優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

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盲目の狼 ─和彦─

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● ● ●



 彼女達と階下へ降り、警察官に事情を説明するとこれから一時間ほど署で聴取を行いたいとの事だった。

 それぞれ自家用車で来ている三人と共に、関係者である僕も同行してほしいと頼まれて二つ返事で了承する。

 占部親子が別々に乗ったパトカー二台と、後を続く三台の軽自動車を見送った僕は後藤さんの元へ急いだ。


「お疲れ様でした、和彦様」
「うん、お疲れ様です。七海さん居る?」
「七海様ですか? こちらには戻られていませんが」
「え!?」


 後部座席のドアを開けて覗くも、本当に七海さんが居ない。

 後藤さんの様子じゃ、この地下駐車場で七海さんの姿を見掛けてもいなさそうだった。


「七海様も社内に入られましたよね?」
「そうらしいけど……。どこに居るんだろう」


 もしかしてまだ社内のどこかに居るのかもしれないと、とりあえず車から降りて電話を掛けてみた。

 もう出てきていいですよ、終わりましたよ、と面と向かって報告して、力一杯抱き締めたかったのに。

 しばらく呼び出し音が続く。そしてそれが途切れると、ひどく暗い声の七海さんが通話口に出た。


『……はい』
「七海さん! あの……っ、どこにいらっしゃるんですか? まだ社内に残って……」
『和彦、ほんとにほんとにお疲れさま。俺先に帰ってるね。今タクシーの中なんだ』
「え!? ど、どうして……!」


 僕を心配し、誰よりも労ってくれると思っていた七海さんが先に帰ると言い出した。

 驚いてよろめいた拍子に車体に手を付く。

 僕のそばに居ない今、こんなの気を遣っての優しさなんかじゃない。


『和彦はまだ警察の人と話あるだろ。松田さん達が勇気を出してセクハラ被害を告白してくれようとしてるから、和彦も一緒に居てやって』


 い、いや、それはそうなんだけれど。

 署で証拠説明したり、今後どうするかという指示も仰いだりしなければならないかもしれない。

 こんな経験が無いから、どれくらいそれに時間が掛かるのかなんて分からない……だからこそそばに居てほしかった。

 その松田さん達の勇気をも奮い立たせてくれた、解決に向けての道筋が一気に拓けた七海さんの活躍を知らなかった僕は、とにかく焦りに焦った。


「七海さんっ、その事についてもお礼を言いたいんです! 制服姿も生で見ていませんし、先に帰るだなんて言わないで……っ」
『ごめん、なんかすごく苦しいんだ。……和彦、ほんと……お疲れさま。よく頑張ったな。カッコ良かったよ』
「七海さんっ? 苦しいって大丈夫なんですか!? ちょっ……七海さん……!」


 もしかして具合が悪かったの!?

 焦りが懸念に変わり、それなら仕方ないと思い直した直後すぐに通話は切れた。

 具合が悪いなら病院に行かなきゃ。

 慌てて後部座席に乗り込んで掛け直してみるも、まったく繋がらない。

 何度かけても、同じ音声メッセージが流れる。

 ──電源を切られたんだ。


「なに……? 何なの……?」
「どうされました?」
「七海さん、先に帰るって」
「先に帰る? 和彦様を置いて、ですか?」
「……自宅に電話してみます」


 どうしよう。

 よく分からないうちに、あんなに好きの気持ちを伝えてくれていた七海さんが急に僕を拒絶した。

 松田さんの心を開くべく、言い難い自らの経験談を語ってまで僕を手助けしてくれた七海さんが、だ。

 本当にいきなり過ぎて、ついさっきスッキリと爽快だった心が再び靄(もや)掛かってずしりと重たい。

 自宅に電話してみても、帰ってきていないと素っ気ない返事しか返って来ず、タクシーに乗っていると言っていた七海さんはまだ辿り着いていないだけだと、無理やり自分を落ち着かせた。

 繋がらない番号を何度も何度も押して、急な拒絶を目の当たりにしながら後藤さんと署に向かう。

 七海さんが身を削って松田さん達の心を動かしてくれたのに、僕が無下にするわけにはいかなかったから……。






「──え……帰って、ない……?」


 婦人警官による松田さん達への聴取は一時間以上を要し、僕も九条さんから送られてきた新たな証拠を持ち寄って説明するのに、いくらも時間が掛かった。

 互いに感謝し合った松田さん達の帰宅を見届け、急いで後藤さんの車に乗り込んだ僕は……思考が一時停止した。

 苦しいと語った七海さんが、自宅に到着早々倒れる前にすぐに病院へ、と伝え置いていた使用人の方から絶望の報告があったそうだ。

 後藤さんが苦々しくハンドルを握る。

 自宅に帰っていない、となると、残るは七海さんのアパートに居るとしか考えられない。

 電話が繋がらないから確かめる術も無くて、とりあえず後藤さんにアパートへ向かうようお願いした。

 暗闇が流れる窓の外を眺めつつ、一つ解決したかと思うとまた重大な事件が発生した事に、かつての自責の念が蘇る。


 ──僕はまた、気付かぬうちに七海さんを傷付けてしまったのかな。


 優しく出来ない僕はきっと、七海さんが突然拒絶するほど、懲りずに無意識下で最低な事をしてしまったんだ。

 魔性を振り撒かないでとしつこく言ったのが気に入らなかった……? いや、あれは七海さんも、怒りながらどこか嬉しそうだったから違うと思う。

 制服姿を直に見たいとワガママを言ったから……? ううん、やり取りしたメッセージにはあの制服で本社に向かっていると書かれていた。七海さんは、本当に嫌だったら私服に着替えてくる。

 ……突然の拒絶の理由がさっぱり分からない。

 まさにこの鈍さを治さなければ僕は永遠に七海さんに優しく出来ない気がするのに、占部さんと対峙していたあの時間で拒絶に値する何かがあったなんて、どれだけ考えても分からなかった。


「……七海さん……」
「本当に自宅アパートにいらっしゃるでしょうか? 和彦様から離れようとしているのなら、すぐに足が付くところへは行かないような気が……」
「確かにそうかもしれない……あ、! GPSアプリ!」


 居場所を特定するのにうってつけのアプリが、僕のスマホには入っていた。

 本当は使わないままアンインストールしてしまうべきだったそれが、意図せず役立った。



 いくら拒絶されたとしても僕はもう、七海さんを手離せるはずがない。

 僕のそばに居ないと駄目なんだよ、……七海さん。




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