僕らのプライオリティ

須藤慎弥

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6.疑惑は

・・・2

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 やはり冬季くんは、俺を精神的に甘やかしている。

 酔いが醒めたと言い張って医院に戻ろうと上着を羽織ったのだが、「帰るつもり?」と鋭い視線で咎められた。

 確かに、意識がハッキリしていようが飲酒運転はよくない。ほんの十五分のドライブだからとたかを括って、巷の悲しいニュースのように何かあったら目も当てられない。

 だが俺は今日、いつもみたく寝落ちしていないのだ。おまけに意識は冴え渡り、褒めちぎられたことによって挙動不審になっている。


「りっくん、眠れないなら膝枕しようか?」
「えっ……いや、そんな……いえ、ご迷惑でしょうから……」


 こんなお伺いを立てられ、激しく狼狽える二十九歳の独身男。

 「いやいや……」と小さく首を振りながら席を立つ俺の姿は、冬季くんの目にどう映ったのだろう。

 酔っ払って気が大きくなっている時はいとも簡単に出来ていたことが、素面ではこんなにも難しい。というか気恥ずかしい。

 気紛れにキッチンで二つの空き缶をすすいでいると、冬季くんがそばにやって来た。


「今日はどこで寝るの? ソファで寝ちゃダメだよ?」
「…………」


 ……つまりそれは、ベッドで寝ろということか。

 じゃあ冬季くんはどこで寝るの? ベッドは冬季くんに使ってもらいたいから、俺は院長室にソファベッドを新調したのだが……。


「提案なんだけど……りっくん、僕と一緒に寝るのは嫌?」
「えっ!?」


 そ、そんなことは考えもしていなかった……!

 狼狽が限界を越え、洗っていた缶をシンクに落とした。転がった缶は蛇口から出る水の真下に転がり、パシャッと水しぶきを上げるや冬季くんのシャツを盛大に濡らしてしまう。


「わっ……冷た……っ!」
「あぁっ、すみません! 早くバスルームに……!」
「うんっ」


 頷いた冬季くんは、唐突に真冬の水を浴びてさぞかし冷えたのだろう。急いでバスルームに駆けて行った。

 飛び散った水の後始末をし、俺は冬季くんのためにシャツと下着の替えを持って行く。磨りガラス越しに冬季くんに声を掛けようとしたのだが、狼狽を引きずっていた俺は黙ってリビングへと戻った。

 そこではたと気付く。

 いよいよ十二月も半ばとなり、一日を通して一段と冷え込みも厳しくなってきた。あの悩ましい格好のままでは、いつ冬季くんが風邪を引いてしまうか分からない。

 無欲な冬季くんに何か欲しいものはないかと尋ねたところで「何も要らない」と即答されるのだから、俺が気付いてあげなければいけなかった。

 はじめは目の毒だとあえて直視するのを避けていたが、いつしかあの姿で部屋をウロウロする冬季くんが当たり前になり、心のどこかで目の保養だと鼻の下を伸ばしている節はなかったか。

 ……温かな部屋着を用意しよう。出来るだけ早めに。


「し、しかし驚いた……」


 部屋着についての結論が出ると、すぐさま狼狽の種が脳裏に蘇る。

 冬季くんは、自分ではなく俺が嫌がるのではないかという懸念を抱きつつ、あのような提案を持ちかけてきた。

 こういう場合、どう答えるのが正解なのだろう。

 気を遣わせてしまうくらいなら、タクシーで医院に戻るという手もある。ただそうすると、冬季くんが「僕と寝るのは嫌なんだ」と落ち込むかもしれない。


「そんなことはない、ないぞ……っ」


 全然、嫌じゃない。むしろ俺の方が「冬季くんは嫌じゃないんですか」と問いたいくらいだ。

 そう、まったく嫌ではないのだが、何だかタブーを冒すようで怖じ気付いているというのが本音だ。

 冬季くんのことは〝歳の離れた友人〟と位置付けているのだから、一緒に寝ることくらい別に何もおかしくないはず……。


「……そうだ。何もおかしいことなんかない。動揺してるだなんて知られたら逆に警戒されて気持ち悪がられる。冷静にならないと、冷静に……。大人の余裕というやつを褒めてもらったばかりだから大丈夫……」
「何をブツブツ言ってんの、りっくん」
「…………っ」


 念仏のように唱えていた俺の背後から、ぴょこんと冬季くんの顔がいきなり現れた。

 口から心臓が飛び出るかと思った。


「冬季くん……!」
「着替え用意してくれてありがとう」
「あ、はい……いえ、……はい」


 なんだろう、この緊張感は。

 冬季くんの可愛らしい笑顔は見慣れたはずなのに、やけに心が落ち着かない。

 これは先日、俺が例の〝お兄さん〟に無性に苛立ち、冬季くんをあのコンビニに近付けさせぬよう手を打った時と似ている。

 仕事の合間に私用で院長室にこもったことなど初めてだったが、動かずにはいられなかった。

 冬季くんが〝お兄さん〟に懐いてしまったら、俺は用無しになる。良からぬ入れ知恵で早々に出て行く算段をつけられてしまったら、彼を引き留める明確な理由が無い俺は甘んじて「バイバイ」する羽目になる──。

 そんなこと、俺は少しも望んでいない。冬季くんとはまだ「バイバイ」出来ない。

 身勝手な俺の行動は、冬季くんの心を自傷行為寸前まで追い込んでしまって可哀想ではあったけれど、狙い通りアルバイト探しに消極的になっているようなので、これからも俺の出る幕はある。


「……で、一緒に寝るの? 寝ないの?」
「あっ、そのことなんですが……」


 とはいえ、それとこれとは話が別だ。

 悩ましい格好で俺の前に立つ冬季くんを改めてまじまじと見ると、やはり心がザワザワして落ち着かず、ふいと目を逸らしてしまう。


「僕そんなに寝相は悪くないと思うよ。でもりっくんが嫌だって言うなら、僕はソファでも床でもどこでもいいし、一晩出とけって言うならそうするし……」
「い、いいえ! 寝ましょう! 一緒に!」



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