僕らのプライオリティ

須藤慎弥

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1.「死ね」と言われて

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 たまに甘い言葉を囁いて僕のご機嫌取りをする亮は、決まって最後に「挿れさせて」と言う。

 僕の性対象が男性だとしても、〝挿入〟はハードルが高い。自分での開発止まりな僕は、つまりセックス未経験者。

 それを承知で付き合うと言ってくれた男達はみんな、早々に僕を裏切った。ことごとく……裏切り続けた。


「なんだよ、今にも死にそうなツラして。たかが浮気だろ? こうして帰ってきてんだからグズグズ言うなって」


 小さな輪っかピアスのついた唇が、片方だけ上がった。その絶妙に不快な笑顔で、亮が肩を抱いてくる。分かりきったセリフを控えたご機嫌取りが、始まった。

 僕の返事は決まっていて、そうしたらまた不毛なケンカになる。そのあとイラついた亮は僕を置き去りにして外泊、残された僕はODの末にリストカット……。

 さすがにもう、このループは飽きた。

 僕のことが要らないなら、はっきりそう言えばいいのに。

 どうせ僕なんか、みんな、僕のことなんか……。


「もういい」
「お、死ぬ死ぬ詐欺始まったか」
「……もういい。死ぬ。詐欺じゃないよ。僕なんか……生きてたってしょうがないし」
「はいはい、そうですか」


 ぞんざいな返事で僕をあしらう亮に、見せつけてやろうと思った。

 家が無い僕は、半年前にナンパされて以来ここに住まわせてもらってるけど、気まぐれでしか相手にされないからずっと寂しいままだ。

 気休めの愛情でもいい。でもそれが、その時だけでも自分に向けられていないと気が済まない。

 すぐに不安にさせる亮が悪い。


「今度は本気だよ」
「……あっそ。勝手にすれば」


 毎度大した反応は返ってこないのに、「今日こそ死ぬから」なんてうそぶくのはもう何度目だろう。

 そんな勇気も無いくせに、大口叩いて構ってもらおうとする無意識下での突発的衝動。

 愛してくれない男にみっともなく依存して、何度も何度も傷付いて、最終的には捨てられるくらいなら……今度こそ。

 僕が心配した分だけ、不安にさせた分だけ、亮に分からせてやりたい。

 おもむろにバスルームに向かった僕は、ポケットから常備しているカッターを取り出した。


 いつもより深く切って、昨日の晩に溜めた浴槽の水に浸ければ……大量出血する。そうしたらさすがに焦って、心配してくれる……よね?

 もう浮気なんかしないって、「冬季だけだよ」って……言ってくれるよね?


 この期に及んで可笑しな期待を持った僕は、呼吸を乱しながらキリキリキリ……と刃を出していく。さながらサスペンスドラマの犯人みたいに、ゆっくりゆっくりと。

 そしてそれを、いくつも名残りがある左手首に押し当てる。よく切れる刃はひどく鋭利で危険そうなのに、根性焼きほどは熱くも痛くない。

 全然……痛くない。


「……僕だけにして、なんて言わないけど……僕を……裏切らないで……」


 頭が少しずつパニック状態に入っていく。

 薄暗い浴室内でステンレスの刃を見る時は、いつも興奮した。押し当ててスライドさせた皮膚から溢れ出る血を見ると、すごく安心する。

 呟いた言葉は明らかに矛盾していたけれど、そのときの僕は正常な判断が出来ていなくて。

 誰にも期待しないと堅く決めていながら、まだどこかで他人に望みをかけている。


「…………っ」


 僕がリストカットをしたら、亮はいつも呆れながらも手当てしてくれるから、今日もきっと心配してくれる。しょうがないなって顔で、僕だけを見ていてくれる。

 ──でも……少しだけ怖い。

 僕は今日も、死にきれないかもしれない。

 肌に食い込んだカッターの刃を見つめて支離滅裂なことを呟く瞬間、生への執着によって死に躊躇する瞬間、無駄な期待を抱いた自分の浅ましさに絶望する。

 血を見て落ち着いてるような、生ぬるい場面じゃない。


「はぁ……」


 みっともなく躊躇していると、いかにも面倒くさそうな溜め息が聞こえた。

 背後に亮が立った気配を感じて、僕はすかさずカッターの刃先を斜めにし、皮膚にめり込ませる。

 その時だ。


「そんなに死にたいなら死ねば?」
「え……?」


 亮は、僕の醜態を黙って見守っていてはくれなかった。

 振り返って見上げると、腕を組んだ亮は薄ら笑いを浮かべていて、ついに本気で僕を死へとそそのかした。


「死ねばいいじゃん。いい加減ウゼェんだよ。半年もお前のメンヘラに付き合ってやったんだ。どうせなら俺に感謝しながら死ね」
「…………」


 頭に上っていた熱い血が、激流を下るようなスピードで急速に冷えてゆく。

 右手から滑り落ちたカッターが、カシャンと音を立てた。

 冷たい目だった。

 冷たい声だった。

 あまりにも残酷な言葉だった。

 突き刺さった刃先が、皮膚をほんの少し切っていた。そこから湧いた鮮血は、到底死ねるような量とは言えず、小さく膨れただけに終わった。

 相手を困らせると分かっていて簡単に左手首を傷付けるような僕を、これまでの彼氏達も、遥か昔の「ママ」と「パパ」も鬱陶しがっていた。



 いざという時に死にきれもしない僕が……何もかも悪いの。

 〝冬季を見ているだけでイライラする〟……そう言われて、僕はどうすればよかったの。




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