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1.「死ね」と言われて
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しおりを挟む僕に上着を預けたせいで、男は若干寒そうにしていた。腕を組んで誤魔化してるけど、しっかり両肩が上がっている。
「君も死ぬつもりでここへ?」
「えっ、あー……」
問われた僕は、当初の目的を忘れかけていたことに気付く。
そうだった。僕も、死ぬつもりだったんだ。
頼まれてもいないのに男を助けた手前、信憑性ゼロだからあんまり頷きたくはないんだけど……さすがにもう無言は貫けない。
「……うん」
「そうか……」
頷いた僕を、男は神妙な顔で見返してきた。
うっかり見惚れてしまいそうで咄嗟に視線を逸らした僕は、男の向こう側に生い茂る、闇に包まれた林に目をやる。
そうすると、僕の視線が背後にあることに気付いた男もつられて振り返っていた。
急にここが不気味に感じ始めたらしい。
我にかえると、途端に辺りが気味悪く思えてくる。山風に煽られた葉っぱが、僕たちを揶揄うようにカサカサ、カサカサ、揺れまくる。鬱蒼とした森の奥は、鳥目じゃなくても暗くて深いのは明らかで、不気味と形容するしかなくなってくる。
堅かった決意が少しずつ薄らいで、しまいにはこの期に及んで〝死にたくない〟と思ってしまう。
──という一連の流れを、僕もついさっき経験したから分かること。
暗闇を見つめながら、不安気な表情で男が徐々に僕に寄り添ってくる。
一度薄気味悪さを覚えた脳は、そう簡単には切り替わらない。なんたって一文無し・宿無しな僕が、すでにその気を削がれている。
このあとの事なんか、考えられなかった。
「……お兄さん、まだ死ぬ気ある?」
オバケさん改め〝お兄さん〟呼びに変えて、出来るだけ驚かさないように静かに聞いてみる。
お兄さんはこんなシチュエーションにもかかわらず、見ようによっては優雅に首を振った。その顔は、苦笑に満ちていたけれど。
「いや……もう怖くなっちゃいました。勢いって大事ですよね」
「……分かる」
同じ目的でこの場に居る者同士、その辺の意思疎通は早かった。
勢いは大事……ってことは、お兄さんも僕と一緒で〝衝動的〟にここへ来たんだ。
どこからどう見ても人生に行き詰まるような見た目はしていないお兄さんだけれど、その人にはその人なりの悩みがあって、過去がある。
派手な髪色とゴシック寄りの服装、耳いっぱいのピアス、今時のナリをした僕の方こそ、どこからどう見ても悩みなんて無さそうな見た目だ。
そんな僕は、小さい頃から何回も誰かに手を伸ばして、払いのけられた。
それでも諦めたくなくて。温めてほしくて。構ってほしくて。愛してほしくて。
でもその方法が、分からなくて。
何もかもうまくいかなくて……ここに来た。
「とりあえず、場所を変えませんか? ここは冷えます。とても」
お兄さんが、僕の背中を擦りながら顔を覗き込んできた。まるでそんなことを考えつきもしないような瞳で、僕を見てくる。
……いいのかな。
お兄さんの決断に横槍を入れたのは、僕だ。
現実から逃げられなくしてしまったのは僕で、お兄さんがそれを望んでいなかったとしたらすごく責任を感じる。
「……ほんとにいいの?」
綺麗な二重の瞳を見つめて、僕はお兄さんに最終確認をした。お兄さんの選択を変えさせたのは僕だから。
こんなこと、言えた義理じゃないんだけど。
お兄さんは少しだけ黙り込んだ。
けれどすぐに顔を上げて、こんなことを言った。
「命を助けていただいたので、お茶の一杯じゃ足りない気はしています」
「ぷっ……」
律儀な回答に、思わず笑ってしまった。
生きるか死ぬかの瀬戸際にいた人が、まさかお茶をご馳走する気でいたなんて面白すぎる。
僕は助けようと思って助けたわけじゃない。
何かに背中を押された。それは今考えても、とても大きな力だった。
四cmの厚底ブーツで咄嗟に駆けて、リスカ(リストカット)と根性焼きの痕が残る左手を必死に伸ばしていた。
〝死んじゃダメ──〟
本当に、自分のことを棚に上げている。
早々と僕の背中を押したお兄さんに連れられてる間、こんなに深くまで歩いてきたんだって驚いた。
お兄さんは僕の手を引いて、舗装された山道を迷わず下る。またお互いがバカな真似をしないように、はぐれないように、ずっと手を握ってくれていて嬉しかった。
冷たい山風が、僕たちを追い返すように吹いていることにお兄さんもきっと気付いていたと思う。
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