優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

文字の大きさ
上 下
164 / 206
清算 ─和彦─

しおりを挟む

● ● ●


 今日の参加者は総勢七十三名。そのすべての者がスーツを着ている畏まった立食パーティーが、粛々と開始された。

 ……とは言っても、厳かなのは開始時に父を含む社長ら三名が壇上に上がった時だけで、以降は社員や役員同士が好き勝手に飲み食いしながら和気藹々と親睦を深めていく。

 今日のパーティーは中期決算前の決起集会のようなもので、三社ともそれぞれ規模は違うが大勢の社員を抱えた大会社に変わりなく、これからも切磋琢磨していこうという会社の垣根を超えた親しい社長同士の粋な計らいの場だ。

 年度末の決算時はさすがに浮かれている場合ではないので、三社合同パーティーはいつもこの時期なんだよね。


「……俺めちゃくちゃ場違いじゃん……」


 到着早々こう呟いた七海さんは、自己紹介する時用に母から名刺を預っている。

 後藤さんから渡されたブルガリの名刺入れは、デニムサファイアを使用した濃いブルーで格好いい。

 それにはしっかりと七海さんの名前が刻まれていて、これからも使用出来るようにという母の心遣いに深く感謝した。

 こんな立派なもの預かれない、と恐縮していたけれど、七海さんの名前が刻まれている事で他に用途はないと悟ってくれたらしく、恐々とスーツの内ポケットにしまっていた。


「僕も七海さんも、目的はパーティを楽しむ事ではなく、彼の悪事の裏取りです」
「……そうだな。てか和彦、なんか……」
「はい?」
「ううん、何でもない。ほんとに、いい兆候だなって思っただけ」
「僕には名探偵ななみがついていますから。……ビンタされたくないですし」
「名探偵じゃないっての!」


 何なんだそれ! と膨れる七海さんがそばに居てくれるだけで、僕は強くなれる。

 ……僕には、七海さんがついてる。

 ……七海さんがついてる。

 絶対に僕を裏切らない、七海さんがついてる。

 どうしよう、どうしよう、と被害者ぶって狼狽えていても、今の僕に出来る事は一つしかない。

 これまでの僕自身と、未来へ進むための清算。

 抜け殻だった僕を信じていてくれた、父が待ち望んだ占部親子を一掃する。

 何より隣には七海さんが居てくれるんだから。

 これから先、誰に裏切られようとも、それが七海さんでないならすぐに立ち直れる。

 僕は辺りを伺いながらシャンパングラスを手に取った。

 美しく磨かれたグラスの中で、シュワシュワと炭酸の気泡が上へ上へと立ち昇っていて、とっても美味しそう。

 今日は絶対にこの場に紛れ込んでいるであろう占部昭一の姿を探しつつ、七海さんの分のシャンパングラスを手渡そうと何気なく隣を見た。


「七海さん、一杯だけ頂き……」


 あ、あれ……!? 七海さんが居ない!

 ついさっきまで隣に居たのに!


「ちょっ……七海さんっ?」


 どこに行ったの。僕、ほんの二分くらいシャンパンに気を取られていただけだよ。

 慌ててグラスをそばのテーブルに置き、必死に目を凝らしてごった返す人々の中からオレンジブラウンの髪を探す。


「あっ!」


 数メートル先に見慣れたふわふわを発見し、急いで歩み寄った。

 まったくもう……目を離すなって九条さんからも言われてたのに。

 でもすぐに見付かって良かった。  初めて、背が高くて良かったと思った。


「──え……っ」


 人混みで見えなかった僕の視線の先に、またもや腸が煮えくり返る光景があって立ち止まる。

 ──嫌だ。嫌だ。嫌だ。……嫌だ。 

 僕の目の前で、七海さんが知らない男から腰を抱かれていた。

 「初々しい」だの「綺麗だね」だの、逃げ腰の七海さんに顔を近付けて囁いているのは、他社の若そうな男だ。

 カッと頭に血が上り、我慢ならなくて勇み足で近付いた僕は、すぐに七海さんの腕を取って男から引き剥がす。


「失礼」
「……あっ、和彦……!」


 七海さんを背中に隠し、僕は咄嗟に男に向かって愛想笑いをした。

 あれだけ、あれだけ、大嫌いだった愛想笑いを、いとも簡単にやってのけた。


「この子に何か?」


 沸々と怒りが込み上げる。

 笑顔を向け続けると、「いや、」と男はたじろいだ。


「そ、その人、SAKURA産業の秘書課って言ってたんで、男の秘書って珍しいなぁなんていう話を……」
「そうですか。  日本では珍しいかもしれませんが、海外にはザラにいらっしゃいます。仕事さえ出来れば性別は関係ありません」
「そうだな、うん。そうだよ、はは……」
「そうですよね」
「あ、……じゃあ俺はこれで……」
「お待ちください。……はい、結構です。どうぞあちらへ」


 男が去ろうとするのを引き止めた僕は、その顔をじっくりと拝んで脳に記憶した。

 あまりに僕が笑顔で居続けたから不気味だったらしく、男はそそくさと人混みに紛れ込んでいく。

 ──僕の七海さんに触れたあの男、許せない。


「……七海さん、どうして僕から離れたんですか」


 壇上でほろ酔いの誰かがスピーチを始めて、参加者らの視線がそちらに向かっている隙に会場の隅まで七海さんを連れて行った。

 僕がシャンパンに見惚れてちょっと考え事をしていた、ものの二分の間に隣から居なくなるなんて危なっかしい事この上ない。

 壁際に追い詰めて七海さんを見下ろすと、目をまん丸にして言い返してきた。


「いや、違うんだよっ。あっちにカシスソーダあったから取りに行こうと思っただけで……俺は別に……!」
「カシスソーダ? 七海さん、カシスソーダお好きでしたっけ?」
「俺じゃなくて和彦が好きなんだろ!」
「え、僕が……? カシスソーダ……?」


 そんな事言ったかな……?

 ムッと不機嫌な顔付きになった七海さんは、その途中で知らない男に捕まって逃げられなかったんだと、まだ目をまん丸にして憤慨していた。


「俺のせいじゃないからな!」


 ふん、って……。……可愛い。

 僕にはその怒った顔はなんの抑止にもならないのに。

 ただ抑止にはならないけれど、僕の中で生まれた重たい塊を軽くする効果は充分にある。

 七海さんが意図的ではない魔性を振り撒いてしまっているという事は、パーティーに参加して十分足らずでハッキリした。

 ……あの男にも、そして僕にも。



しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

好きなあいつの嫉妬がすごい

カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。 ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。 教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。 「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」 ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

【完結】愛執 ~愛されたい子供を拾って溺愛したのは邪神でした~

綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
BL
「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」  洞窟の神殿に鎖で繋がれた子供は、愛情も温もりも知らずに育った。 子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。  人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。 「僕ね、セティのこと大好きだよ」   【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印) 【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ 【完結】2021/9/13 ※2020/11/01  エブリスタ BLカテゴリー6位 ※2021/09/09  エブリスタ、BLカテゴリー2位

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました

まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。 性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。 (ムーンライトノベルにも掲載しています)

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

続きは第一図書室で

蒼キるり
BL
高校生になったばかりの佐武直斗は図書室で出会った同級生の東原浩也とひょんなことからキスの練習をする仲になる。 友人と恋の狭間で揺れる青春ラブストーリー。

処理中です...