僕らのプライオリティ

須藤慎弥

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5.運命のいたずらで

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 僕はりっくんと出会ってから、人間らしい感情や当たり前の暮らしを教えてもらってる気がする。

 至れり尽くせりな日々を過ごさせてくれて、心がぽかぽかする言葉を毎日言ってくれて、時間通りにお家に帰ってくる彼氏なんか今までいなかった。

 りっくんは、僕がむかしの話をする前から下心抜きで優しかったし、気配りもハンパじゃなかったもん。

 リスカやODをしてないかの確認とか、僕がお家に一人で居る間の心配とか、外は変な人だらけだからって過保護な外出禁止命令とか、帰る前の連絡とか……僕にとってりっくんは理想的なくらい満点な男。

 不安に思うことも、どうしようもない気持ちになることもない平穏な日々が、僕にはどれだけ簡単で難しいことだったか。

 どうせ僕なんて要らない子。……そもそも要らない命。

 ずっとずっとそう思わされて生きてきたんだから、りっくんみたいな人は衝撃の連続なんだ。


「これで良し、と。……りっくーん、書けたよー!」


 緊張気味に写る僕の証明写真をペタッと貼って、りっくんに教わった通りに書いた履歴書が完成した。

 生まれて初めて撮った証明写真。二回撮り直して、三回目でやっとりっくんお墨付きのものが撮れた。

 履歴書の資格や免許の欄が空欄だけど、その代わり志望動機のところをギッシリ埋めたらいいよって教えてくれたから、何回も下書きしてたくさん書いた。

 早くりっくんに見てもらいたくて、僕は履歴書を手に立ち上がる。


「まだ電話してるのかな」


 仕事の電話をしてきます、と言ってベッドルームに行って結構経つ。

 僕が志望動機を捻り出したと同時に着信があったから、一時間くらいはそこにこもってることになる。


「あ……まだ話してるっぽい……」


 扉の向こうからは、普段あんまり聞かないようなりっくんの外行きの声が聞こえた。しかも何だか穏やかじゃない雰囲気。能天気に「書けたよー!」なんて叫んじゃいけなかった。

 〝弁護士を通して〟とか、〝ごねているのは
向こう〟とか、所々でそんな言葉が漏れ聞こえてきて、僕は足音を立てないように忍び足でリビングに戻る。


「もしかして……奥さんと離婚するつもりなのかな……?」


 ほんのちょっとしか聞いてないのに、僕の妄想は勝手に膨らんでいた。

 弁護士を通して離婚したいけど、奥さんがごねている……きっとそれで、りっくんは困ってるんだ。

 それならすべての合点がいく。

 お酒を飲んで忘れたいと思うくらい奥さんのことがストレスなら、早く別れちゃえばいいのに。……なんてね。

 僕めちゃくちゃイヤな奴だ。

 でもさ、りっくんの気持ちを考えるとそう思っちゃうのも仕方無くない?

 別れたくないってごねる前に、りっくんの心が離れる前に奥さんだって何か出来ることがあったんじゃないの?

 相手にばっか求め続けて、何も返そうとしなかった……ていうか、そんなことを考えもしなかった僕がいい例だよ。

 求めるだけじゃ鬱陶しがられる。

 何をしたら相手が喜ぶか、嫌な気持ちにならないかを考えることって、すごく重要なんだよね。

 りっくんのおかげで変われそうな僕は、こんな偉そうなことを思いながら一丁前に腕を組んでムムッと顔を顰めていた。


「長電話してしまってすみません、冬季くん。履歴書、書けましたか?」


 通話が終わったのか、ベッドルームから出て来たりっくんが僕の顔を見て開口一番謝ってきた。

 心なしか疲れてるように見えるけど、少しだけ立ち聞きしてしまった後ろめたさがあった僕は何も言えず、隣に腰掛けたりっくんに履歴書を手渡した。


「う、うん。渾身の出来だよ」
「ふふっ、そうなんですね。見せてください」


 りっくんはそう言うと、少し長めの前髪を耳にかけて、僕の拙い字が並ぶ履歴書を熱心に読み始めた。

 名前はむかしからの僕の本名で、住所はりっくんのセカンドハウスであるココ。学校名も本当で、りっくんがそれを知って「隣町ですね」と言って驚き合ったのが二時間前のことだ。

 あとは思い付くだけ埋めた志望動機も、背伸びしないで本心を書いた。

 これでりっくんからOKが出るかどうか。ドキドキの瞬間だ。

 別にりっくんに面接してもらうわけじゃないのに、理知的な横顔がまさに面接官みたいで緊張しちゃうよ。

 「うん」と静かに頷いたりっくんが顔を上げるまで、僕はなぜかこっそり息を止めていた。


「仕事をしたいという熱意がとてもよく伝わります。素直な文章がいいですね。〝接客を通してコミュニケーションがうまく出来るようになりたいです〟、……ここにグッときました」
「えへへ……っ、そうかな? もしりっくんがコンビニの店長だったら、この履歴書で僕のこと雇いたいって思う?」
「お、俺ですか? そうですね……俺なら確実に雇いますよ。それ以前に、冬季くんが院長室に入って来た時点で採用ですけどね」
「あはは……っ、それってコネ入社っていうんじゃ……え?」


 堂々とそれを豪語したりっくんが可笑しくて、手を叩いて笑っていた僕の動きがピタリと止まる。


「待って、なんで院長室なの? 僕が面接に行くのコンビニだよ? りっくんの言い方って病院みたいじゃない?」
「あ、えっ? 俺、院長室だなんて言いましたっ?」
「言ったよ、ハッキリ」
「な、な、なんでそんなこと言ったんでしょうね? おかしいですよね。ちょっと歯磨きしてきます」
「……ん?」


 りっくんは乾いた笑いを漏らすと、僕に履歴書を返し、スッと立ち上がって一目散に洗面所に向かった。

 動揺してるのは分かったけど……それでなんで歯を磨きに行くの? 意味不明だ。

 りっくんってかなり天然なところがあるから、世の中に取り残されてる僕でさえたまに目が点になることがある。


「どういうことなんだろ……?」


 あんなにナチュラルに〝院長室〟って単語が出るのはおかしいし、なんだか……りっくんの秘密を垣間見たような疚しさが僕の心に残った。




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