優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

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優しい狼

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 多くを語らずとも、頭が良くて機転の利く九条君は何から何まで俺と和彦の手助けをしてくれた。

 今日の事だけじゃない。

 好きだって言ってくれた好意を断って、まさかの和彦と付き合い始めた俺を、まだ友達だと思ってくれている事もそうだ。

 あろう事か、恋敵だった和彦にまで心を許してる。

 大学内では和彦なみに他人と会話をしたがらない九条君だけど、それはただ、面倒だとか女性と話すのが苦手だとか、そういう理由で。

 和彦みたいにこじらせていないだけ、九条君はとても柔軟だ。

 瞳を光らせて追及の視線を送ってくるのは怖いけど、それ以外は俺や和彦とは比べものにならないくらい「普通」の人。

 俺にも、和彦にも、そんな普通の感覚を持ち合わせた九条君の存在はありがたかった。

 多くの助言と、今日の助っ人にはほんとに頭が上がらない。

 まさか潜入目的で女性用の制服を持ってくるとは思わなかったけど、それも和彦が喜びそうだと思ったからチョイスしたのかもしれないしな。


「…………九条君、……その……」


 部屋を出る間際、急く気持ちを抑えて九条君を振り返って見上げる。

 ありがとう。

 そう言いたかったのに、どこまでも普通で男前な九条君はフッと笑った。


「礼はいい。これからも今まで通り俺と飲みに行ってくれるんなら、俺は今回の件に協力したとすら思わない。たまたまここに居ただけだ」
「……っ! ……ほ、ほんとにありがとう……!」
「奴らの証拠取れたらスマホに送るから。じゃあな」
「……うん! 行ってきます!」


 ボイスレコーダー回収のためにここに残る九条君に見送られた俺は、もはや馴染んだパンプスで駆けた。

 エレベーターで一階まで降りて、フロントを小走りで駆け抜けて待機していたタクシーに乗り込む。


「お名前を」
「えっ? 芝浦です」
「出発します」
「あ、あの行き先を……」
「伺っております。SAKURA産業本社ビル、ですよね」
「……はい。お願いします」


 俺の名前を聞いた途端に走り始めたタクシーは、「なるべく急いで」と申し伝えられていたかのように、何度も車線変更していた。

 乗り込んでからスムーズに出発出来るよう、行き先まで伝えててくれたんだ。

 すごいな……九条君。今でこれだけ捌けるなら、弁護士さんになったら大活躍しそうだ。


「……九時四十五分、か……」


 和彦はもう本社に着いてる頃だ。

 後藤さんの車内で二十二時を待っているのか、それとももう中で対決が始まっているのか。

 連絡してみようにも、対決途中だといけないからすごく躊躇した。

 その躊躇いが以心伝心したのか、どうしようと迷っている間にスマホがメッセージの受信を知らせる。

 ──和彦だ……!


〝まもなく行きます”


 この一文で、和彦の行動を読み解く。

 そっか。  車内で証拠書類の最終確認してたんだ。

 俺の到着を待つというより、占部との対決に心を落ち着かせる時間が必要だったのかもしれない。

 コミュニケーション能力は皆無だけど、和彦は頭がいい。

 パソコンに向かって真剣に数字を睨んでいた姿なんて、ちょっと見惚れちゃうくらい様になってた。

 和彦の声を聞きたい気持ちを堪えて、メッセージを送ってきた意図を汲み俺も返信する。


「俺も今、タクシーに乗ってるよ」
〝服装は?”


 すぐに返事がきた。

 服装なんてどうでもいいじゃんと思いつつ、ニヤけてしまう口元を押さえて指を動かす。


「あの制服」
〝素敵です。  到着したら間近で見せてくださいね”
「あんまりジロジロ見るな」
〝僕は七海さんを好きに眺めていい券を持っています”
「そんな券無いだろ!」
〝今から作ります”


 何を言ってんだよ、まったく……!

 これから戦場に向かうってのに、危機感とか切迫感とかないのかっ?

 しかも昔懐かしい肩たたき券みたいに言いやがって。笑っちゃったじゃん。


「余計な事考えてないで、集中してろ」
〝七海さんが言うのなら、そうします。行ってきます”


 行ってらっしゃい。……これはメッセージで送らなかった。

 スマホを握り締めて、瞳を瞑る。

 頑張って。俺もすぐ、行くから。

 和彦はもう、一人で大丈夫だと思う。俺が付きっきりでそばに居なくても、和彦は確かに前を向いている。

 常にそばに和彦が居たから、こんな他愛もないメッセージのやり取りは初めてかもしれない。

 まるでこの場に居て会話をするように、早いテンポでメッセージを投げ合った。

 和彦は今すごく複雑な心境の中で、俺に心配かけまいと似合わない強がりを見せたような気がした。

 僕なら大丈夫です、七海さんが居るから僕は変われるんです、……そうやって戦地へ向かう自分に念じてたりするのかもしれない。

 メッセージじゃ物足りなくて、やっぱり電話しちゃおっかな、なんて思ったの……バレてないかな。

 ……和彦も、俺の声を聞きたいって思ってたり、……するのかな。


「なんだよ、和彦のやつ……。俺の事大好きじゃん……」


 そんな事は一言も言ってなかったけど、和彦もきっと同じ気持ちだったはずだ。

 独りごちた俺も、相当なもんなのに。

 

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