必然ラヴァーズ

須藤慎弥

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 気の重い時間がやってきた。

 麗々のマネージャーである筒井に、二十時頃なら、と言ってしまった手前、やはりスマホを確認する間もなく事務所へと車を走らせなければならなかった。

 成田も同席してくれているのが救いだ。

 事務所ビル五階の応接間で、聖南は成田と共にその時を待っていると二十時ジャストに扉がノックされ、マネージャーの筒井と麗々が神妙に現れた。


『やべぇ、……怒り思い出しちまうな』


 やって来た麗々はほぼノーメイク状態であったが、その瞬間、昨日の事がまざまざと蘇ってきて力が入ってしまい拳をグッと握った。


「セナさん、本当にすみませんでした……。  セナさんから動くなって何度も言われたのに、私……っ」
「本当に申し訳ございませんでした!!」


 入ってくるなり、二人揃って深々と頭を下げた。

 その様子を冷めた視線で見詰めている聖南よりも、他事務所とのトラブルを避けたい成田の方があたふたし始めた。


「あ、もうセナも怒ってないと言ってますから、そんなに謝らないで結構ですよ!  ここまでご足労頂いて、感謝します。  なっ、セナ!  もういいよな!」


 聖南はこれまで仕事上で感情をあらわにした事がないため、こんな事態になるのが初めてな成田もペコペコと頭を下げている。

 社会人としての礼儀なのか分からないが、そんな成田や筒井の様子から、聖南はやはり葉璃の言っていた事は間違っていなかったと実感した。

 大きな事務所の看板、稼ぎ頭として長く君臨する聖南のたった一つの行動で、葉璃の言う「一大事」が生まれてしまったようだ。


「もう分かったから頭上げて下さい。  マジで充分なんで。  電話でも言ったっすけど、俺も大人げなかったから」
「ありがとうございます……!  セナさんがそう言ってくださるだけで救われます!」


 筒井は泣き出しそうなほど顔をくしゃくしゃにして感謝を述べた。 ここで本当に怒りをなくしてやらなければ、彼の会社での立場を聖南が潰してしまう事になりかねない。

 ───ただ一つ。 麗々の事はやはり許せそうにない。

 入室と同時に麗々が取った些細な動きを見逃さなかった聖南は、思い切って麗々と話をしようと決め、成田を呼んで耳打ちした。


「ちょっと麗々と二人にしてもらってい?  筒井さん連れて五分くらい出てて」
「え!?」
「いや、別に怒ったりしねぇから大丈夫だって。  話するだけ。  ピッタリ五分後にまた入ってきて」
「わ、分かった……」


 一瞬ギョッとなった成田も、聖南の落ち着いた様子を信じて筒井を連れて応接間を出て行く。

 戸惑う麗々を対面に座るよう促すと、聖南は足を組んで一つ息を吐いた。


『化粧ってすげーな。  ……目鼻立ちはいいけど、ぜんぶ化粧だ』


 ジッと見詰めてくる麗々を見て、聖南は失礼にもこんな事を思っていた。


「あ、あの……セナさん、ごめんなさい。  あんなに怒るとは思わなくて……本当に……」


 目の前の麗々は、今日も抜群のプロポーションを見せ付けてくるかのように、大きなスリットの入ったスリムフィットのワンピース姿だ。

 そんなものにもはや何の魅力も感じない聖南は、少し身を乗り出してフッと笑ってやる。


「あー……もう昨日の事は忘れてくれる?  俺付き合ってる子いるから、ああいうのマジで困んだよ。  だからキレちゃったんだけど」
「そう、なんですね…… もしかしてそうなのかなって思いは、ありましたけど……。  どんな方なんですか?  羨ましいな、セナさんとお付き合いできるなんて」
「羨ましいって……」
「気付いてたでしょう?  私、セナさんの事が好きです。  何度もお誘いしたけど、素っ気ないから……つい昨日はチャンスだと思っちゃって。  二股でも構わないです、私と……その……」


 謝罪に来たはずの麗々が、聖南を前にしてその思いの丈を伝えてきた。

 スキャンダルが明るみに出る前のように、遠回しでの抱いてほしいとの催促に聖南は辟易した。

 足を組み換えながら麗々の二の句を待っていると、彼女はゆっくり立ち上がって聖南の隣に腰掛けてきた。


「セナさん。  私とその彼女、どちらも楽しめると思ったらセナさんにも悪い話ではないと思いますよ。  面倒臭い女にはならないって、約束します」
「そ?  ……じゃあお願いしよっかな」
「ふふっ。  そう言ってくださると思っていました」


 聖南が乗ってやるような発言をすると、麗々はそっと聖南の太腿に手を掛けて笑顔を見せてきた。

 まだ二十歳そこそこであるはずの麗々はやたらと男を誘うことに慣れているようで、いつもこの調子で狙った獲物を美味しく頂いているのだろうと思うと寒気がする。

 聖南は麗々の手を払いのけると、静かに立ち上がった。


「……なんて言うわけねぇだろ」
「……セナさん?」
「今俺が言った事、録音してんだろ?  マスコミに流すなり何なり好きにしていいけどさ、謝罪に来た理由がそれだとしたらマジでお前の事干すぞ」
「…………っ!!」


 麗々は入室と同時に、ポケットに忍ばせているであろうボイスレコーダーのスイッチを押していたのだ。

 聖南のスキャンダルを撮ろうとしたのか、自分と付き合う事を強要するためにそれを仕込んだのかは分からないが、聖南はそのやり口が非常に汚くて気に入らず、虫酸が走っていた。


「お前が昨日やった事は恋人にももう話してる。  その上で俺はお前を許すって言ったんだ。  俺の事なんかどうとも思ってないだろ、そんな事すんだからなぁ?」
「え、いや……違います!  私は本当にセナさんと深い仲になりたくて!」
「て事はそれ材料に俺と寝ようとしてたって事? 逆効果だって分かんねぇ?  マジ引くんだけど」
「………………」
「こんな事言うとお前に逆ギレされて今度はそれ持ってマスコミに駆け込むんだろうけど、俺はそんなの痛くも痒くもねぇからな。でも、それが原因で恋人が傷付くような事になったら俺は許さねぇよ、絶対に。  この世界から干すどころじゃ済まさねぇ、それだけは覚悟しとけ」


 言い終わると、聖南は腕時計を見た。

 ソファで俯いている麗々の表情こそ窺えないものの、謝罪を受け入れようとした聖南の気持ちを踏みにじり、そして葉璃をも危険に晒そうとした事は、もはや誰に何を言われても許す事が出来ない。

 卑怯な手を使ってまで聖南と繋がろうとした麗々は、これを許してしまえばこの先も同じ事を繰り返す。


「あ、あ、あの……セナさん……っ」
「俺の名前を気安く呼ぶな」
「………………」
「大人しく謝罪に来ただけだったらお前も安泰だったのになぁ、残念。  あーあ。  カップル撮影断わんねぇって筒井さんにも言っちまったのに。  永遠に会う事はねぇじゃん」
「…………っ」


 ついに泣き出してしまった麗々の揺れる肩を見ながら、聖南は唇の端だけを上げて笑った。

 やっていい事と悪い事がある。

 葉璃に言われて心を入れ替えた以上は、気が重かったこの謝罪も受け入れようと聖南は冷静だったのだ。

 だが麗々の入室時の動きを見た瞬間、そんな冷静さはどこかへ行ってしまった。


『すげー事思い付くもんだなぁ』


 麗々の行動力のみに感心していると、五分が経過したようで成田と筒井が揃って入室してきた。

 泣いている麗々を見て、入ってきた二人はたった五分の間に何が起きたんだと驚愕したのは言うまでもない。



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