僕らのプライオリティ

須藤慎弥

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2.出会った二人は

・・・2

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 父の言いなりにはならないと、その反発心だけで歯科業界に飛び込んだけれど、実に奥の深い分野だ。

 患者との関係はどの科よりも密接で、むしろそうでなくてはならないと学んだ。各々で培ったスキルが豊富なスタッフさんも、俺が言うまでもなく患者との交流を大事にしてくれている。

 歯科に至っては、たとえ初診患者であっても来院時にオーラルケアの必要性を予め説明するため、治療が終わればおしまい、というわけにはいかないのだ。

 一度の治療時間、また診療点数を考えても、歯科医師一人で経営を続けていけるほど甘い世界ではない。患者と医院がどれだけ長い付き合いが出来るか、それは往々にして歯科医師の腕とスタッフの愛想の良さで決まると言っていい。

 今や歯科医院の数はコンビニよりも多いとされ、患者側が医院を選ぶ時代になった。だからこそ、丁寧な診療を心掛けている。

 だが、父はそれを毎度鬼の首を取ったように言う。親戚の集まりに参加出来ない旨を伝えただけで、電話越しにも分かるほどの嘲笑に「貧乏暇なし」という一言を添えられる。

 やはりカチンとはくる。腹が立つけれど、その程度の嫌味はもはや痛くも痒くもなくなった。

 今俺は、仕事がとても楽しい。この道を選んで正解だったと、日々周りに感謝することが出来ている。

 非情な話、最も権力のある父が居なくなれば周囲の統制は取れなくなるだろう。おそらく跡継ぎだ何だで大揉めするに違いない。

 その時俺は、無関係でいられる。

 妾の子だからと、はなから良い扱いはされていなかったし、むしろ実母のせいで産まれた時から憎まれていると言っても過言ではなかった。

 俺もゆくゆくは母と同じく縁切りという結末になるだろうが、未だよく分からないのは、道の逸れた俺を実子として成宮の籍に残していること。

 どういう魂胆なのか知らないが、甚だ疑問だ。いつか巨大な難癖を付けてくるのではと思うと、深酒したくもなる。


「ふぅ……」


 とはいえ俺は、帰宅したらまずは風呂に入る。冷えたアルコールがパンパンに詰まった冷蔵庫に直行、なんてことは一度もない。

 風呂上がりの空きっ腹に飲むのが一番美味く、酔いの回るスピードが桁違いであることを知っているので、その日の疲れを癒やしてからが最適なのだ。

 スタッフの一人、二児の母である安達さんにも飲み過ぎないでと言われてしまったことだし、明日の診療に差し支えない程度にしておこう。

 考えたくない事には蓋をして、湯を張る間に歯磨きをする。口腔内を清潔にし、頭を真っ白にしてから湯船に浸かる瞬間の快適さったらない。

 はやる気持ちを抑えつつ、腰にタオルを巻いていそいそとバスルームを出た。つまみは何かあったかな、と楽しい考え事をしていたその時、上着のポケットから着信音が鳴り響いていた。

 リラックスタイムを邪魔されても、元来真面目な俺は無視はしない。

 ただし、表示された文字を見て何秒かは出るのを躊躇した。「出たくないな」と呟くも、指は勝手に画面をタップする。


「……はい」
『そろそろ潰れるだろ』


 ……第一声が嫌味である。いくら憎たらしくても、そろそろ俺でウサを晴らすのはやめてほしいんだけどな。


「医院のことを仰っているなら、潰れる予定はありません。……なんですか、いきなり」
『フンッ、つまらんな。いいから今すぐ本宅へ帰れ』
「はい? なぜですか」
『分かったな、今すぐだ』


 言いたい事だけ言って、父は一方的に通話を切った。

 父は、彼の周りに居るようなイエスマンじゃない俺のことがとにかく気に食わないのだ。母によく似ているらしいこの顔と、右向け右でない態度も気に触っている。

 昔から変わらない横暴さは俺にだけ向けられているわけではないけれど、そうは言っても俺への詰り方はどの家族よりも郡を抜いてひどい。


「今すぐって……」


 半裸で立ち尽くしていた俺は、渋々リビングから洗面所に回れ右する羽目になった。

 髪を乾かし、服を着て、車に逆戻り。

 就業時間を知られているがゆえに、この時間に電話をしてきたということは、何か急用でもあるのだろう。

 憂鬱だが、帰れと言われて帰らなければ、父の性格上しつこく俺の電話を鳴らし続ける。そして留守番電話サービスをフル活用して暴言と嫌味の数々をそれに吹き込むため、後々の面倒くささを考えると行動しておけるうちに動いた方が、俺の心の平穏のためにも得策だ。



 まさか父からのこの一本の電話が人生を変えるものになるなど、このときの俺は知る由もなかった。




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