スタッグ・ナイト

須藤慎弥

文字の大きさ
上 下
8 / 10

8.喧嘩別れ

しおりを挟む


 結婚をやめたくないのに、結婚したくない?

 理解に苦しむ俺の表情をどう受け止めたのか、悟は再び俺から視線を外し、とうとうグラスをテーブルに置いた。

 せっかくの黄金比が……と俺も悟からグラスに視線を移す。

 まだ二人とも、ジャケットすら脱いでいない。

 「乾杯」も、俺しか言っていない。

 悟が買ってきた大量のアルコールを消費したいのは、たった今正式に親友の座が確定した俺の方なんだが。


「結婚をやめたいって本気で思ってるわけじゃないんだ。そうする事が正しいことだっていうのも分かってる。でも俺は、納得がいかない。好きかどうかも分からない相手と結婚するなんて……相手にも失礼じゃない……」
「じゃあなんでもっと早くそう言ってあげなかったの。相手も悟のご両親もノリノリなんでしょ? だからこんなにトントン拍子に話が進んでるんだよね?」
「それは……っ」
「悟が結婚をやめたがってる理由は分からないけど、気が乗らないって言ってたのは知ってるよ。でももう、後戻りは出来ない。ライバル会社の時期社長から言わせてもらうと、本当はその結婚、破断になってくれた方がウチとしては有り難いんだよ。だっておたくの婚約者、親が最強なんだもん。黒いものを白く出来ちゃう有力者がFun Toyのバックにつくだなんて、花咲グループはお先真っ暗」


 ペラペラと自虐的に告げてくうちに、どんどんと卑屈な思いが心を支配していった。

 「だったらやめちまえよ!」と言えたらどんなにいいかと、心の片隅でよくない葛藤もした。

 悟が結婚したくないと言っていた分だけ、俺も結婚してほしくないと思っていたさ。

 でもそれが許されないから、従ってるんだろ?

 花咲グループの未来はともかく、最強のバックがヘソを曲げたら自社が窮地に追い込まれるって分かってんだろ?

 だったら、選択肢は一つだ。


「奏、お願いだから茶化さないで……」
「茶化してない。悟が素直に「おめでとう」を受け取らないから、回りくどくお祝いの言葉を言っただけ」
「ま、待って、今度は奏が怒ってない?」
「怒ってないよ。なんで俺が怒るのさ」
「分かんない、けど……」


 嘘。本当は、かなりキレている。

 中学への進学はあっさりと決断出来たくせに、肝心な時にグズグズしてるんだもん。

 悟がしっかりしてくれなきゃ、幸せになってくれなきゃ、俺は前を向けない。

 お祝いと、少しの憎しみを込めて言った祝福の言葉も、無駄になる。


「……俺たちが未だにこうやって会ってること、誰にも気付かれてないよね?」
「うん、多分……って、奏っ? どこ行くのっ?」


 結局一口しか口をつけなかったグラスを、悟のものの隣にコトリと置き、俺はカードキーを手に扉へ向かった。

 このままここに居て、悟の情けない顔を見ていたらいけないと思った。

 俺がザルだってことを知る悟の前で、酔ったフリは出来ないからだ。


「ごめん。十分後にチェックアウトするから、悟は自分の部屋に戻って。冷蔵庫に入れたアルコールも全部持ってくんだよ」
「えっ!? そんな、どうして……! 今日はとことん付き合ってくれるって……!」
「会社のために最良の選択をすることが、時期社長の努めだと思う。俺のライバルがそんな腑抜けた奴だなんて恥ずかしくて耐えられないよ。マリッジブルーが抜けたら、連絡して」
「……っ!」


 悟は俺の言葉に絶句し、噛み締めていた下唇をわなわなと震わせている。

 落ち込んでいる親友へ掛ける言葉ではなかった。そんなこと分かっている。

 今のは、同じ境遇で生きなきゃいけない者として、発破をかけたんだ。

 瞳に憤りと悲しみを滲ませている悟には、そう受け取ってもらえなかったようだが。


「あ、あともう一言」


 扉に手をかけ、最後に俺は振り返る。


「〝好きかどうか分からない相手〟とセックスした悟に、発言権は無いんじゃない?」


 これは、十年以上も親友に片思いしている者としての、精一杯の苦言だ。




しおりを挟む

処理中です...