僕らのプライオリティ

須藤慎弥

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3.名前の無い関係に

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 一つ分からないのは、なんであの時、りっくんは死のうとしたのか。

 人は見かけによらない。順風満帆そうに見えても、内側ではどんな悩みを抱えてるか分からない。職業も事情も話したくなさそうだったりっくんから、僕は何も聞き出すことが出来ずに与えてもらうばかり。

 昨日やっと、〝実家がお金持ち〟という情報を掴んだだけで、そんなのこの部屋に入れば何となく想像がつくことだもんな。


「あ、もう五分前じゃん! 支度しないと……っ」


 デジタル時計に急かされて、僕は大急ぎで支度を開始した。時間に正確なりっくんが九時に迎えに来るからだ。


「急げ急げ……っ」


 色んな場所で時間が分かると、これまで堕落しきっていた僕はそれだけで生活にハリが生まれた。

 睡眠薬を飲まなきゃ眠れなかった日々が嘘みたいに、ベッドに入るといつの間にか寝ちゃっていて、その眠りはものすごく深い。

 ごはんのあと、りっくんは少しだけ僕と世間話をして、お風呂に入ってからもう一つの家に帰る。りっくんの後ろについて玄関までの短い廊下を歩き、靴を履いて振り返ったと同時に言われることは、「独りになって余計なことを考えてしまうくらいなら、すぐにベッドに入って目を瞑ってください」だ。

 僕は毎回の見送りの度に、そんなことを言わせてしまうくらい不安そうな顔をしているらしい。

 半信半疑でりっくんの言う通りにしてみたら、今のところ見事に寝落ちすることが出来ている。

 僕が買い物に行っても駄菓子しか買わないと分かったりっくんは、甲斐甲斐しくお昼も夜もごはんを用意してくれて、好きな時にお風呂に入れて、好きな時間に清潔なベッドで眠ることの出来る快適な生活を提供してくれている。

 正直これって、規則正しい生活を送るニートじゃない? ……僕。


「良かった、乾いてる……!」


 寝室の隅で部屋干ししていた僕の一張羅が、りっくんと同じ匂いになった。

 急いで服を着替えて、家を飛び出す。預かったスペアキーで鍵を締めた瞬間、僕は今日のお出かけにウキウキしていることを初めて自覚した。


『買い物のあとは、海沿いをお散歩しましょう。明日は快晴のようですから、遊覧船に乗るのもいいですね。水平線に沈む夕陽を眺めましょうか』
『遊覧船って何?』
『知らないのであれば、明日のお楽しみということで』


 僕が実はスマホも持っていないことを、りっくんはまだ知らない。検索しないで、と言外に言われてしまったけど、僕には知る術が無いからホントに〝お楽しみ〟にするしかなくて。

 自覚すると、急に胸がドキドキしてきた。誰かと一緒のお買い物も、海沿いのお散歩も、遊覧船も、どれも初めてだから。

 予定があるっていい。

 マンションの下の駐車場だけど、時間を決めて待ち合わせなんてすっごくワクワクする。

 エントランスで立ち止まった僕は、駐車場までどうやって行くのか分からなくて辺りを見回した。

 多分りっくんは待ち合わせの時間より早く来ている気がしたから、急がなきゃと焦っていたんだけど……。


「冬季くん」
「あっ、おはよう! りっくん!」


 律儀なりっくんらしく、車を降りてエントランスまで迎えに来てくれていた。僕はワクワクが抑えきれなくて、天井の高いエントランスに響き渡るほどの大声で挨拶をする。

 反響した自分の声に驚いていると、僕に手招きしたりっくんがクスクス笑った。


「元気ですね。しっかり眠れた証拠かな?」
「ごめん……一人ではしゃいじゃって。ガキみたいだよね」
「ふふっ、いい事です。楽しみにしてくれていたんですね」
「……うん」


 家を出るまでは実感が湧かなかったけど、やっぱり時間より早めに来ていたりっくんを見ちゃうと抑えきれなかった。

 ……恥ずかしいな。そんなことないもん、と強がることも出来たのに、優雅な微笑を向けられると嘘も吐けない。

 出会った日以来三日ぶりの助手席に座って、シートベルトを嵌めながら僕は今さらな遠慮を見せた。


「りっくんは良かったの? せっかくの休みを潰しちゃって」
「構いませんよ。俺がしたくてしていることですから。遠慮はいりません」
「でも……」
「さ、行きましょう。お買い物の前に、まずは朝食です」


 りっくんは僕の遠慮を一蹴するや、車を発進させた。

 車内には朝のラジオが流れている。お出かけ日和な快晴の下、平日で全然混んでない道路をぐんぐん進んでいく。

 ……ホントに良かったのかな。

 りっくん、無理してないかな。

 日曜が仕事だったから今日が代わりのお休みなのか聞いても、そういうわけじゃないって笑ってた。

 平日に休みが取れる仕事って何だろう。

 いつも白のカッターシャツと紺色のスラックス姿ではあるけど、スーツを着てるわけでもないから普通のサラリーマンじゃないよな。

 実家がお金持ちだからってもう一つ家があるというのも謎だし……って、もしかして……。


「いや、それはさすがに無い無い」


 窓の外を眺めるフリをして、こっそり頭を振る。りっくんは運転に集中していて、僕が良からぬ憶測をひらめいてしまったことに気付いてない。

 だって怪しくない?

 僕が住まわせてもらってるあの部屋は、必要最低限の家具家電しか無いんだよ。しかもどれも高そうなやつ。

 初日に見ちゃった冷蔵庫の中はアルコールで埋め尽くされてたし、リビングにはテーブルも無い。だから僕たちはお弁当を膝に乗せて並んで食べてるんだ。

 洗面所もバスルームも寝室もすっごく綺麗で、使用感が無いとは言わないけど少なくとも全然汚れてない。

 もしかして……の疑惑が膨らむ。

 りっくんはもしや、既婚者……?

 あの家こそがセカンドハウスだったりして?

 色々語りたがらないのも、夜は必ずもう一つの家に帰るのも、あの家にあんまり生活感が無いのも、それだと全部説明がつくじゃん。

 シートベルトをギュッと握った僕は、勝手に繰り広げた妄想で頭がいっぱいになった。



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