僕らのプライオリティ

須藤慎弥

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7.真実と共に

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◇   ◇   ◇



 りっくんには言わない。

 そう決めて、僕はあれから普通に過ごしている。

 でも、普通がこんなに難しいことだとは思わなかった。

 りっくんが怪しまないように、元カレに会って疲れたフリを何日か続けて(りっくんがしきりにそう言うからだ)、フラッシュバックしちゃうリュックは極力見ない。

 連絡がきたらちゃんと返し、りっくんが仕事に行く時は「いってらっしゃい」、帰ってきたら「おかえり」を言う。

 ごはんは残さず食べる。

 かなり伸びた二色の髪を一括りにして、部屋を綺麗に保つ。

 洗面所をなるべく湿気た状態にしない。

 ──僕はこれだけのことに、たくさん神経を使った。

 いつからこんなに充実した生活を送ってたんだろう、という当たり前の発見をしたりして。

 部屋を綺麗にしておくこと。帰ってくる人に労いの声をかけること。誰かとごはんを食べること、ひとりぼっちじゃないこと……。

 一ヶ月以上の間、この何気ないことが僕の心身を安定させていたんだってことに気付くまで、そう何日もかからなかった。

 りっくんとの生活が、そうさせてくれていたってことも。


「冬季くん、見てください。今日のバスボールの中身はシロクマさんでしたよ」
「わぁ、ホントだ。シロクマってレアなんじゃない?」
「んーっと、どれどれ……」


 お風呂上がり、ほかほかになったりっくんが僕を呼び寄せてまで見せてきたそれは、ここ一週間日替わりで使用している、お湯に浸けると何かが出てくる楽しいバスボールの中身。

 りっくんの大きな手のひらにちょこんと乗った、バスボールから生まれたシロクマの人形。差し出されたので受け取ると、りっくんは参考書でも読んでるみたいな真剣な眼差しで、子ども向けのカラフルなパッケージを熟読している。


「あぁ、本当だ。シロクマさんはレアですよ。ちなみに冬季くんは何が出てきました?」
「僕はたしか……今日はゾウだったかな」
「ゾウさんですか! ぜひ見せてください!」
「あはは……っ、乾燥させてみんなと一緒に寝室に並べてるよ」


 分かりました! とニッコニコでベッドルームに向かったりっくんが、僕キッカケでなぜか童心にかえっている。

 お金持ちのお家で育ったから、こういう庶民的な娯楽が物珍しいのかもしれない。施設育ちの僕もバスボールなんてものには初めて触れたから、実はワクワクする気持ちはりっくんと同じだったりする。


「でも、なんでいきなりバスボールだったんだろ……」


 僕もりっくんのあとを追ってベッドルームに向かいながら、クスッと笑いを漏らす。

 りっくんは、例によって疲れた僕を元気付けるためだと言い、あの日の夜に子どもが喜びそうなバスボールをビニール袋いっぱいに買ってきた。

 初日も、二日目も、りっくんの思惑はそうだった。

 けれど三日目からは、りっくん自身も楽しみだしている。

 僕が普段通りを意識した成果かもしれない。そんな僕の演技は、アカデミー賞で最優秀賞取っちゃう並みにうまいんだと思う。

 ザ・大人って感じのシンプルなベッドルームが、窓枠に飾られた小さい動物たちのおかげで一気に雰囲気が変わった。あの袋いっぱいのバスボールを使い切ったら、きっとあそこ一帯は小さな動物園状態になる。

 それらを楽しげに眺めているりっくんを黙って見つめていると、ふと振り返られてドキッとしてしまった。


「順調に増えてきましたね」
「う、うん。そうだね」


 フッと微笑まれた僕は、視線をウロウロさせながら曖昧に笑い返した。

 ──りっくんは何にも知らない。でも僕は、知ってしまった。

 心の中にはずっと、正体不明の灰色をした煙みたいなモクモクが渦巻いている。

 りっくんの顔がママに似てるかもしれないと思い始めてからは、とうとう直視出来なくなってしまった。

 隠さなくてよくなったからって、僕を一人にしていられないと心配性を発揮するりっくんが毎日僕の隣で眠ってくれるから、忘れたくても忘れられなくて。

 薄暗い夢を見て、りっくんの気配に安心して、整った綺麗な寝顔を見ては色んな思いで胸が苦しくなって、「ごめんね」の気持ちが目尻に溢れてくる。


「お腹が空きましたよね。今日はデザートにフルーツもあるんですよ。患者さんから頂いたんですが……何だったかな。……あぁ、そうだ、カットメロンです。冬季くん、メロンはお好きですか?」


 風呂上がりのりっくんは大人の色気がハンパじゃない。

 喋り方も、声も、とことん僕を切なくさせるから、いっそ耳を塞いでいたいくらいだ。

 問われたのについつい背中を向けてしまうけど、りっくんが嫌いとかそんなんじゃない。むしろ、何も知らないでいたかったと思うくらいには、りっくんのこと……好きだ。


「えっと……ううん、メロンは食べたことないから分かんない……」
「そうでしたか! さぁさぁ、食べましょう!」
「うん……っ」


 何だか嬉しげなりっくんから、さらりと肩を抱かれた。たったそれだけのことに、僕の心臓は飛び上がりそうになる。

 ドキドキを真顔で隠し、りっくんに促されて僕はソファに腰掛けた。

 こないだ新しくやって来たテーブルの上には、料理が出来ない僕らを支える強い味方、出来合いのお弁当がすでに二つ並べられている。

 ここに来た当初はアルコールしか入ってなかった冷蔵庫が、たった一ヶ月そこらで所帯染みて、貰い物のカットメロンを入れるスペースにさえ困るほどになった。

 りっくんの生活が、僕が居ることでガラリと変わった証拠だ。


「お口に合うといいんですが」
「メロンって美味しい?」
「どうでしょう。味覚は人それぞれですから、まずは食べてみてください」
「お弁当より先に?」
「ふふっ、それは冬季くんに任せますよ」


 先に食べますか? と微笑まれた僕は、首を振ってさりげなく視線を逸らす。

 やっぱりどうしても、日々りっくんの顔を見られなくなってるな。

 ……だからこそ、りっくんには言わない。……言えないんだ。

 僕ら二人ともが悲しくなっちゃうようなことをわざわざ話して、優しいりっくんの笑顔を曇らせたくない。

 世の中には、知らなくていいこともある。



 僕がこのままここにいちゃ……りっくんのそばにいちゃダメだと思ってることも、りっくんは知らない方がいい。







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