僕らのプライオリティ

須藤慎弥

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7.真実と共に

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 帰りに購入したケーキを食しながら、俺は冬季くんにあまりそれを楽しく頂けそうにない内容の身の上話を語って聞かせた。

 成宮という代々医師家系の血筋ではあるが、妾の子ゆえいつも疎外感と孤独に苛まれていたこと。

 俺を産んですぐに失踪した母を憎んでいる父が、とにかく俺にツラくあたってきたこと。

 我が子可愛さに、顔を合わせる度に俺に辛辣な言葉を投げかけてきた義母のこと。

 殺伐とした大きな家の居心地がとても悪く、悲しくて、悔しくて、反抗心から成宮のレールを外れ、父が見下している歯科医師になったこと──。

 冬季くんは、はじめの五分でケーキをペロリと平らげ、時折頷きながらジッと俺の話を聞いてくれていた。

 食事の進みが遅い冬季くんは、実は甘いものに目がないことをついさっき知り、「ふむ」とよく分からない納得をした俺は、話をひと段落してベッドルームに移動した。

 冬季くんの歯ブラシを持って。


「歯磨き粉は少量で大丈夫です。あまり歯石の沈着は見られませんが……マメに歯磨きをしているんですか?」


 前回親知らずを診た時と同じ体勢で、今日は冬季くんに手鏡を持たせブラッシング指導を開始する。

 俺が歯科医だと話した時、さして驚かなかった冬季くんは脈絡のない俺の行動にも素直に従ってくれた。


「うん。朝昼晩と、あとは口の中が渇いた時とか……」
「そうなんですね。それはとても良いことなんですが、少々力が入り過ぎています。歯ブラシは、ペンを持つように握ってください」
「え、ペン? それホント? それだとあんまり力入んないよ」
「力を入れ過ぎると、歯ぐきを傷付けてしまいます。歯垢除去をする程度であれば、……このくらいで充分なんです。歯を磨くのではなく、歯と歯ぐきの境目を円を描くように磨くイメージで、……優しく。こんな風に」


 歯ブラシを握り下顎前歯を磨いてやると、手鏡を凝視していた冬季くんがくすぐったそうな声を上げ、足をバタつかせた。


「ふぃ~!? 歯磨きされてるだけなのに……っ、なんでこんな気持ちいいの~っ?」
「ふふっ……それは良かったです。親知らずの件も、もう少し生えてきたら抜くことを考えておいてくださいね。その時は俺がバッチリ抜いて差し上げます」
「えー!! それは怖いって! 僕のはななめに生えてるって言ってたじゃん!」
「俺、親知らずを抜くの得意なんですよ。怖がらせてしまうので治療内容は言えませんし、それぞれ症状が違うので自信満々というわけではないのですが……真横に埋まっている親知らずでもわりと簡単に抜きます。その時は大きな病院の口腔外科まで出張しますが」
「そ、そうなんだ……?」


 全体的にブラッシングをしていた最中から、冬季くんはとうとう手鏡を持っていた左手を下ろしてしまった。

 目を閉じ、まるでユニット上の患者さんのように動かなくなった冬季くんへ、うがいを促す。するとゆっくりと開いた瞳がいかにも「もう終わり?」と言いたそうで、何とも言えない可愛さにやられた俺の心がふわっと揺れた。


「それにしても、りっくんが歯医者さんだったなんてなぁ」


 戻ってきた冬季くんの第一声が、機嫌良くふわふわ浮かんでいた心にグサッと刺さる。

 この一ヶ月間、情けない見栄もあって隠していた罪悪感たるや凄まじい。

 だが言い訳をするなら、俺は自身の気持ちを話すことがこれほど呆気ないとは思わなかったのだ。

 冬季くんは、俺が随所でうっかりヒントを出していたことを覚えていた。ただ〝まさか〟と思っていたらしい。

 親知らずを診た際、最大のヒントを与えてしまったのだが。


「歯医者さんみたいな仕事って言いましたよ、俺」
「〝みたいな〟がついちゃうと一気に範囲広がるじゃん」
「……どういう事でしょうか……」


 ……範囲が広がるとは。

 たまに見せる冬季くんの謎発言に首を傾げたものの、彼の立場からすると、こんなにも身近に歯科医が居るとは思いもよらなかったのだろう。

 それもこれも、俺がひた隠していたから。


「なんで歯医者さんだってこと言わなかったの?」
「それは……先ほど話した通りです。なんとも格好悪い劣等感と反発心が邪魔をしまして、俺自身が卑屈になっていたんですよ。父は本当に俺を見下していました。歯科医師をナメてもいるので、どれだけ歯が痛くても歯科医院に行かないほどなんです。歯科医師になんか頼りたくない、そう思っているんでしょう」


 ベッドサイドに腰掛けた俺の隣に、眉をハの字にした冬季くんがやって来る。

 何だか途端に緊張してきた。


「そっか……」
「……はい」


 大っぴらに言うことでもないが、尋ねられて言い淀む職業でもないと世間一般はそう思うだろう。

 けれど劣等感でいっぱいの俺には、それが難しかった。……とても。

 父からの罵倒や俺を見下した目は、ある種の洗脳のように脳裏に焼き付いている。

 だからこそ俺は、この仕事に誇りを持とうと思った。見返すことは出来なくとも、やり甲斐が生まれた職を大事にすることが、俺にできる父への仕返しだ、と。

 そんな考えを持つこと事態が、まだ父に縛られているようで悔しいけれど……。


「でも、僕にはお医者さんと歯医者さんの違いなんて分かんないけどな」
「明確な違いがあります」
「どんな? それってどうせ、どっちが偉いとかどっちが賢いとか、どっちが稼ぐかとか、そういうことでしょ? 僕みたいな一般人には、そんなの偉い人同士の高貴な言い争いにしか見えないよ」
「え……」


 足を投げ出し、それを楽しげにプラプラと動かしている冬季くんの言葉に、俺は絶句する。

 これまで悩んできた親族と俺との明確な違いを一蹴された次の瞬間、無邪気な彼からさらに追い討ちをかけられた。

 ……とても良い意味で。


「どっちも痛みを治してくれる〝お医者さん〟じゃない? 何が違うの?」
「────っ!」



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