優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

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盲目の狼 ─和彦─

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 ……こんな時でも魔性を繰り出す七海さん。

 眉を寄せて不機嫌さを滲ませ、上目遣いの瞳は目尻が上がって怒りを顕にしていつつも、その奥が不安げに揺れている。

 この怒った顔に弱いと、僕は何度も言ったんだけどな。

 自覚してくれないから、意地悪したくなる。

 可愛くて可愛くて、もっと僕の事だけを考えてイジけていたらいいと思ってしまう。

 理解出来ないそれを知られてしまったのなら、もちろん白状するよ。  打ち明けた後の反応が怖くても、どこか浮かれそうになる心は隠せない。

 もはや、愛おしく揺れた瞳の僕への好意を目の当たりにした今、七海さんを逃さない自信があった。


「それは……」
「ほんとなんだ」
「…………はい」


 僕が頷くと、七海さんの顔がみるみるピンクに染まり、終いには真っ赤になった。

 ───怒ってる。すごく、怒ってる。

 繋いでいた手を離した七海さんはぷるっと震えて、僕の肩口に小さな拳が向けられる。


「~~ッッムカつく!! ムカつく!! 俺にはそんなの使わないくせに! やっぱ俺じゃ物足りないんだろ! やらしい狼め! エロ狼!」
「えっ? えぇっ……?」
「なんで……っ! なんでそんな、あり得ない経験積んでるんだよ……っ」


 小さな拳は僕の至るところをパンチしてきて、少しも痛くないけれどその必死な形相にちょっとだけ意地悪な心が冷める。

 本当はもっと、どうしてそんなに怒るのか、イジけていたのか、追及してムッとなった七海さんをぐだぐだに甘やかせてやろうと思っていたのに、エロ狼なんて言われてビックリした。

 可愛い人だ。

 心から嫌だったんだね。

 こんなに取り乱すくらい、僕の過去に嫉妬してくれたんだ。


「……七海さん、落ち着いて」
「頭冷やしたかったのに! そんなの直に聞いちゃうともっと苦しいよ! バカ!  エロ!」
「………………」
「物足りないならそう言えばいいじゃん! 俺がそういう経験ないから、使わないで我慢してたんだろっ? でもそんなの……っ、そんなの優しいって言わない!」


 ……違うよ、七海さん。

 七海さんには必要ないから、使わずに気持ち良さだけを追い求めていられたんだよ。

 媚薬を使った七海さんを見てみたいとは思うけれど、好き好んで使いたいとは思わないんだよ。

 七海さんだから、使わないんだよ。

 暴れる七海さんを力一杯抱き締めて、落ち着かせようと背中を擦った。

 全力で僕に好きを溢れさせる、七海さんへの湧き上がる愛おしさが止まらない。

 胸の中で呻く小悪魔ちゃんは、まだ怒った猫みたいに唸っている。


「七海さん……。そんな可愛い反応されたら僕、嬉しくてどうしたらいいか分からないです」
「なんでムカつくって言ってんのに嬉しいんだよ! 和彦おかしいよ!」
「これについてはおかしくないですよ。七海さんの盛大なヤキモチ、ごちそうさまです」
「はぁっ? 何言ってんだ! 話が通じねぇ! もう今日は一人にしてよ! 俺は頭冷やしたいって言って……っ」
「こんなにも僕への想いをぶつけてくれている七海さんを、一人にするはずがないでしょう。僕まだ抱き締めてもらえていませんし」
「…………っっ」


 ね、と頭を撫でると、ようやく七海さんがおとなしくなった。

 普段はクールな七海さんが、これほどまで取り乱した姿は誰も見た事がないんじゃないかな。

 僕より歳上で、僕よりたくさんの感情を持つ七海さんは「恋」を夢見る一人の人間だ。

 そして僕も、初恋に戸惑う一人の男。

 七海さんが何に悩んで、何に嫉妬し、何を思うのか……話してもらわないと分からない、コミュニケーション能力が皆無でヘタレな僕に、七海さんは次々と新しい喜びを教えてくれる。

 抱き締めてほしい。

 僕は七海さんしか要らない。

 いくらでもヤキモチは焼いていいけれど、不安にならないで。

 抱き合えば分かるよ、僕がどれだけ七海さんの事が大好きか。どれだけ勇気を貰えているか。

 どれだけ……心を奪われているか。


「僕、頑張りましたよ。七海さんがそばに居てくれていると思うと、驚くほど勇気が湧きました。冷静でいられました」
「………………」
「これからも、七海さんには僕のそばに居てほしいです。この先の未来に七海さんが居てくれるのなら、過去など僕には必要ない」
「………………」
「媚薬も、です」
「………………!!」


 このワード一つで七海さんの体が緊張する。

 リアルに想像したと言っていたから、僕が七海さんではない人とセックスをしているいけない想像で、沸々としたイライラがピークに達したらしい。

 そんなもの想像してほしくないな。

 ヤキモチ焼く七海さんは大好きだけれど、僕の知らないところで勝手に傷付くのは駄目だよ。

 それは、僕のそばから居なくなるくらい、駄目な事。


「七海さん相手だと媚薬など必要ないんですよ。だって……」
「……知らないっ。聞きたくないっ。知るかっ」
「耳塞がないで聞いてください」


 首を振ってイヤイヤをする七海さんは、僕の声が届かないように両耳を塞いでいた。

 どこからそんな話を聞いたのか知らないけど、傷付けたのは紛れもなく僕の過去だから話さないわけにいかない。

 ただ闇雲に、遊び半分で使っていたとは思われたくなかった。


「七海さんと出会ってセックスするまで、僕は射精するだけが快感だと思っていたんです。その射精に至るまでが長くてしつこくて、いわゆる遅漏ってやつだと、初めての方にそれを持たされまして、……」
「い、嫌! いい、もういい、分かったから。聞きたくないってば!」
「……分かりました。もう言いません。可愛い七海さん、顔を上げて」


 説明しようとした僕を抱き締めてまで、過去を聞くのを嫌がった。

 僕の腕の中に収まって胸に顔を擦り付けてくる七海さんは、一心に僕を好きでいてくれていると実感した。

 『恋をしましょう』

 そう言った僕自身ですら照れくさくなるほど、七海さんからの恋情が熱くて熱くて、心が火傷してしまいそうだ。



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