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「痛み落ち着いた?」
「……あ、……はい」
「葉璃もシャワー浴びてきていいよ。 着替えはいつものパーカー置いてあっから。 俺は甘いコーヒー用意しとく」
「……はい」
先程のあからさまな怒りを隠し、やたらと優しく葉璃に声を掛けたが、それが逆に疑念を生んだようでビクビクしたまま葉璃はシャワーを浴びに行った。
自分が小さい男だという事はどうする事も出来ない事実なので、聖南の恋人である自覚を葉璃に持ってもらうしか解決策がない。
挽きたてのコーヒーに牛乳と砂糖を加え、仕上げのバニラエッセンスを垂らして、葉璃が出てくるまで少し冷ます。
自身はすでにブラックのまま二杯目に突入していた。
「……ふぅ……」
シャワーを浴びて、コーヒーでも飲めば少しは気持ちも落ち着くかと思ったが、一ミリもそんな事はない。
わりと気は長い方だと思っていたのは、葉璃と出会う前の話だ。
佐々木と食事に行ったと聞かされた時も目くじらを立て、今も現在進行系で目くじらを立てっぱなしである。
キッチンで三杯目のコーヒーを注いでいると葉璃がシャワーから戻ってきて、聖南と距離を保ったまま立ち止まった。
不覚にも、濡れた髪をそのままにした葉璃はしょんぼりと耳が垂れたウサギのようだと思ってしまう。
「……聖南さん……怒ってるなら、俺帰りましょうか……? 俺といたくないでしょ?」
「なんでそうなるかな。 ……来いよ。 とりあえずコーヒー飲んで落ち着け」
一番落ち着いていない聖南が言えた事ではない。
ソファへ葉璃の手を引いて座らせると、葉璃は聖南からまた少し距離を取った。
「……何、なんで離れんの?」
カップを手渡してやると、それを素直に受け取り口を付けている。
冷ましていたおかげで猫舌の葉璃でもすんなり飲めたようだったが、視線を合わせてくれなくて聖南の方から距離を詰めた。
「……聖南さん怒ってます……」
「あぁ、めちゃくちゃ怒ってるよ」
「……っっ、だ、だから帰りますって!」
「帰らせるわけねぇだろーが。 言いてぇこと山ほどあんだから」
甘いバニラエッセンスの香りで今度こそ聖南自身も落ち着くかと思ったが、これも効果ナシだ。
シャワー後の艶っぽいのにあどけない葉璃を見ていると、聖南の小さな器がさらに極小サイズになってしまい、葉璃が怯えてしまっているのが分かっていても止められなかった。
「どこでどう間違えば荻蔵とメシ行くって事になんの? 葉璃、アイツの事怖いだ何だって言ってたじゃねぇか」
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「そうなんですか! これだけ街が明るいから、お弁当屋さん、探せばあるのかと思いました……。 荻蔵さんは本当にいきなり居たんです! ほんとですよ!」
可愛い葉璃は、初だ、無知だ、と分かっていたのだがそれに加え、世間知らず、方向音痴という新しい情報まで追加されてしまった。
聖南の怒りは、戸惑いの方へシフト変更を余儀なくされた。
それでも、葉璃が聖南の知らないところへ飛んで行ってしまいそうだという恐怖は変わらない。
何も知らない無垢な葉璃だからこそ、たくさんの事を知って色々な経験をし、色々なものに触れてしまえばフラフラと聖南の元から離れていきそうだ。
人と関わる事を極端に嫌がり、話をするなどもってのほかだったあの葉璃が、苦手な人間と食事に行くことが出来るようになるなど思いもよらなかった。
聖南にとって今やその存在だけが生き甲斐となっているのに、不安と嫉妬に駆られた聖南は葉璃への追及をやめられない。
「……荻蔵に何て声掛けられたんだよ」
「……やっぱり、……って」
「やっぱり?」
コーヒーのカップをテーブルに置いた葉璃が、背凭れに寄り掛かって唇を尖らせている。
これは不満がある時の葉璃の癖だ。
ここから感情が怒りに変わるとほっぺたが風船のように膨らむ。
「事務所の廊下ですれ違っただろ、って。 ジロジロ見てたの嫌でしたって言ったら、それは俺が男か女か分かんなかったから見てたらしいです」
「気持ちは分からなくもないけど、失礼な奴だな」
「ですよね! 俺お腹空いてて早くお弁当買って帰りたいって言ったんですけど……そうしたらあそこに連れて行かれました」
「……ふーん……」
荻蔵は本当に、何の下心無く先輩後輩として葉璃を食事に連れ出したのだろうか。
聖南ほど話題にはならないが、荻蔵もかなり女優やタレントと浮き名を流している奴だ。
まさか葉璃を女だと思っていて、酒で酔わせて持ち帰る気だったのなら本気でぶん殴ってやらねばならない。
「事情は一応分かったんだけどさ。 葉璃、前にも聞いたと思うけど、俺の恋人っつー自覚はある?」
「…………え?」
「え?じゃなくて。 俺はお前の恋人だろ。 約束したよな? 俺以外の奴……相手が男でも女でも、二人っきりでメシ行ったりすんなって」
「あ……」
「こんな夜遅くに出掛けたまま戻ってきてねぇって聞かされて、どんだけ心配したと思ってんだよ。 最低でも電話くらい出ろ」
「……ごめん、なさい……」
聖南の愛しい恋人が、いよいよ小さくなって俯いてしまった。
追及しておきながら、その明らかに落ち込んだ様を見た聖南はようやく落ち着いてきた。
どこかで誰かに連れ去られたのではないかと数年ぶりに冷や汗というものをかき、いざ葉璃を見付けて心の底から安堵すると隣には聖南ではない男が……。
恋人のそんな場面を目撃して、キレない男はいない。
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