僕らのプライオリティ

須藤慎弥

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8.晴れてゆく。

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─ 李一 ─



 冬季くんに、少しだけ近付けた気がする。

 過去や父に囚われている俺が、いかにハイスペック男子でないかを打ち明けた後も、冬季くんの態度はまったく変わらない。

 それどころか、リュックサックを取りに行った辺りから可愛らしい笑顔が頻発している。

 元カレと会った件で心が疲弊してしまったようで、あの翌日まで寝たきりで元気が無かったけれど、今ではすっかり元通りになった。

 頑なに言えずにいた職業を明かし、なぜ言えなかったかまでをも包み隠さず曝け出した今となっては、彼が俺に「りっくんに近付けた」と顔を綻ばせていた気持ちがよく分かる。

 他者には取るに足らない身の上話など、これからも誰にも話すつもりはなかったが、吐き出してしまえばこんなにも心が軽い。

 それを受け止めてほしいと思った人から、俺の人生観を見直す言葉までもらったのだ。

 今まで気にも留めなかったことにも興味が湧く。

 〝もう少し頑張ってみるか~〟どころではない。

 俺は今、生きているのがとても楽しい。

 帰る家があり、待っていてくれる人が居て、誇れる職で生計を立てている。

 何も恥ずべきことが無い。


『──写真が届いているはずだが』


 そう、俺は自分の生き方、考え方に自信を持てるようになった。

 だからこんな父の開口一番の台詞にも、何ら狼狽えない。

 毎日のように着信を残されていたが、初めて父からの連絡を無視して十日が経つ。いちいち留守電を削除するのが手間で、俺はそれだけを理由に父からの連絡に応じた。


「……えぇ、届いていますよ。十日前に」
『なぜ音沙汰が無い。知らん顔し続けやがって。私から逃げようとしてもそうはさせんぞ』
「何度も申し上げているように、俺は逃げも隠れもしません」
『どうだか。して、写真の感想は? お前は母親にソックリだろ』


 ……なぜそんなことを問われなくてはならないんだ。

 母親の写真なら見たさ。

 感想? そんなものあるはずがない。

 見知らぬ女性の写真を見せられ、「これがお前の母親なんだぞ」と言われたところでさっぱり情が湧かない。

 俺の記憶に少しも存在しない顔だからか、俺が冷たいからか……。

 すでに会うことが叶わないのに、俺の母親だという証明すら出来ない女性を見てどう思えばいいんだ。

 思い出話でもしたいのか?

 ……いいや。この父に限って、そんなことは露程も図って無いだろう。


「感想なんてありません。似ているかどうかもよく分かりません。その質問が不快だと思うだけです」
『いつからそんな生意気な口を叩くようになった? お前は私に五千万以上の借金がある。忘れたとは言わせんぞ』
「忘れてはいませんが、それについては俺からの回答は変わりません。弁護士を立ててください。話はそれからです」


 毎度毎度、飽きもせず金の話ばかり。

 これだから電話に応じたくないのだ。何度同じやり取りをすればいいのか、と俺が不機嫌さを顕にすると、父はややたじろいだ。


『……フンッ。そんな話をしたくてお前に電話をしたわけではない。私だってそんなに暇ではないからな』
「では用件をどうぞ。手短に」
『…………っ』


 冷たくあしらうと、さらに父は狼狽した。電話の向こうで息を呑む気配がして、わずかに胸がすく。

 俺はこれから夕飯を調達し、冬季くんの待つ自宅に帰らなくてはならないのだ。

 今日はどんな動物が、あの丸いバスボールから飛び出してくるのか。ささやかな毎晩の楽しみを、冬季くんと共有しなければならない大事な行事がある。

 父との憂鬱な通話で、すでに四分もロスしている。どんなに重要な用件であろうと、今この瞬間、俺に迷惑がかかっているぞ。


『お前の母親の事なんだが。どうやら交際していた男がいたらしい。男もすでに他界しておるが』
「そうなんですね。それが何か?」
『その男には連れ子が居たようなんだ。お前の母親とは五年ほど共に暮らしていたが、訳あって……』
「話の腰を折って申し訳ありませんが、俺からどんどん遠ざかっています。俺に知らせるのは母親の情報だけで結構。交際していた男についても、その連れ子についても、俺にはまったく関係がないでしょう。そんなことを俺に話してどうするんです?」


 まったく。くだらない用件だった。

 母親も女性なんだから、父と別れた後に男くらい作るだろうさ。

 交際男性がすでに他界しているというのは気の毒な話だが、さらにその連れ子に関してまで俺が聞く義務は無い。

 もっと言えば、俺は自身の母親についての情報をこれ以上知りたくもなかった。

 次から次に後出しされ、ついには情が湧いたとしても……もう二度と会えないのだ。

 ……今さらだろう。


『私のことを罵れないほど非情になったな、李一。何か心境の変化でも?』
「質問返しはやめてください。鬱陶しいです」
『…………っ』


 思ったことを言って三度息を呑まれても、俺はじゃあ何と返せばいいのか。

 本当に、心の底から興味が無いのだから仕方がないだろう。

 俺をこういう風に育てたのは誰だ。


 〝お前の母親は売女だった〟
 〝お前は母親に似て出来が悪い〟
 〝お前が医師になれなかったのは母親のせいだ〟


 こんなことを常日頃言われ続けた俺が、母親を恋しがると思うか。

 俺の母はどんな人なんだろう──幼い俺がそう実母への情を膨らませ心中で慕う前に、憎しみの感情を植え付けた本人がよく言うよ。

 亡くなってから情を湧かせているのはどっちだ。

 俺は母親に関して「知りたい」と言ったことなど、一度もないはずだが。


『……ともかく、私は今その連れ子の行方を追っている。それだけだ。お前は借金を返す算段でも付けていろ。来月には全額返金かうちの病院にくるかを決めるんだ』
「はぁ……。話が進みませんので切ります」


 何度も同じことを言って飽きないのだろうか。

 通話を切ってもなお父の声が耳に残り、憂鬱で仕方がなくなる。


「だから嫌なんだよ……あなたとの会話は」


 近頃はとても軽かった心が、ずっしりと重たくなる。

 結局は母か金の話じゃないか。

 暇でないなら、わざわざ連絡してくるんじゃない。



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