僕らのプライオリティ

須藤慎弥

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1.「死ね」と言われて

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 雰囲気もプラスされて、迫る何かがぶるっと身震いするほど怖かった。

 咄嗟に目を閉じてみるものの、暗闇から暗闇になってただ恐怖が増しただけ。


「うっ、……!」


 そのままじわじわ後退していると、落ちていた石ころを踏んで躓きそうになった。よろめいた体を支えようと、慌てて欄干に手を沿える。

 そこでふと気付いてしまった。

 いっその事、勢いついでに一気に落下してしまえば目的達成だったのに、意気地ナシな僕は目を開けるどころか橋の下を見ることさえ出来なかったんだ。

 それはなぜか。


「…………っ」


 そんなの決まってる。

 確実に何かがそこに居るからだ。

 不気味な気配にビビって後退ってる今、「今日が最期だ」とかそんな中二病みたいなことを言ってられなくなった。

 その正体が人だとしても、動物だとしても、こんな暗闇で遭遇したら悪い方にしか考えられないって。

 すなわち僕は、たった五分前の自棄を棚に上げて〝死にたくない〟と思ってしまっている怯者。


「……ひぃっ!?」


 さっきとは別の絶望感に見舞われた矢先、今度はカタンッと物音がした。

 ……居る。まだそこに居る。絶対居る……!

 こんなに焦らしてるって事は、〝何か〟は僕に襲いかかる瞬間を見定めてるのかもしれない。という事は、自分で身を投げなくても嫌でも終わりが来そうだ。

 死にたくないと思ったそばから危機に直面するなんて、僕はことごとく運に見放されている。


「……いや、でも……」


 ……でも、物音がしてから気配に動きがなくなった。

 こっちは襲われ待ちの状態で、それが怖くて一歩も動けやしない。だから、タイミングなんか計らずひと思いにやっちゃってほしい。むしろこの時間が一番怖い。


「あ、……」


 ちょっと待って。

 なんで僕は、〝何か〟を人か動物だって決めつけてるんだ。そこに居るのは、もしかしたら見えちゃいけないものかもしれないじゃん。


「……いやウソでしょ……っ?」


 それはそれで怖い……!

 冷えきった体をビクビク縮ませて、独り言がだんだんと多くなる。

 ほんの十秒くらいの間に、欄干にしがみつきながら人生初なほど脳内が目まぐるしく働いた。

 気配の動向は分からない。

 相変わらず山風に揺られて葉っぱがカサカサ音を立てていて、橋の下からはヒーリングミュージックみたいなせせらぎが絶えず聞こえている状況。


「よし……っ」


 何かの正体を突き止めるため、僕は意を決した。

 恐る恐る半分だけ目を開いてみる。……けれど、ヤバイ。


「うわ、全然見えない……!」


 目を瞑ってたせいで、さっきよりもっと見えづらくなった。

 開いてようが閉じてようが変わらない視界に、鳥目の僕はいよいよパニックに陥りかける。

 何回もまばたきをした。

 こんなところで得体の知れないものに殺られるくらいなら、そこに居るのが非科学的な何かなら……最期にそいつを拝んでやろうと必死で目を凝らす。

 すると数秒後、何かの正体が薄っすらと見えた。


「…………っ」


 人の形をしている。そしてあれは、かの有名な白いワンピースにロングヘアーの女性ではなく、おそらく男性。……の、オバケ。


 ──あぁ、とうとう僕にも見えちゃった。


 実際に拝んでみて分かった。

 ドラマとか映画でみんな目玉ひん剥いて叫んでたのは、作りものだからなんだ。

 現実は違う。逆に冷静になった。

 足が竦んで動けない、とも言う。

 慣れてきた視界の先。僕と対象の間隔は数メートル程度かと思いきや、もう少し離れていた。

 それにしても……立体的だ。

 見るからに生気の無い、半透明でモノクロなソレを想像していただけに、本物がまさかこんなに人っぽいものだとは意外だ。

 ヤツは僕に気付いていないのか、どこか悲しげに橋の下を一心に見つめている。

 もしかして、あの人もここで命を絶った……?

 この世に何らかの未練を残して、成仏できないまま彷徨い続けてるのか……。

 僕もあの冷たい水に身を投げたら、あのオバケと同じように非科学的なものに姿を変えて、現実から逃れられるかもしれない。


「…………」


 妙な結論に達した。

 僕も逝こう。あっちの世界に。

 あのオバケは僕にまったく気付く様子が無いから、自分で行動を起こさなきゃいけない。

 オバケが見つめている水面を、僕も見下ろした。改めて見ると、かなりの高さがある。水の流れも穏やかとは言いがたい。

 僕はそっと、もう一度オバケの方を向いた。

 あなたもここから落ちたんですよね。どれくらい深かったですか。落下した時、痛かったですか。溺れるのはやっぱり苦しかったですか。
 いったいなぜ、死のうと思ったんですか。

 心の中で問いかけたって、相手はもう意思を失ってるんだからアドバイスなんか返ってくるわけがなかった。

 僕とオバケは、十数メートル間隔で同じ水面を見て黄昏れている。なんともシュールで滑稽な光景だ。

 それからどれくらい時間が経ったのか、あとは僕の落下待ちという時。ふとオバケに動きがあった。

 なんとオバケが、欄干に片足を乗せていたんだ。


「ちょっ……」


 僕はその時、誰かに背中を押された気がした。

 そんなことをしても、オバケにとってはありがた迷惑かもしれないと頭の中では彼を肯定し、そして盛大に自分のことを棚に上げながら、全速力で駆けていた。


「オバケさん!! 死んじゃダメだ!」
「えっ、……うわ、っ……!」


 オバケの腕を掴んでグイッと引っ張ると、前のめりなっていた体がぐらりと僕の方へ傾いた。

 立体的なリアルオバケに「死んじゃダメ」なんて。そこで自分も命を絶とうとしていたくせに。

 誰が聞いても可笑しな話だ。




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