいや、ある。大ありだ。

 俺の軽率な判断が間違っていたとは言わない。だがこの状況は、心と下半身への刺激が強すぎる。

 しかしあんな容易い願いくらい、二つ返事で頷かないなど男ではないだろう?


『あっ、いや……っ! 僕なに言ってんだろ。ごめん、りっくん! 今のナシ! ヘンなこと言ってごめんね! キモいよね、僕! ははっ……』


 冬季くんはよく見ると、俺の右斜め上を向いていた。そして呆気に取られた俺の目元に視線を落とすや、顔を赤くして自身の発言を卑下し始めた。

 ところが俺は、プルプルと頭を振っている冬季くんへ返事もせず、まじまじと見つめながら脳内で緊急会議を開いていた。


 ──いいや、全然気持ち悪くなどない。俺にとっては願ったり叶ったりだから即座に頷いてもいいくらいだ。

 ──ただそんなことをして落ち着いていられるのか? 手を繋ぐなんて俺には少々高難度ではないか。ちなみにどういう握り方をするつもりなのだろう。初めてだから分からないな。


 ……この時ばかりは、理性が劣勢であった。

 真っ赤になった顔を手で扇いでいる様を見ていると、もしや俺にもチャンスがあるのかと一時意識を失った。

 なぜ恥ずかしがる? なぜ顔を赤くする?

 誰しもが嫌いな人間と手を繋ごうとは思わない。それが男性だろうが女性だろうが、まずそんな発想に至らないのではないか。

 となると、だ。タイプでない俺にも、わずかに望みがあるのかもしれない。

 ……欲望の勝利だ。
 

『な、なんか、……ホントごめん……』
『いえ、謝らなくて結構です。返事はどうしましょう? 聞きますか?』
『返事ってなんの?』
『手を繋いで眠ってもいいかと聞かれたので』
『りっくん真面目だね!! 僕もう大丈夫だよ! 聞かないでおく! いきなりワケ分かんないこと言ってホントにごめ……っ』


 感情が昂り、早口になっていたと思う。

 謝罪の言葉を遮ったのは、勝手に動き出した大胆な俺の両手だ。冬季くんの両肩をガッシと掴み、『大歓迎です』と豪語した俺に迷いは無かった。

 なかなか顔の赤みが取れない冬季くんからツッコミを受けたけれど、遠慮を捲し立てる彼がパジャマの色味も相まって天使に見えたせいで、欲望に支配されていた。


『もちろん、いいに決まってるじゃないですか。手を繋いで、いつもより近くで眠りましょう。冬季くんこそ気持ち悪くありませんか? もっと早く言ってくだされば良かったのに。俺が既婚者だと思って遠慮していたんですか? 手を繋いで眠ることくらいお安い御用です。まだ眠るには早いですが歯磨きをして床につきましょう。お喋りはベッドの中でも出来ます。どうですか、冬季くん』
『…………っ!!』


 次に呆気に取られたのは冬季くんの方だった。

 彼の捲し立てなど可愛いもの。

 またしても俺は自分で自分が気色悪くなるほど、必死に女性を口説く奥手な男性のように鼻息を荒くした。


『冬季くん? ……冬季くん?』


 フリーズしたまま、冬季くんはしばらく動かなかった。

 俺の気色悪さに幻滅したのかと思いきや、少し経って彼が放った台詞がこれだ。


『ありがとう、りっくん……嬉しい……』


 もう、暫定恋人でよくないかと思った。





 そんなことがあって、布団に入って三時間。

 意識は冴え渡り、左半身に緊張が走っていて一向に睡魔がやって来ない。

 俺の体に支障をきたしている以上、ちっともお安い御用ではなかった。


「はぁ……」


 これは冬季くんなりの〝わがまま〟なのかもしれないが、こんなに可愛いお願い事は初めてで心臓が脈打ちすぎて痛い。

 手を繋いで眠るだけで「ありがとう」とは何事だ。可愛いが過ぎる。

 理性が気にしていた手の繋ぎ方は、いわゆる恋人繋ぎというやつだ。俺が望んだわけでなく、冬季くんがこうした。誰とも手を繋いだことがなかった俺に、冬季くんが教えてくれたのだ。

 つまり冬季くんは〝誰か〟と手を繋いだことがあるというわけで、元カレがチラついた俺の心がいささかモヤっとはしたが。

 ただ、ぎゅっと手のひら同士が繋がった瞬間そんな過去のことはどうでもよくなり、想像の中でとびきり扇情的だった鼻先のキスよりも、絡み合った指先にいたく興奮してしまった。

 冬季くんの手は、見た目通り小さい。出会った時は氷のように冷たかったけれど、今日は俺に勝るとも劣らないポカポカ加減だ。

 すぐ隣を向けば、安心しきったような可愛らしい寝顔。

 すり寄ってきているのは気のせいでなく、俺の左腕に寄り添っているのは間違いない。

 ……たまらない。

 たかだか手を繋いでいるだけで、欲望を抑え込むのがこれほど大変だとは思わなかった。

 好きだ、冬季くん。

 俺は君をどうにかしたいかもしれない。

 だが彼は男の子だろうって?

 想像してみようじゃないか。


 ──寝られるか、こんな状況で。







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