172 / 206
優しい狼
7
しおりを挟む本社ビル前はこの時間、当然ながら閑散としている。
俺は地下駐車場でタクシーを降りると、仕事に行く時と同じエレベーターを使って営業一課のある五階を目指そうとしていた。
「おや、七海様……?」
「あっ後藤さん!」
ぴたと足を止めて振り返ると、後藤さんが運転席から降りてくるところだった。
後藤さんは柔らかく微笑み、やや不思議そうに首を傾げながら近付いてくる。
俺がスーツを脱ぎ捨ててこんな格好してるから、そういう趣味でもあるんじゃないかと誤解されたら嫌だけど説明している暇はない。
「和彦様なら中に入られましたよ。いよいよですね」
「……はい、っ。和彦、どんな様子でした?」
「とても落ち着いていました。以前には見られなかった、覇気のある顔付きで何度も書類の確認をしておられて、……七海様、スカートが少々捲れ上がっております」
「えっ!? あっ……すみませんっ」
指摘されて体を捻ってお尻を見てみると、ほんとにあと少しで下尻が出ちゃうよってくらい折れ曲がっていた。
このタイトスカートには後ろにスリットが入っていて、ちょうどそこから折れている。
視線を逸らし続ける後藤さんの前で、慌ててスカートの捲れを直し、ついでに髪の毛もささっと整えた。
「目のやり場に困りました。やれやれ。初老を超えた男をドギマギさせないで頂きたい」
「…………!」
「嬉しくないと思われるでしょうが、よくお似合いです」
「い、いいんですよ! そんなお世辞言わなくて! じゃあ、俺も行ってきま……っ」
「七海様も中に入られるのですか?」
「はい、あっ……でも、俺は割り込んだりはしないので安心してください。会社の事は和彦に任せなきゃ。こっそり聞いてます、……和彦の勇姿を」
「……七海様……」
じゃ、と後藤さんに笑い掛けて、俺はエレベーターに乗り込んだ。
俺が戦いに行くわけでもないのに、やけに緊張する。
それは和彦に見惚れてドキドキするような甘酸っぱいそれじゃなく、手汗が滲んで、これからどうなるんだろうという大きな不安と心配で呼吸が定まらない、嫌なタイプの方だ。
和彦は憤っていた。
自分を陥れた事も、友情を利用された事も、親子で悪事を働いた事も。
この事が分かった時、和彦はほんの少しだけ考えてすぐに「会社を取る」と言った。 占部に裏切られたと知る前からだ。
あの時点ですでに、和彦の中で覚悟は決まっていた。
あとは、情けを出すか出さないか。
本当に占部との友情は失くせてしまったのか、それとも僅かな情をかけるのか。
正直俺はデータ処理を手伝っただけで、和彦の気持ちすべてを知る事は出来なかった。
肝心な事は話さない……というか勿体ぶるんだよな。
あれはたぶん、今まで独りだった事が大きく関係している。
何かあっても独りで抱え込んで、「何でもありません」と真顔で平然と言いのける和彦は、ひどく脆弱なくせに本当は強くなりたいと心から思ってる、無自覚の天邪鬼。
『~~ちゃったんだよな。和彦は違うって言い張るかもしんねぇけど、ほら。こんなに証拠が』
五階に到着し、北側に少し歩いた突き当りに営業一課のオフィスはある。
スマホがマナーモードになってるかをチェックしながら、忍び足で近付いていくと早速占部の声がした。
あんまり顔を出すと見えちゃうから、窓の磨りガラスギリギリまで腰を屈める。
『見せてください』
『はいよ』
か、和彦だ……っ。
だめだな、俺……ちょっと離れてただけなのに、声聞いただけでキュンってしちゃったよ……。
心境の変化って怖い。
「好き」を自覚するともっと怖い。
薄情で悪党な占部よりも俺の事見てよ、なんて無茶苦茶な事を言いながら飛び出して行きそうになる。
──そ、そんな事はもちろん、しないけど。
『これのどこが証拠なんですか?』
『は? よく見てみろよ。こんな少額不正、社内の人間がやると思うか? 危ない橋渡るには額が小さ過ぎんだよ。社内に精通した身内がちょこちょこやるには、ちょうどいいって感じ』
占部の自信満々な声の調子と書類を捲る音から、どうやら捏造したデータを和彦に見せているみたいだ。
中の様子をじっくり見てたいけど、俺の存在がバレたらマズイ。
俺は会話する声に紛れて、音を立てないように営業一課と隣接した営業二課のオフィスに入って聞き耳を立てる事にした。
和彦が友彦お父さんに全オフィスの解錠をお願いしてあると言ってたから、不審者を知らせるブザーは鳴らなくてホッとしたんだけど、真っ暗闇の静寂に包まれたオフィスは少し怖い。
『えぇ、そうですね。ただ僕はそんなにお金には困っていないのですが』
『だよな? だから俺も最初は信じらんなかったんだけど、決定的な証拠があってさ』
『決定的な証拠?』
『これ、見てみろ。……どっからどう見ても和彦だよな』
──後藤さんが言ってた通り、和彦……物凄く落ち着いてる。
パーティーでも俺を気にする余裕があったって事は、今日で決着を付けると言った和彦の決意は少しも揺らいでいなさそうだ。
決定的な証拠がある、と聞こえてから沈黙が続く。
パソコンで映像でも見てんのかな。
和彦は不正の犯人じゃないんだから、どんな証拠持ち出されても「証拠」にはならないだろ。
『…………』
数分もの間、占部が逐一「ここ」「あと、ここ」などと和彦に何やら説明をしているみたいだけど、そのどれにも、和彦が反応する相槌は聞こえてこなかった。
0
お気に入りに追加
661
あなたにおすすめの小説
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

好きなあいつの嫉妬がすごい
カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。
ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。
教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。
「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」
ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」
【完結】愛執 ~愛されたい子供を拾って溺愛したのは邪神でした~
綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
BL
「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」
洞窟の神殿に鎖で繋がれた子供は、愛情も温もりも知らずに育った。
子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。
人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。
「僕ね、セティのこと大好きだよ」
【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印)
【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ
【完結】2021/9/13
※2020/11/01 エブリスタ BLカテゴリー6位
※2021/09/09 エブリスタ、BLカテゴリー2位

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)

男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる